蘇る与次郎狐 出羽伝承の昔と今 [再-前]- 秋田県

いつもイナバナ.コムをご訪問頂き有り難うございます。
先般ご案内させて頂きましたように今週は過去記事の再掲載とさせて頂きます。
一部、注意箇所、また下段において加筆などございます。ご了承くださいませ。

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出羽国、秋田県から山形県にかけて残る伝承に「与次郎狐」というものがあります。
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与次郎狐は 国守に重用され飛脚として無類の能力を発揮、活躍したものの運命に翻弄され命を落とすという悲しい物語なのですが、この与次郎狐のお話をモチーフに現代な筋立てでミュージカルとして復活、秋田 にぎわい交流館AU(あう)にて開演されています。 * 再掲載記事のため現在ミュージカルイベントは終了しています。

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当サイトを何度か訪れて頂いている皆様にはご存知のことと思われますが、イナバナ.コムでは「フォークロア」と「民話・昔話」のカテゴリーを分けて掲載させて頂いています。
どちらも ”民間伝承” という括りでは同じものなのですが、登場人物や事件に具体的な人物や事象が絡んでいるものを「フォークロア」、明確な対象が無いものを「民話・昔話」としています。
* 11月24日付「フォークロア」は「故事・伝承」に改称されました。
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その意味では、今回ご紹介する「与次郎狐」に関わるお話は、国守に ”佐竹義宣” という戦国時代の武将が充てられていますので「フォークロア」カテゴリーのはずなのですが、この「与次郎狐」に似たお話は、鳥取、石川、茨城、福井、など 全国各地にその地の話として残っています。
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各地、独自の事件であったのか、他の地の話が伝わり形を変えたのか、どこが発祥の地であったのか今となっては詳らかではありませんが、まあ そこはそれこそ「昔話」の形なのでありましょう。
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よって、今回は「民話・昔話」のカテゴリーでお送りしようと思います。
先ずはイレギュラーながら秋田県以外の地に伝わる「狐の飛脚」としてのお話の概要から・・

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「狐の飛脚」
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その昔、ある殿様が視察見聞のため お忍びで領内を歩いておると 全身傷まみれの一匹の狐を見つけたそうな
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悪さをしたためか、村の者にいたぶられて虫の吐息になっている姿を憐れんだ殿様は その狐を城に連れて帰り大事に介抱してやったのだと
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やがて元気を取り戻した狐は殿様への恩義に報いるため 速足の技をもって江戸表への飛脚として活躍したそうな
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いかなる急ぎの用事にも江戸まで往復七日の早足で 抜かることなく仕事をこなしたものだから殿様にもたいそう可愛がられたのだと
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ところが ある日出掛けた飛脚仕事の途中 山畑の中から香ばしい匂いが漂ってきおる
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どうやら大好物の油揚げのようだったが ともあれ仕事の途中とどうにか我慢をしてその場を立ち去った
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ようよう殿様の用事をすませて国に帰る途中 やはりあの山畑の所を通りかかった
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香ばしい匂いはあの時のまま 矢も盾もたまらず その匂いのする方へ飛び込んでしまった

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一方 お城ではいつも早々に帰ってくるはずの狐が 今回に限っていつまで経っても帰ってこない
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心配した殿様が家来に命じて狐を探させると やがて山畑で罠にかかって死んでいる狐を見つけたのじゃと
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お家のために尽くし死んでいった狐に対して殿様は 立派な祠を造り祀ったのだそうな
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以上が、「与次郎狐」以外の地に伝わる ”狐の飛脚” の概要です。
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各地ごとに仔細が異なり、狐の名も鳥取県の「桂蔵坊」をはじめ石川県の「はち助狐」であったり、この狐に女房が居たりと様々なバリエーションが楽しめますね。

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今回、「与次郎狐」と銘打ちながら本題の与次郎狐 以外の内容となってしまい恐縮ですが、続編では「与次郎狐・与次郎稲荷」の本編をお伝えしたいと思います。
鳥取や石川の「飛脚狐」との違いを味わって頂ければ幸いです。

 

※ かなり広範な地域に根付く “飛脚狐” のお話ですが、上でも書きましたように その発祥地は詳らかでありません。 ・・が、時に神使として 時に物の怪として昔話に登場する 狐が何故 飛脚になぞらえられたのか・・

一意に考えられるのは やはりその足の速さゆえでありましょうが、実際のところ狐の速さとは どの程度のものかと調べたところ最高速で凡そ50km/h、乗用車の一般的なスピードに比するレベルですね。

確かに相応な速さではあるものの、動物界においてはまだまだ上には上が数多あり、ダチョウで約70km/h、ライオンで80km/h、スプリンターとして知られるチーターで実に120km/h近く出るそうです。

サラブレッドで70km/h代後半・・意外なのが “のんびり” なイメージのロバでも種によれば50km/h近く出せる個体もあるのだとか・・

しかし、当然ながら これらの動物は日本在来の種ではなかったため、往時の国内において狐がトップクラスの駿足であったことは事実でしょう。

 

只、厳密に言えば当時でも犬や鹿の方が走力においては優れていたはずなのに、何故狐なのかという問に対しては明確な答は無いものの、おそらくその生態によるところが大きいのではないでしょうか。

当時の犬の存在は現代とは大きく異なります。可愛いからという理由で飼っていられるのは一部の富裕層であり、大方は害獣除けの番犬として村単位で住んでいた “半野良” か、それ以外はほぼ(いわゆる)”山犬” の類の “野犬” であり危険な存在でした。

鹿は その出で立ちと春日大社の影響から時に神使として扱われたものの、人里に現れたものは凡そ農産物を荒らす害獣としての認識が当時から強かったようです。

 

反して 狐はというと、肉食性の雑食でもあることから時に農産物や鶏などに手を出すことがあっても、基本は田畑を荒らすネズミやウサギ(ウサギも野ウサギは害獣)モグラなどを捕らえ、鹿を近づけない益獣の面が強く農民には概して有り難い存在だった様子。(稲作の神、稲荷大明神の神使になったのもこの因から)

知能が高く 人との微妙な間隔と振る舞い、そして神使からの流れでいつしか妖(あやかし)の性格さえ帯びたのが狐であり、また群れ単位で活動する山犬と異なり、個体での活動を主とする彼らには “美女” であったり “飛脚” であったり、明確なアイデンティティーを当てはめ易かったのかもしれませんね。

 

© ミュージカル「Run! 与次郎!」® 秋田まちづくり株式会社

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