民話好きの方に限らずとも いわゆる “昔話” の類に人間以外、多くの動物や神霊・妖怪が登場することはよく知られたところですね。
キツネやタヌキ、ヘビ、シカ、イヌ(オオカミ含む)、ウサギ、サル、ネズミ、カエル・・そして様々な鳥や虫など、数え上げれば切りがない程ですが、やはり、狐狸・キツネ / タヌキ、ヘビあたりが最も登場回数の多い主力選手といったところでしょうか・・
その姿がタヌキとオーバーラップするアナグマなどは時に “狢(ムジナ)” “猯(マミ)” とも呼ばれ、これも昔話の常連ですが 実際問題、国内単位での共通認識が未だ未熟だった時代、ひとつの動物に対する呼び名も地域によってまちまちであり、時によってはキツネや山犬まで含め一括して狢と呼んでいた場合もありと その正体さえ朧げです。
昔話のスター、キツネにあってはタヌキとともに固有の名が与えられていることも少なくなく、ここ鳥取県で名の知れたキツネと言えば「桂蔵坊(けいぞうぼう)」が挙げられます。
関ヶ原の戦いが終わり、戦後、因幡藩の初代藩主として就いたのが信長・豊臣時代からの重臣 池田恒興の三男 池田長吉(いけだ ながよし)でした。
以降 外様大名ながらも、池田家代々 鳥取の治世を安らげ、当初6万石であった治力を100万石に高めながら明治の廃藩に至るまでその名跡をつなげるのですが、そのいずれの頃だったのでしょう(一説には二代後の光仲の時代とも)、藩主にとりわけ可愛がられていた ひとりの若い従者がいたそうです。
従者の名は桂蔵坊、元は鳥取城が建っていた久松山に巣食う化けキツネであったそう、早足のキツネなればこそ、いや普通のキツネを遥かに凌ぐ神足で因幡国(鳥取)と江戸表を 僅か三日で行き来する “飛脚狐” であったと伝わります。
以前、当ブログでも触れたことがあるのですが、江戸時代もはじめの頃は “飛脚” を利用する者は極めて限られており、それは主に藩主や領主といった為政者や 萌芽の時を迎えつつあった有力商人クラスの人々でした。
つまり、信書や物品などのモノを運ぶ用務以外に 情報の伝達・収集などの任務をも担っていた特務員だったとも言えるでしょう。
通常であれば数週間掛かる伝達日数が三日で済むなど とんでもない速さで、近頃話題の4Gが5Gになって通信速度が・・など 目じゃない位の優位性ではなかったでしょうかw
確立されるとともに複雑化してゆく幕藩体制の中で、藩の行く末を左右する情報を極めて有利に運んでくれる桂蔵坊は殿様直属のエージェントだったに違いありません。
只、ことのほか藩主に可愛がられていたという言い伝えから見るに、キツネとは言え その有能さのみを買われていただけではなく、忠義孝心の面でも殿様の信頼と愛顧を受けていたのでしょう。
忠義と実力を併せ持ちながら藩政の中核に関わる仕事を的確にこなし、通常の家臣さえ一目置く いわば孤高のエリートのごとき桂蔵坊でしたが、ある日 その時はやってきます。
その日も殿様の遣いで信書を持ち 江戸表を目指し駆けていた桂蔵坊、とある峠を越えたところで ふと香ばしい匂いを鼻にします。
道端の草を分けてみると それは畑の一角に据えられた “ネズミ揚げ” の匂いでした。
孤高のエリート と言っても やはり元は一介のキツネ、大好物であるネズミ揚げを前にして心穏やかではありません・・
しかし、さすがは桂蔵坊、懐に抱えた大事な御用を放り出してネズミにかぶりつくような真似はしませんでした。
それに桂蔵坊には このネズミ揚げがキツネを仕留めるための罠であることも見抜いていたのです。
ツイと踵を返し江戸表へ一目散、殿様の信書を届けに走ったのでした・・
さて、大切な御用も済ませ因幡国へ帰ってきた桂蔵坊、例の峠まで帰ってきたところで また あの香ばしい匂いに気づきます。
何という良い匂いだ・・ だがあれは罠の匂いでもある・・ ならん・・嗅いではならん
俊足とはいえ長旅の帰り道、疲れもあったでしょうし、お腹も空いていたかもしれません。しかも今は仕事を済ませ身軽な案配・・
必死に己を抑えようとすればするほど 悩ましい香りは鼻にまとわり、頭の中はネズミ揚げの姿がぐるぐると駆け巡り・・
城ではいつまで経っても帰って来ない桂蔵坊を殿様はたいそう案じておられました。
ついに殿様の命によって捜索の手配が組まれ、おそらく通ったであろう道を辿り探しに出ましたが、数日後 峠の畑で見つかったのは桂蔵坊の変わり果てた姿でした。
身を粉にして藩主・藩政のために働き、自らの気の迷いとはいえ無念の最後を遂げた桂蔵坊をたいそう哀れんだ殿様は、城を見晴らす久松山の一角に 中松という名の社を興し、そこに桂蔵坊の神霊を祀ってあげたのだそうです。
以上が因幡国・鳥取県に残る “飛脚狐−桂蔵坊” にまつわるお話です。 鳥取県関連では有名な民話ですので ご存知の方も多かったかもしれませんね・・
桂蔵坊には妻狐が居て、鳥取城から平野と千代川(現在の鳥取市)を挟んで西側の立見峠を根城としていた “おとん女郎 / お富女郎” と呼ばれる狐がそれであるとか・・
また、桂蔵坊、おとん女郎 を含めて “しょろしょろ狐” “尾無し” “恩志狐” を「因幡の五狐」と呼ぶのだとか・・
キツネが民話に数多く登場するのは、往時 彼らが それだけ人の生活圏に隣り合わせの存在であったからでしょうし、作物や飼い鳥などに害をなす姿は 人を化かす “野干(低級の妖狐)” として捉えられ、ネズミを駆逐して稲作に寄与する姿は食を司る神の “神使” となりました。
日本の至るところで人の近くに住まい生きていた数多の動物たちは、こうして人の歴史の徒然に織り込まれていったのですが、その後の時代の流れとともに彼らの影が遠く失われていったのは皆様もよく知るところです。
せめて 今は昔の動物たち主演による物語が いつ何時までも語り継がれることを願ってやみませんが、古くは神代に通づる素兎(しろうさぎ) 伝説さえ持つ鳥取県は、神霊にまつわる伝承の宝庫なのかもしれません。
“飛脚狐” を題材とした民話は各地で見受けられます。 今回 ご案内したお話の内容と大筋では似たような筋立てであることから、本来何処かの地方で発祥した話が伝わり拡散した後 各地方で根付いたものと思われ、本来の発祥地は詳らかでありませんが、その地ごとの微妙な差異が認められ それを楽しむのも民話の味わいではないかと思うのです・・。