稀にですが、「趣味を持つならどんなものが良いか?」などと聞かれることがあります・・。 およそ私と近い年代・・そろそろ定年も間近に些かの時間の余裕ができて・・、ふと、どう時間を潰そうか? これから先20年ほどの間 有意義な時間の過ごし方はあるだろうか? などと考えるのでしょうか・・?
とりあえず、何か目的やテーマを設けての ご旅行や行楽をお勧めしています。長年連れ添った奥様や家族との慰安にもなるし、想い出作りにもなるし、何より行楽に出掛けるのが嫌いな人は少数でしょうし・・。 只、裏を返せば当たり障りのない提案といえなくもないかもしれません。
何故なら “趣味” なんてものは人から勧められて始めても長続きしない場合が多いのです。 そもそも自ら何かに興味を持つところから始まるものですし、興味のない人からみれば、中々理解できない こだわりを凝らすのが趣味というもの。
趣味云々というより先ずは興味を抱けそうなもの、好きになれそうなことを探すのが先でしょうし、無ければ無理に始める必要もないと思います。手間も時間も・・そしてお金も掛かりますしね・・。
・・で、そういうお前はどうなのか? と問われれば・・。難儀な事?に道楽性です。 およそ子供の頃からそうだったようで “グリコのオマケ” もやたら集めましたし、模型作りにも精を出しました。(インドアな趣味ばかりだったので、その分スポーツ方向は疎かになりました (^_^;)
その後も、またこの歳になっても道楽性は治ることなく、年替わりで、日曜大工にレストア趣味にオーディオにカメラに小物の蒐集にと・・、カミさんも呆れる無駄な時間と散財を続ける毎日です・・。
つまるところ、端からみれば無意味と思えてしまいそうな行為こそ、趣味の醍醐味と言えなくもない・・し、実際 多くの場合、趣味の結果は当人の自己満足でしかないのですが・・。
何事も常人が追い付かないレベルまで極めると、それは確かな足跡として残り、時に文化遺産の領域に達するのでしょうか。
宮城県石巻市、石巻市博物館で『毛利コレクション特集展「マッチラベルコレクションー広告とデザインー」』が開かれています。
“マッチラベル” ・・。 マッチ箱というものが普段の生活から姿を見せなくなって久しい現在。もしかすると20歳代位の人になるとキャンプでもしない限り、マッチなんて触ったこともないかもしれませんね・・。
昭和も50年代位までは何処の家庭にも一つや二つ転がっていたものですし、ガスコンロや釜の自動着火が普及する以前は、大抵、大箱のマッチが常備品のひとつでもあったように思います。
百円ライターが普及し、レバーやスイッチを軽く操作するだけで火が点く便利な世の中になると、マッチは防災グッズやアウトドアなど一部の用途を除いて、第一線を退いていきました。 現在も販売されているとはいえ、最早 過去のアイテムとなりつつあるのです・・。
しかし、明治9年(1876年)に初めて国産化され軌道に乗ったマッチ製造は、躍進する時代の必要にも合致して、瞬く間に重要な産業となり、当時の輸出品の一翼を担うまでになったそうで・・。
それまで紙や枯れ草などに火打ち石で火を点けていた頃に比べれば、比較にならないほど便利な道具。一般社会にも急速に普及し、以来100年もの間 手軽に火を点すために欠かせない商品でもあったのです。
一般に普及し大きな需要・流通が生まれれば、そこに創意工夫が付加されてゆくのが世の常。 日本のマッチ製造においては明治の早い段階から、その箱面に様々な意匠が凝らされたそうです。
平面であり図柄が描きやすく、普段から身近にあるものだけに目にも付きやすい。テレビなんてものの無い時代、言ってみれば これ以上ないほど理想的な広告ベースだったのかもしれませんね・・。
「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて言葉が昭和時代にありましたが、広告もまた世の流れにつれて売り込む物、売り込み方、その表現方法など止めどなく移り変わっていきます。 世の中の方も溢れる商品やサービスに応じながら、変化を続けていきます。
いうなれば “マッチラベル” は、その時代ごとの世を表す写し鏡ともいえるでしょう。
実際に眺めてみると千差万別、玉石混淆、千変万化、本当に飽きることがありません。(まぁこれも興味ある目で見ればですが・・)
そのデザイン性ゆえに “マッチラベル” のコレクターはかなり古い時代からあり、世界的なコレクションホビーとなっています。 歴史ある “Sotheby’s / サザビーズ” オークションなどで高額落札などもされ、そこまでハイレベルでなくとも、国内ネットオークションなどでも常時数百点の出品がなされています。
本来の機能をよそに、その意匠に独自の美術性と文化が芽生えた “マッチラベル” 。
『毛利コレクション特集展「マッチラベルコレクションー広告とデザインー」』では、8万2000点 ものラベルが展示されます。
この膨大な蒐集を成したのが表題にもある石巻市出身の毛利総七郎氏(1888~1975年)。
子供の頃から好奇心旺盛な性格で、小学生の時に万石浦の沼津貝塚で2個の鏃(ヤジリ)を見つけたことで考古学に興味を惹く持ち、以降 私財を投じて発掘調査に打ち込み、数百点に及ぶ土器や骨角器を取り上げました。
興味は地元遺跡の発掘のみに留まらず、国内の民俗学資料、アイヌ関連の資料蒐集・研究にも及びました。その量・質ともに個人レベルでの内容をはるかに超えており、民俗学者として著名な柳田國男氏とも親交を持たれていたといいます。
他にも “古文書”、”矢立(昔の筆記用具)”、”根付(今で言うストラップ)”、”煙管(キセル)”、”仙台ガラスの小品” など蒐集は多岐にわたり、その一部はスェーデン王室に献上されたり、アメリカの美術館に寄贈されるなど国際的なつながりを結ぶなど、当時から大きな広がりをもって知られていたといえるでしょう・・。
昭和45年(1970年)長年に渡って積み上げた功績に対して瑞宝章に叙勲されたとき、「単なる趣味、道楽ですよ。それが勲章をいただくなんて・・」と恐縮されていたそうです。
いうなれば “好事” も突き詰めれば大きな文化遺産となる。ということかもしれませんね・・。
蒐集品の総量はおよそ10万点にも及ぶともいわれますが、その内の8割を越えるのが 今回の特集展で展示の運びとなった “マッチラベル”。 毛利総七郎氏が子供の頃から集め始め、以来70年越しのコレクション集大成でもあります。
先にも書きましたように、70年分、否、それを超えて紡がれたマッチラベル広告の変遷、広がるデザインイラストの小宇宙、その目でとくとご確認ください。
・・それにしても、およそ70年で8万2000点・・、平均で年1170個程、毎月100個近く蒐集していかないと集まらない数です。並大抵の熱意ではありません。やはり何事もやるからには徹底的に・・ということでしょうかね・・w。