戦乱による混沌と絢爛なる文化が錯綜した桃山時代、その運命に翻弄されながらも自らの信念の命ずるまま一途に生き そして散っていった女性 細川ガラシャ
【散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ】
– 花も人もその散るべき時を知っているからこそ気高いのでしょう – 意訳 –
波乱万丈の人生と非業の最後で語られる戦国時代の美しき人、そのガラシャ婦人の歴史的資料、絵画など100点以上を一堂に会した特別展『細川ガラシャ』が熊本県立美術館本館で9月24日(月)まで開催されています。
細川ガラシャ 幼名 明智 玉(もしくは玉子)
教養高く叡智の武将と謳われた明智光秀の三女として生まれ幼少時に父光秀の失脚にともない一家共々放浪の辛酸をなめたものの、後、織田信長の家臣となり武功を重ね近江の国 滋賀郡 坂本城主となった父のもとで少女期を送ります。幼少時から見目麗しくまた聡明かつ好奇心旺盛であったと伝えられそれは父光秀に似たのかもしれません。
天正6年(1578年) 15歳で丹後国宮津城主だった細川忠興に嫁ぎ翌年には子も生まれ、忠興との仲も良かったと言われます。
しかし、天正10年 6月に起こった父光秀による織田信長謀殺「本能寺の変」により逆賊の子の立場になってしまい再び苦渋の人生となってしまいます。それでも夫忠興は玉を粛清せずに丹後国味土野の地に幽閉という形で軟禁します。
この幽閉状態は2年後の天正12年解かれ玉は大阪屋敷に戻ることが出来たものの、逆賊の子となり、時代のうねりに翻弄される心には大きな悲しみや虚無感を抱えたままだったのでしょう。この頃に当時布教を広めていたキリスト教に深く傾倒、後にガラシャの洗礼名を授けられました。
辛い人生にも絶え懸命に生きた玉 / ガラシャではありましたが、時代のうねりは止まることを知らず、豊臣秀吉亡き後やがて世情は再び乱れ彼女を人質に取ろうと欲した西方の将 石田三成の兵に屋敷を囲まれた時、家老の小笠原秀清に槍で胸を貫かせ37年の人生を閉じました。その時に詠んだ辞世の句が上の「散りぬべき・・」の一句です。
特別展では細川家ゆかりの品々をはじめ激動・絢爛と謳われた桃山時代、そしてガラシャ婦人の動静を伺う歴史的資料、又、多くの画家によって描かれたガラシャ像の時代による変遷をも見ることができるようです。
戦国の世に生きた女性は忍従の人生を送られた方が少なくありませんが、その象徴ともいえる「細川ガラシャ」展、ぜひこの機会に・・
特別展『細川ガラシャ』 公式ホームページ
日 時:2018年8月4日(土) ~ 9月24日(月)
午前9時30分~午後5時15分(入館は午後4時45分まで)
休館日 月曜日
(月曜日が祝日・休日の場合は開館し、その翌日が休館)
場 所:熊本県立美術館 本館2階展示室
〒860-0008 熊本県 熊本市 中央区 二の丸2
料 金:一般1,000円(800円)/大学生700円(500円)
※高校生以下無料 障がい者手帳をお持ちの方無料
※( )内は前売および20名以上の団体料金
■別棟細川コレクション展示室との共通観覧券
一般1,100円[900円]/大学生800円[600円]
※[ ]は20名以上の団体料金
問い合わせ:TEL:096-352-2111
注:熊本県立美術館には本館と分館がありそれぞれ別の場所にあります。
本稿「細川ガラシャ」展は本館2階にて開催されています。
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