“人と化粧” の関わりは その原初を紀元前・太古にまで遡るものであり、その指向するところは自らの美化のみならず、相対する相手に対する訴求(時には戦闘時の威嚇も含め)であったり、呪術的な要素を多分に含んでいたりと様々であったようです。
現代においては比較的 女性に関わり深いように思われる化粧ですが、歴史的に見ると国・時代の別なく男性が化粧を施していたケースも少なからず見られます。(但し、多くは一定以上の社会的地位のある者)
日本でも昔の “お公家さん” にイメージ出来ますね。因みにあまりイメージし難い “武士・お侍さん” も高位の人はされていたようです。 よって志村けんさんがやっていた ”バカ殿様” の顔もあながち間違いでは無いとか・・w?
近年では そのように演出されることはあまりありませんが、「赤穂事件」で知られる吉良上野介翁が白顔のように描かれることがあるのは、朝廷との橋渡しを担う高家の人だったからかもしれませんね。
そもそもの原初における色の初めは “赤(朱)” であったり、中世ヨーロッパでは宗教的倫理観から一時 化粧が否定されたり、現代にあっても一部民族においては呪術的意味合いが非常に強かったりと、「化粧」という文化について書こうと思えばブログどころか それこそ本の一冊や二冊では書ききれないほどの奥深さを持つもののようですが・・
化粧の方向性として 自らの肌を白く見せたいという願望は 男女問わず古くからあったようで、いわゆる “白粉” と呼ばれるようなものが多種多様に使われて来ました。
只、当時の白粉の多くは水銀や亜鉛の成分を含んだもので、美白効果?は高かったものの肌に留まらず内臓や神経系にまで及ぼす影響は決して喜ばしいものではありませんでした。
しかし、有毒性が知られてからも その需要は中々に衰えず、各国が行政的に有毒成分の使用禁止を発するまで永く愛用されたようです。
原初の色?とされる “赤” も「丹(に)」として神聖な色であると同時に有毒性を持ちながらも “白” と同じく化粧の色として珍重されてきました。
「毒性や自虐性の強いものほど、有する魔力もまた大きい」とは何かの小説か漫画の設定のようですが、あながち往古の人々の神性指向としては間違っておらず、古く「色の白きは七難隠す」と言われた程、”白さ” に対する憧れは健康への配慮さえ凌駕する力を持っていたのかもしれません・・。
※ 現代の一般的な化粧品には これらのような毒性はありません。
さて、化粧の色と大きな魔力・神通力にまつわる存在が 奈良県十津川村に伝わります。
「白粉婆」その名のごとく白粉化粧の目立つ老婆の妖怪と言われます。
江戸の浮世絵師・妖怪画家 鳥山石燕 の「今昔百鬼拾遺」においても紹介されており、雪積もる道を大きな蓑笠を被り杖をついて歩む腰の曲がった老婆が描かれています。
紅白粉を化粧しているものの、その塗り方が酷く雑に塗りたくられており、お世辞にも美しさを感ずるものではなかったとか・・
奇異な妖怪のイメージしか浮かんできませんが、この白粉婆、伝えられる印象と異なり 非常に神性を感じる逸話が桜井の古刹 長谷寺に関連した形で残っています。
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室町時代後期、長谷寺の座主が 当時の戦乱の終息と世の安寧祈願のため、堂満面の観音菩薩絵を描くことを思い立ち 全国から画業の心得持つ僧を呼び集めた。
ところが、僧も集い さあ筆をとろうかという頃、折悪しく戦火の影響が寺領地にも及び食料や物資を根こそぎ徴発される憂き目にあってしまう。
これを知った画僧たちは、自分たちの食い扶持も無くなってしまうのではないかと憂いたが、これを聞いた寺の小僧は平然として当寺 観音菩薩の仏徳あらたかなれば、その心配に及ばずと言う。
訝る画僧を引き連れて小僧が向かった先には井戸があり、そこで一人の娘が米を研いでいた。 桶で米を研ぎ やがて研ぎ上がったものを笊(ざる)に開ける、桶には一粒だけ米が残してあったが、その一粒を水に浸すと見る間にその数が増えだしやがて元通りになってしまった。
それどころか 気がつけば娘を取り巻く空気も後光のごとく神聖な輝きに満ちているではないか。 これは何ということ、あの娘は観音菩薩の霊験に相違ないと画僧一同 皆その場にひれ伏した。
只一人 その中の若僧が菩薩の尊顔を拝したく僅かに見上げると、娘の顔は真白に輝きながらも、その霊異に精を使い過ぎたのか老婆のごとく深いシワに包まれていたという。
この奇跡以来、画僧たちは一心を打ち込み、やがて大菩薩絵を完成させたという。
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誠に徳高き仏教説話であり、これを読む限り白粉婆は妖怪というよりも観音菩薩の化身、もしくは遣いといった存在のように感じられます。
信憑性は定かではありませんが、鳥山石燕にして白粉婆は “脂粉仙娘(しふんせんじょう)という白粉の神の眷属である” という説明も添えられており、こちらでも神性を感じますね。
しかし、このお話には異聞、というか 長谷寺による異説もありまして・・
それによると、長谷寺創建の頃、多くの僧たちの食事一切を身ひとつで賄い続けた老女がおられ、その方はとても献身的で皆から慕われていたものの、その身なりがみすぼらしく白粉のひとつも塗らない質素な風貌であったのだとか・・
後年、その老女は何処へともなく姿を消してしまい皆悲しみに暮れるも、誰も老女の素性を知らないことに気づき、いつしか老女は観音菩薩の霊験ではないかとまで言われ・・
されば せめてもの供養にと、きれいな着物と白粉を添えて祀るようになり後に続く「一箱べったり」という祭事につながったのだそうです。
世に言う「長谷寺 白粉婆伝説」は、この縁起と奈良の妖怪 白粉婆の話が何処かで混淆したのではないか・・
というお話でした。 詳しくはこちらから→「奇習 一箱べったり」
確かに このお話の方が説話的には現実味があり説得力もあるのですが・・、
何れにせよ白粉婆の真実に触れられる訳でもありませんが、白粉婆という存在が一介の山姥妖怪に収まらない 神性な力か何かを持ち合わせている印象が拭えません。
近代、漫画家であり妖怪研究家としても名高い水木しげる氏は、その代表作「ゲゲゲの鬼太郎」でも白粉婆を登場させていますが、その妖力・戦闘力は意外に高く、山姥タイプの妖怪としては異彩を放っています。
水木先生も白粉婆の持つ独特な逸話やイメージに大きな力を感じていたのでしょうかね。
白粉婆の化粧は酷く厚ぼったく雑な塗り方と書きました。その白粉は現代の私たちが “雪女” に抱くような “美しさ” を訴えるものではなく、往古の化粧による神性(神がかり)と妖力の高さを表すアイコン的なものだったのかもしれません。
神性に通ずる “白” 生命につながる “赤” 、日の本の旗をも彩る“白” と “赤” 、 解りやすい化粧のアイコンでそれを表していた白粉婆はもしかすると神と人をつなぐ巫女的な性格も持っていたのでしょうか?
遠い伝承の白粉婆、その真実が解き明かされることは今後も無いかもしれませんが、太古から人がその身に施してきた “化粧” と ”色” の意義の大きさは、現代の私たちが思う以上のものだったのでしょう。