* この記事は2018年6月19日にポストした記事の再掲載記事となります。ご了承下さい。
権兵衛が種まきゃカラスがほじくる♪
近年ではあまり聞かなくなったフレーズですが、少なくとも昭和生まれの人でしたら一度や二度は耳にしたことのある文章、または歌の一節ではないでしょうか?
真面目ながらも どこか抜けていて そしておっとりした権兵衛さん、一生懸命 汗を流しながら畑を耕し やがて種を蒔くも後ろから着いてくるカラスに次々と食べられる、という苦笑を誘いながらも牧歌的な情景であり、また現代では致命的なマイナス要因のために中々苦労が実らない様を揶揄を込めて表わす言葉としても用いられます。
こんな牧歌なイメージの権兵衛さんの種まきですが、元々このフレーズがどこから来たのか、そして何とこの権兵衛さんが実在の人物であったであろう事を知る人はあまり多くはありません。
今から300年程昔、現在の三重県北牟婁郡紀北町に 上村兵部 という郷士(農村に土着した武士) が住んでいました。兵部は士分ではありましたが 身をもって田畑を耕し自然とともに生きる農民への憧れをもった稀有な人でした。 志し半ばで兵部はその生涯を終えましたが、その夢を受け継ぎ武士の身分を返上し農民として生き直したのが息子 上村権兵衛 (世に言う権兵衛さん) です。
新しい人生を意気揚々と始めた権兵衛さんではありましたが、新たに着手した耕地、また馴れない初めての農作業に当初は苦労したそうで、種まきひとつ手際よくこなせないその様子に地元の農民からは苦笑をかったようです。 これが冒頭の「権兵衛が種まきゃ・・」の始めとされ、後の民謡「ズンベラ節」の一節として世に広まっていった原点ですね。
しかし、持ち前の粘り強さ、熱心さであきらめる事なく農業に打ち込み続ける権兵衛さん、村の人々の助けも得ながら荒れ地を耕し、やがては村でも屈指の農家となったそうです。
ところで この権兵衛さん、元々 武士であり また鉄砲を使わせては右に出る者無しと言われる程の腕前の持ち主で、里の田畑を荒らす獣を撃ち倒しては村人たちから喜ばれ その名声は近隣の村々に留まらず、ついには 紀州藩主・徳川宗直 公 の耳にまで達し お上の御前で3発の弾をことごとく的に命中させて称賛を得るほどだったと言われています。
それだけにとどまらず その御前、感心した宗直公から褒美に田畑を与えるというお言葉を謹んで辞退し、そのかわりに村の年貢の減免を願い出 これを許され、村人たちから感謝されたそうです。
権兵衛が種まきゃカラスがほじくる♪・・牧歌的で安穏としたイメージだった権兵衛さん
意外とドラマチックな実像が浮かんできましたね
権兵衛さんのお話はまだ続きます。 それはまた後編で・・