唯一ハンザキ明神祀る古代温泉の地 – 岡山県

前回に引き続き・・という訳でもありませんが “温泉” にまつわるお話です。 「いい加減 気温も高くなってきたし温泉ネタはもういいよ・・」とか言われそうですが・・。

世界でも屈指の温泉大国にあれば、どうしても温泉ネタは出てくるもの・・。 確かに初夏の候 そろそろ涼し気な話題を探し始めなければならない時節、今年 上半期最終の温泉ネタとなるかもしれませんので何とかお付き合いください (^_^;)。

それに・・ “6月26日” は “露天風呂の日” なのだそうです。 夏至を超えてますね・・。まぁ “露天” だから夏でも良いのか・・?

因みに “温泉の日” は “9月9日”、”風呂の日” は “3月26日”、”いい風呂の日” は “11月26日” だそうです・・。どう違うのかよく分かりませんが “よい風呂の日” “4月26日” というのもあります。もしかして・・と思い調べてみたら “スパの日” “2月8日”(Two-パ・ちょっと苦しい・・w)もありました。 やっぱり温泉大国なのです・・。

 

“露天風呂の日・6月26日”、 説明不要かと思いますが一応・・ “6・26(ろ てん ふろ)” からの語呂合わせ、昭和62年、”露天風呂発祥の地” ともいわれる、岡山県真庭市湯原(ゆばら)の旅館・観光事業者の発起により制定されました。

“露天風呂発祥の地” などと言っても、原初 自然湧出の温泉は全て屋外露天だっただろうから “発祥の地” も何もあったものではないのではないか・・?

もしかして他にも露天風呂発祥を謳う地が・・と思い調べてみましたが、”日本三古湯” として “牟婁(和歌山)” “伊予(愛媛)” “有馬(兵庫)” が挙げられる程度で、露天風呂の・・として出てくるのは湯原温泉のデータばかり・・。やはり湯原温泉は真正の “露天風呂発祥の地” なのでしょうか・・?

律令制の時代、現在の岡山県地域は 北東部を占める美作、南東部を占める備前、西側を占める備中の3つの国に分かれていました。

その中で美作国には現・真庭市の湯原温泉、美作市の湯郷温泉、苫田郡の奥津温泉という温泉地があります。 合わせて “美作三湯” と呼ばれており、いずれも千年からの歴史を有する由緒ある古湯だそうで・・。

先に挙げた『湯原温泉(ゆばらおんせん)』は、昭和の時代に全国3300の温泉地を旅した作家 “野口冬人” によって “西の横綱” と評されたことから脚光を浴び、その特異な情景と相まって多くの温泉ファンを魅了し続けています。

特に堤高73.5 mの湯原ダムを間近に旭川の袂に広がる「砂湯(砂噴き湯)」は、川底から砂を拭き上げながら湧き出す湯の露天温泉で、地元の人々に管理されながら無料で開放されているという湯原温泉地の象徴的な存在でもあります。 往古を思わせる混浴であり(水着・タオルもしくは湯浴み着(レンタル)着用、下着入浴不可)、晴れた日の入浴は山間の静寂も手伝って森林浴のごとき癒やしを受けられるでしょう・・。

 

湯原温泉の歴史的なエピソードとして挙げられるのが、豊臣家五大老のひとりであり美作・備前の領主でもあった 宇喜多秀家が、母 “円融院 / 福” の湯治場として整備したというものでしょう。 実直で家族思いでもあった秀家が、母の病 快癒に喜び浴場の修繕・改修に助力したというものです。 これにより、今日に続く湯原温泉の礎が培われたともいえるでしょうか。

しかし 逆に言えば、それまでも湯治場としての湯原温泉は 日陰ながらも存在し機能していたということ。

まだ 世の光に当たる以前の湯原温泉地。ここを多く利用していたのは “たたら製鉄” に従事していた人々であったといわれています。

“たたら製鉄”、 ”たたら” とも呼ばれる鞴(ふいご・空気を送り込む人力の装置)を利用して高温燃焼を起こし、砂鉄などを溶解することで銑(ずく・鉄の一次精製品・銑鉄)を作り出す 古代の製鉄手法でした。 一説には弥生時代末に日本に技法が伝えられたともされ、少なくとも6世紀半ば(古墳時代)には 産業として根付いていたのではないかといわれています。

現在の中国地方(本州西端地域)からは良質の砂鉄や鉄鉱石が採れたことから、この地域内において “たたら製鉄” 業が発達し、当時の吉備国を発展させる原動力ともなりました。
この “たたら製鉄” で日々汗水を流して働いていた人々が、慰安や療養のためにこの湯原の温泉地を利用していたといわれています。

江戸期のたたら製鉄

また同時に、当地は冬季ともなるとかなりの寒冷地であることから、地熱温度の高いこの地に小屋を立て季節的な越冬地としても利用されていたのだとか・・。

これらの利用形態・風習は 後の時代まで長く続き、奈良時代には数万人の従事者を擁して国家的な施策にも関わる一大産業の形成にまで結びつきました。(”たたら” の製鉄手法は進歩を重ねながら明治時代初期まで続きました。) 当地における温泉の存在は人々の生活に欠くことの出来ないものであったことは言うまでもなく、時代に沿いながら その機能と存在性を高めていったのでしょう。

言うなれば「露天風呂発祥の地」の呼び声とは、太古の時代から培われ定着してきた人と露天温泉とのつながりであり、千五百年の昔から現代に続く “温泉施設の嚆矢” が立ったということなのでしょう。 大袈裟な言い回しかもしれませんが、日本の国はこの時代から温泉大国の道を歩みだしたのです・・。

 

千五百年前、古墳時代にまで通じる湯原温泉のお話をお届けしましたが、千五百どころか数千万年前にまでつながるネタを最期にひとつ・・。

この温泉地の程近く、旭川の河畔には おそらく全国でも唯一ここだけ “ハンザキ” を祀る『鯢大明神(ハンザキだいみょうじん)』があります。・・ハンザキって何?、”鯢” とだけ書くと読めずに余計に分かりにくいですかねw。

別の そして一般的な書き方では “山椒魚”。 ご存知 世界最大級の両生類(オオサンショウウオ)。凡そ三千万年以上前から殆ど形態を変えていない “生きた化石” と呼ばれる生物であり国の特別天然記念物にも指定されています。 かつては食用とされていたこともあり、調理の際に強い “山椒香” を発することから その名が付いたのだとか。

往古の伝承で “お化けハンザキ” の退治と それにまつわる鎮魂・慰霊が由来とも伝わりますが・・。 その異形の姿と静謐な佇まいに昔の人々は神性を感じたのかもしれませんね・・。

そもそも山間の清流に棲む山椒魚、旭川には今も生息しています。神社に隣接して山椒魚の生態に詳しい「はんざきセンター」もあります。湯原温泉にお出かけの際は立ち寄られては如何でしょうか・・。


例年8月8日に催される「はんざきまつり」

『湯原温泉 & はんざきセンター』 真庭観光WEB

Amazon:『たたら製鉄の歴史 (歴史文化ライブラリー)』

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