あの日の情熱を今に伝える「ネクタイを締めた百姓一揆」- 岩手県

*この記事は本来「イベント」告知のカテゴリーに入りますが、新型コロナウイルス拡散抑制の観点を鑑みイベント開催日時やその他の詳細を控え「昭和」カテゴリーのひとつとしてお送りしています。ご了承の程お願い申し上げます。

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「新幹線」 言うまでもなく我が国がその性能と安全性において世界に誇る高速鉄道システムであり、大別するとその路線の呼称及び各車両の代名詞でもあります。
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世界初の営業高速鉄道として 昭和39年(1964年)10月1日 東京オリンピック開催に合わせ、東京~新大阪駅間を結ぶ “東海道新幹線” が開業。 以来 今日に至るまで その路線を拡大し続け 新型車両も次々と開発され、総延長距離 3000km(ミニ新幹線含む)に達し、年間13万本もの運行がなされる まさに日本の動脈ともいえる鉄道網となりました。
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その車両規格も 初代の0系から改良型の200系そしてリフレッシュされた100系、「のぞみ」登場時の300系、以降 近代的な技術とスタイルに置き換えられた500系。700系、N系列、E系列 等、数えだすと枚挙にいとまがないほど そのバリエーションを増やしてきました。
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新型発表の度に豪華にスタイリッシュに昇華されてきた新幹線ですが、昭和世代にとっては当時の飛行機から翼のみを外したような 初代0系新幹線のスタイルに馴染みを持ちますね。 驚くべきことにこの0系新幹線車両、新造の車両を追加しながら平成20年(2008年)まで 実に44年間にも渡って運用されたそうです。(最終:山陽新幹線「こだま」運用)

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この0系新幹線から最初の改良型として開発・運用されたのが200系車両、 1982年開業の東北新幹線および上越新幹線に合わせて開発された車両であり「やまびこ」「あおば」の名で就役、初代0系に似た丸っこい顔立ちに雪国ならではの スノープラウ(除雪羽)の装備、白地にグリーンのツートンカラーが特徴でした。
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昭和46年(1971年)1月に公示、4月に着工された「東北新幹線」は 昭和57年(1982年)6月23日に大宮駅 – 盛岡駅間(区間約500km)が開通、営業運転が開始されました。
以来、区間を拡張しながら平成22年(2010年)新青森駅間を開通させ全線開通を完了しています。
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そして、この大宮駅 – 盛岡駅間 開通時に持ち上がった、地域住民による「新花巻駅」開設運動を、近年(再び)岩手県在住の有志によって企画され映画化されたものが、本日ご紹介する『ネクタイを締めた百姓一揆』です。

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昭和40年代も中盤、いよいよ東北の地にも新幹線がやってくる、その噂は瞬く間に東北各県を駆け巡り ここ岩手県 花巻市の市民もにわかに活気づきました。
当時、新幹線はまだまだ時代の花形でありましたし、また 内陸部にありながらも岩手県第二の人口を抱えた(当時)花巻市を新幹線が通り、その停車駅が市内に定められることは容易に想像できたからです。
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新幹線が開通、花巻にその駅が置かれたならば東京まで3時間足らずで行き来できる、人とモノの往来が増えて新しい文化も流入されやすくなり経済的な効果も期待できる。
来たるべき未来に花巻の人々は夢に胸を膨らませていました。
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しかし、昭和46年 当時の国鉄により発表された ”東北新幹線基本工事計画” の中に「花巻駅」の名は無かったのです。
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花巻市民の驚きと落胆は想像以上のものであったようで、もしかすると 現代のオリンピック誘致に落選したとき以上の落胆だったかも知れません。
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されど当時の国鉄は三公社の一角を占める国の機関であり、国鉄の決定はいわば国策ともいえ、この決定を覆すことなど自治体といえど到底考えられぬことでした。
花巻市としても国鉄発表以前から誘致運動を行っていたものの、お国の決定にはやむなしの空気が広まっていたのです。

 


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しかし、この決定に納得がいかない、このまま見過ごしていては花巻の未来に暗い影を落とすと考えた一部の人々は ”花巻駅” の実現に向けて敢然と立ち上がりました。
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陣頭に立つ小原甚之助氏を筆頭に「東北新幹線対策問題市民会議」を発足、直ちに市民に向け “新幹線誘致” を呼びかけるとともに国鉄に対し直談判に及びます。
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当然のごとく 当初、国鉄側は市民会議の陳情を採り上げもしません。
それどころか市民会議を後押しするべき、市政も市民たちさえも誘致に対して懐疑的であり、市民会議の活動は時に空回りの状況さえ呈するほどであったと言われています。
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それでも「花巻の地に新幹線の駅を作る」ことを諦めない、この情熱にひたすら邁進する市民会議の姿は徐々に賛同者を増やしてゆき、いつしかこの運動は市民総体の想いとなっていったのでした。
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国鉄が定めた用地の売渡停止、市政に働きかけ 駅誘致のための特別委員会の設置など一歩一歩粘り強く進めた運動に、国鉄側もようやく重い腰を上げ始め ”将来的な駅設置の可能性” に言及しますが、これに掛かる費用の負担と用地の無償譲渡を条件として提示します。
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莫大な費用と用地の確保を引き合いに出された花巻市でしたが、この期を逃してはならぬと既に東北新幹線工事が進む中 ”駅設置対策協議会” を設立、自治体、市民、各団体総出の体制で資金の調達・募金、用地の確保に奔走したのです。

 

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いかなるプロセスも一筋縄でこなせるものではありませんでした。
日本初の全額地元負担のまさに ”市民の駅”「新花巻駅」が誕生したのは東北新幹線の開業に遅れること三年、昭和60年(1985年)3月14日のことでした。
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基本工事計画の公示、市民会議の発足から14年の歳月が流れていました。
この誘致運動が成功したのは市民総出の想い、そしてこれに関わった人々の並々ならぬ情熱と行動があったからなのは言うまでもないでしょう。

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過日の、そして情熱に満ちたこの一連の出来事を、岩手・花巻の誇りとして今に伝えたい、そんな想いで作られたのが『 ネクタイを締めた百姓一揆 』です。
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市民の手で勝ち取り作り上げられた「新花巻駅」に範をとったのか、一般の興行映画とは異なり、河野ジベ太 監督の元 この映画製作に関わったほとんどのスタッフが名も無き一般の人達であったことも この映画を特徴づけていますね。
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スタッフの募集から講習、撮影、クランクアップまで2年余、地方ホールでの初上映までさらに数ヶ月、そして2018年には門真国際映画祭に出展して最優秀脚本賞を受賞、本年2020年にはついに劇場公開の夢を果たしたのです。
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冒頭でお伝えした通り、現時点での公開詳細は控えさせていただきますが、このような特別な生い立ちの映画なので 今後も劇場公開の機会はあると思われます。
コロナ問題が収束し、近隣で上映の機会に恵まれましたら一度お出かけになられては如何でしょうか。熱い時代の夢と情熱に満ちた人々の想いに今を生きるヒントが見つかるかも知れません。

 

 

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