三猿鎮める地に日本一の山がゆく(前)- 石川県

日本一の山が行く、山と言っても富士の山ではありません。いわゆる”曳山・山車” のことですが、地元では「でか山」と呼んでいるようです。

その高さは約12メートル、上部にいくに連れ広がる姿の天頂部の幅は約13メートル、総重量20トン、およそ4階建てのビルが街の往路を練り歩くのに等しい 一種恐れさえ感じる程の威容、まさしく日本最大級の曳山であることに疑いなき壮観な眺めでしょう。

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『青柏祭(せいはくさい)』石川県北部、七尾市の大地主神社を依代とした大祭です。
山車を曳き廻し盛大に祝う祭りは全国 津々浦々にありますが、この青柏祭は平安中期にその創始を求め千年の伝統を紡ぐ、七尾の人々の誇りでもあるそうです。

一見 不安定にも見える逆台形の姿は舟形とも言われ、江戸時代の北前船(きたまえぶね・廻船)を模したものとも伝わります。

頭部が舞台のように設えてあり、歌舞伎人形による名場面を再現しているのですが、この人形を祭りの前に内見出来る「人形見(にんぎょうみ)」が各町において開かれ、地元住人のみならず観光客にも一部お披露目されます。

さらに、祭り曳山の折に運に恵まれれば 訪問客にも曳き綱に加わる機会が与えられるそうで、往古からの伝統に則りながらも祭祀者以外にも開かれた内容となっていますね。

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祭りは(現在)5月3日から5日にかけて執り行われ、巨大な曳山は七尾市内の鍛冶町・府中町・魚町の三町から奉納されるのですが、この日付と三つの曳山というのが祭りの創始に連なる伝承に関わっているのだとか・・。

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この曳き山の祭り 古くは卯月申日に行われていたそうな

それというのも まだ七尾の地に光が満ちておらなんだ頃
この地には年に一度 山の神に向けて生娘を生贄に上げなければならん習いが息づいておった

里人たちもこのような習わし好ましからざる思いであったが 山の神の所望とあれば拒むことも出来ぬ

今年もまたその日が近づき ある一軒の家の娘にその白羽の矢が立った

まさかに我家の娘が召されようとは 里の決まりごと故 断るわけにもゆかぬことは分かっておるが 長年手塩にかけて育ててきた愛娘 後十数日の命とは余りにも憐れ

何とかして救うてやれぬものか 父親である久平は決まりの立ったその日から思いも定まらぬまま 夜毎 山に足を運んでは当てもなく社の周りをうろつくばかりじゃった

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ところが ある夜 社の奥から微かに漏れるつぶやきに気がついた

このような夜に誰の声なのか・・ もしや山の神なら何とか目こぼしを願えぬものか
久平は社の影から聞耳をたてたのだそうな・・しかし聞こえてきたものは・・

「今年もまた人の娘を喰らえる日が近づいたわ とはいえ越後の “しゅけん” にだけは気を払わねば・・ あ奴に見つかれば儂も危うい・・」

何ということ・・ これは山の神どころか物の怪ではないか

されど 里の者たちにこの事を伝え信じさせるには日が掛かり それが果たせても人の手で物の怪を退治出来るものやら・・

今はもう 越後まで詣でて その “しゅけん” とか申す者を探し出し助けを乞うより他に手立て無し

久平はその日の内に身支度を整え 一人越後へと旅立ったそうな・・

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昨年末「大苦の果てに望むもの 於安御前伝承」でも触れましたが、科学的な知見がない時代には多かれ少なかれ “生贄・人身御供” という風習が残っていたと伝わります。

しかし今回のお話のより嫌悪な部分は、”於安御前伝承”が人間側の自発的な献身であったのに対し、山の神 ≠ 物の怪 からの要求もしくは脅迫によるものだということでしょう。

実際、須佐之男命(スサノオノミコト)による八岐大蛇 退治にはじまり、この手のお話には枚挙に暇がないほど数多の伝承が各地に残っていますね。

“年に一度” という定期的・季節的な側面から見ても、よく言われるように自然災害と人との関わりを神話や民話伝承に仮託したものでしょうが、多くの場合、物語の結末において人身御供を欲する物の怪は正体を顕にした後 退治されていますが・・。

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人は自らの有限さ故に 無限の自然に対して感謝と恐れの思いを持ち、そこに神威を見出したことは この当ブログの記事でも何度も触れましたが、それでも人は人、自発的であろうと要求されてであろうと、人の命が いとも容易く奪われてゆくことは我慢ならない・・いつの日か克服したい・・

民話伝承の多くには こうした人々の切望が込められているのです。
そして、その思いは科学が発達した現代にも変わらずに受け継がれています。
生活は衛生的で便利になっても、自然の本性の前では人間の力など赤子に等しいものなのですから・・

この時代にあって薄れつつも 未だ多くの神儀や祭祀が脈々と受け継がれているのは、人が現代の生活に順応しながらも、人間の弱さ・脆さを心のどこかで自覚しているからなのかもしれません・・。

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実のところ、七尾で執り行われる『青柏祭』と今話伝承とのつながりは、微妙な点が無きにしもあらずな感じなのですが、後編ではその辺りにも少しだけ思いを巡らせてみたいと考えています。

ともあれ、娘の命を救わんがため単身 越後へ旅立った父親、首尾良く”しゅけん” を見つけられるのでしょうか・・

三猿鎮める地に日本一の山がゆく(後)- 石川県→

 

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