変容遂げる神仏 秩父神社の妙見さん – 埼玉県

人に歴史があるように “宗教” にも歴史があります。
おそらくは人が原始的な知能と文化を得て、さほど経たないうちから “自然崇拝” という形で宗教は発生しており、それは人の歴史と歩を合わせるように進展と変貌を遂げてきました。

人類の進歩とは今有る諸問題を解決して より快適な生活を求めるところにあるので、このことは現在のあり方を時間とともに更新してゆくことと同義とも言えます。

そして、それは ともすれば過去の放棄や否定につながることも少なくなく、明確な数値や効果の証明出来ない旧来の思想に対しても同じで、時代の経過とともに宗教に向ける関心も薄れ行きつつあります。

しかし、どれほど合理的な社会になっても、いや合理的な社会になるほど無形の真理や安寧を求める心は募るのか、宗教が人の心からその姿を消すことは決してなく、人の世ある限り神仏 そして自然への想いが潰えることもないのでしょう。

 

紀元前450年頃、インドの釈迦によって始められた「仏教」も、その成り立ちをゼロから始めたわけではありません。 それ以前からインドに根付いていたヒンドゥー教やバラモンの思想があるところに、釈迦の思想をもって大成されたのです。

それ故に仏教の進展とともに登場する数多の尊格も、古代のインドや周辺国の神々を取り入れられたものが多く、さらに時代が下って他国への布教が進むとともに、それぞれの地域の宗教概念と混淆してながら新たな思想を生み出していきました。

それら 仏教における尊格も「如来」「菩薩」「明王」「天」などに分けられ、さらに仔細に区分されています。多くの神々や精霊は「天」や「天部」として組み込まれました。
大きなうねりとともに仏教の体系が形成されてきたのです。

 

飛鳥時代に日本に伝わった仏教は、ご存知のとおり日本の神々と習合などしながら日本独自の発展を遂げ現代に続いていますが、今日 ご案内させていただくのは埼玉県の奥座敷、風靡な山と盆地でなる秩父地方の鎮守「秩父神社」のお話です。

仏教の話題で いきなり神社というのも何か肩透かしですが・・、この秩父神社、平安の初期、知知夫国の国造 “知知夫彦命” によって、祖神 “八意思兼命(やごころおもいかねのみこと / 知恵の神)” を祀ったことに始まるとされています。

しかし 中世に至ると、当時、形成・勢力を伸ばした東国の武士団が奉じていた『妙見信仰』を包含し、以来 長きにわたって「秩父妙見宮」と呼ばれ、関東妙見信仰の古刹として名を知らしめました。

 

『妙見信仰』とは妙見菩薩を祀り信仰するもの。

妙見菩薩はインドにおいて確立していた「菩薩信仰」(悟りと衆生救済のために精進する菩薩に救いを求めるもの)が、大陸を伝搬する際に道教の “方位信仰” “北極星・北斗七星信仰” と習合して形成されていきました。

物事の真理を見通す意味の “妙見” の名を頂くとともに、北斗七星の一星 “破軍星” の関わりから戦の勝敗さえ看破する “軍神” の性格をも併せ持っています。

 

軍神”でもある”妙見菩薩” を 武士団が奉ずるのは自然の流れですが、そもそもの始めの逸話に “東国武士団の祖” ともされる “平良文(たいらのよしふみ / 秩父平氏)” が挙げられるでしょう。

武蔵国の鎮守として任に就いていた良文は、当時 頭角を現していた平将門に一時助力して共に戦いますが、ある戦で苦戦を囲い ついには進退極まるところにまで追い込まれました。

覚悟を決めた良文は自刃を意して死地を探しますが、いつの間にか立ち込めた霧の向こうから自分を呼ぶ不思議な声が聞こえてきたのだとか・・。

声に導かれるまま霧の彼方に歩いて行くと、やがて見知らぬ寺院に辿り着き、現れた僧から[汝は妙見菩薩に選ばれし者なり]と言われ、光輝く刀を託されたそうです。

窮した戦を切り抜け一命を得た良文の体には星型の印があったとか・・

まるで、近年のゲームや異世界ドラマに出てくるお話のようにも見えますが、これが秩父平氏の始まりに座し、後に続く東国武士団の勃興と精神的支柱へとつながるのです。

 

近代、明治の時代を迎えると「秩父妙見宮」にも “神仏分離” の波が洗い、妙見菩薩の名は伏され、天空に坐す神として同一視されていた “天之御中主神” の名が充てられることになり、社名も「秩父神社」に戻されて現在に至りますが・・。

それでも500年の時を越えて引き継がれてきた妙見菩薩への崇敬が失われることはなく、今日に至っても尚「秩父妙見」として親しまれている方も少なくないとか・・。

面白いことに秩父神社の妙見菩薩は女性であるという見方があるそうです。

武家に崇拝されるほどの “武神” であるなら多くの場合 男性の形をとるものであり(海外では時折、戦闘女神が見られますが・・)、”武” の女神というのは珍しいのですが・・。

これは、秩父の妙見さんは “養蚕(かいこ・絹糸)” を司る神でもあるとの神格が、武蔵国を含め東国に養蚕が根付いた江戸期頃から、併せ持たされたことによると言われています。

秩父地方には「秩父神社」の他に「三峯神社」「宝登山神社」があり、あわせて “秩父三社” とも呼ばれていますが、これらの祭神が三姉妹であるとの伝承もあるほどだそうです。

 

事程左様に、人を導き 人が救いを求める神仏の姿・性格は、時代を越え場所を変えるほどに変容を遂げ続け、時に大元の姿とはかけ離れた形になることさえあるようです。

それでもそれは、その時々の人々の願いの昇華であり、永遠を求める心でもあるのです。

如来を目指して精進する菩薩であり、星を司る神であり、武神であって養蚕の守護でもある『秩父の妙見さん』 夜闇に絢爛豪華な灯りを醸す「秩父夜祭」とともに、機会があれば ぜひ訪ねてみてください。

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