せんべいの故郷ここにあり 米菓の王国(後)- 新潟県

“せんべい” の歴史を調べると よく出てくるのが、江戸時代、草加の宿(現在の埼玉県)にあった団子屋の “おせん” 婆さん に掛かる話で・・、 それまで捨てていた日々の売れ残りを勿体無く思った一人の “侍” が「それを平たく押し延べて焼けば日持ちする食材になるのではないか」と提案し、”おせん” 婆さん がそれをもとに作ったものが今日の “せんべい” のはじまりというもの・・。

このお話の信憑はともかく草加では古くから稲作が盛んで、農家が年貢に出せないような低品質の余剰米を煎り蒸し、薄く延ばして天日干し、焼いて味付けしたものを短期の保存食や間食として重宝していたと伝わります。

旅人や行商人の往来が多い草加の宿を起点に “草加せんべい” は全国に伝わり広まったことから、草加が “せんべい” 発祥の地 とされる所以でしょう。
今回 お送りしている新潟県が米菓の出荷量では桁違いで日本一を独走しているものの、第二位を埼玉県が保持しているのも、こうした歴史を反映しているのかも知れません。

只、 “せんべい” そのもののルーツはこれより遥かに古く、また 中国や東南アジア各国で紀元前から見られ(但し原料は麦やイモなど)日本に中国式の “せんべい” が伝えられたのは、飛鳥時代の頃ではないかと言われています。

そして、さらに それ以前、弥生時代において既にイモなどを擦り潰して平たく押し固め、焼いたと思われるものが遺跡から見つかっており、その頃には “焼き団子” 風の “せんべい” が食されていたものと考えられています。

江戸期に草加をはじめとして全国に根付いていった “せんべい” ですが、例えば東北地方など寒冷地には “せんべい” と似て異なる “干し餅” という、一旦冷水に浸した餅を寒風で乾燥風化させてつくる携帯食があり、これら多様な食態が互いに影響しあいながら今日に続く米菓の文化を形成していったのでしょうか。

 

前編では米菓出荷量日本一の新潟県にあって、これまた市場出荷率ナンバーワンの王者「亀田製菓」についてお送りしました。

県内には次いで出荷量ナンバーツーと言われ、クリーム砂糖との兼ね合いが絶妙な「雪の宿」やサクサク食感「ミニサラダ」で知られた「三幸製菓」

国産米100% にこだわり “お米のおいしさ創造企業” を標榜し、「新潟ぬれせんべい」や「ふわっと」シリーズなど多彩な商品展開の「岩塚製菓」 など著名なメーカーが名を連ねます。

 

株式会社 栗山米菓 Befco

「ばかうけ」そして「星たべよ」で知られ、その命名からも伺われるように「たのしい、おいしい、あたらしい」を経営理念として活動するユニークなスタンスの米菓会社です。

平成21年より刷新のコーポレートアイデンティティ「Befco」を導入、公開しましたが、その意味も「Beika Frontier Company(米菓の最先端を行く企業)」という開拓精神旺盛なもの、戦後間もない昭和22年に端緒を持ちながらも、早くから常に変革と躍動を旨としてきたというアクティブな社風ですね。

主力商品のひとつである「ばかうけ」は開発当時、丸くて堅く醤油か塩味のせんべいが大勢であった中に、今までに無かったスタイルのものを作ろうと取り組んだのが始まりと言われ、生地に直接青海苔を練り込んだり 柔らかめに仕上げる製法の確立に苦労を重ねたそうです。

こうして生まれた「ばかうけ」ですが、発売当初はあまり市場受けは芳しくなかったようです。 商品としてのセオリーが新し過ぎたのか一般への認知が行き届かず「ばかうけ」のネーミングも内容をイメージし難かったのかも知れません。

さらに、俗に言う “アホ・バカ分布” ではありませんが、関西地域において “ばか” ワードに対するイメージが宜しくないのでは? との指摘まであり、一時的に商品名を「ええやんか」に変えた時もあったのだそうです。

 

苦戦を続けた「ばかうけ」でしたが、その後の営業努力の甲斐あって認知度も高まり、やがて大ヒット商品への道を辿ることになります。

栗山米菓の定番にして主力商品となった「ばかうけ」は その後 全国的な人気を受け、様々な新味や限定のバリエーションを発表、その総数は今までに280種類を越えるまでになりましたが、その味選びやネーミングも「スイカ味」や「微妙なマロン味」など消費者の意表を突いたものも少なくなく、このあたりも栗山米菓の革新性を重視する社風が現れていますね。

躍進を続ける栗山米菓は その後、東京のギャラリーショップにお洒落?なチョコがけ「ばかうけ」を発表したり、平成27年には新潟市内に新工場「ばかうけファクトリー」を竣工、製造を担うとともに体験型の工場見学など一般公開にも応える体制を確立、ますますの「ばかうけ」ワールドの発展に向けて これからも躍進を続けてゆくのでしょう。

 

さて、前後二編に分けて新潟の大手米菓会社をご案内してきましたが、後、一社ご紹介させて頂きますね。

浪花屋製菓

大正12年創業という老舗の米菓会社です。
この会社を語る時、なんと言っても外せないのが「柿の種」を初めて開発、この世に送り出した「元祖 柿の種」の会社であるということでしょう。

当初 うるち米で “せんべい” を製造していた創業者 今井與三郎氏でしたが、彼と親交のあった大阪出身の人物が、ある日、もち米を使って作る “あられ” の製造を提案、苦心の末 開発に成功したのが現在に続く「柿の種」の最初なのだそうです。

柿の種型の独特の形状は意識して作られたものではなく、練上がった生地を小判型に抜く “抜き型” を誤って踏みつけてしまい あのような形になったのだとか・・

定番商品となり会社の基礎を築いた「柿の種」、その製造基盤を提案してくれた知人に敬意を払い彼の出身地名をとって「浪花屋」の屋号を取り入れたそうです。

また、「柿の種」を商標登録せず製造方法を公開したため「柿の種」は多くの後発商品を呼び、様々なメーカーが「柿の種」を発売するに至りました。

小さな工場生まれた小さな種は百年に続く大きな実を実らせたのでした。

 

せんべい、おかき、そして、あられ

彼らは現代的で洗練された いわゆるスィーツのような華やかさや豪華さとは、ちょっと違うかも知れませんが、その気取らない美味しさ、親しみやすさが何より日本のお茶の間に似合います。

手を伸ばせば そこにある。そんな家族のような安らぎは お米を原料とする所以でしょうか。 日本はやはりお米の国だと思うのです。

 

 

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