数多巡霊場の中でも慎ましやかな道 – 長崎県

少し古い資料からの引用で恐縮ですが、長崎県 東長崎商工会の広報コピーに次の文言が見られます。

「楽しくさるいて、お話ししましょう♪」

商工会の中でも女性部の企画によるものなのか、誠に心安く和気あいあいとしたコピーであり、内容の方も主に散策と地元産品での食事・買い物、そして交流が中心となっています。 のどかで気候の良い季節には楽しいイベントでしょう。

因みに “さるいて” とは “さるく=ぶらぶら歩く” の意味だそうです。気負わず楽しみながらの散策によく合う方言ですね。

 

さて、何故この古いイベント資料の話を持ち出したかというと、その内容、散策の場所が長崎市南東部 茂木(もぎ)の『茂木四国八十八ヶ所』、少しマイナーな霊場巡りとなっているところに惹かれたからです。

マイナーなどと申して地元の方には叱られるかもしれませんが、流石に全国に知れ渡る本家 “四国八十八ヶ所” 霊場ほど知名度は高くなく、また豪壮な寺院が建ち並ぶわけでもありません。

しかし、大半が 町角や山道の小堂拝所(小さなお堂・祠)で構成される茂木の八十八ヶ所は(それぞれ本山寺院は存在します)、蕭然としながらも 本家にはない身近さ親しみやすさに溢れているのです。

茂木の特産 枇杷

私見ながら、大きな寺社も見どころが多くて魅力的ですが、町家に紛れて建つ小振りなお堂や、緑に包まれてひっそりと佇む祠は、人々の慎ましやかな願いや祈りが自然に息づいているようで とても好きです。『茂木四国八十八ヶ所』もそういうスタンスで臨まれるのが良いかもしれません・・。

総距離はおよそ80km程でしょうか。 1000km以上ある四国遍路からみれば相当に短いですが、それでもかなりの部分を山間が占め、徒歩が基本の巡礼では数回に分けた参加が必要でしょう・・。

各霊場の詳細な場所や画像については、長崎市役所のサイトから配布されているので参考になさってください。(PDF形式)
コチラから、長崎市役所(1~22番霊場)  ・コチラから、長崎市役所(67~88番霊場)

 

ところで この『茂木四国八十八ヶ所』、歴史の方は・・? と問えば、そこまで古いものではありません。また高僧や修験者によって開かれたものでもありません。

明治30年、当時の茂木でせんべい屋を営んでいた吉松万吉氏が、当地に四国と同じ八十八ヶ所霊場を築くことを思い立ったことに始まります。

身近に遍路を辿り徳を積むことができ、年老いた者、遠き地まで出向くことができない者でも巡礼が可能な “ご当地八十八ヶ所” は “地遍路” とも呼ばれ、当時の人々の望むところでもありました。それだけ四国八十八ヶ所の威光が全国に届いていたということでもありましょう・・。

半生を賭して取り組んだ勧請であったものの、大正14年 志半ばに万吉氏は逝去されました。しかし その意志はご家族が引き継がれ、昭和4年 全八十八ヶ所の開創が成ったのです。

四国八十八ヶ所巡礼においては それに参拝できない場合、各霊場の砂を持ち帰り踏むことで、当地に巡礼したのと同じ徳を積むことができる “お砂踏み” という習わしがあります。 この『茂木四国八十八ヶ所』でも各霊場に相当して四国の砂が埋められているのだそうで、弘法大師の遺徳を正当に継ぐ聖地となっているのでしょう・・。

比較的マイナーであるがゆえに、個人単位での遍路には事前の下調べなどが必用ですが、冒頭にも置きましたように、時に応じて茂木八十八ヶ所のウォーキングイベントなども開かれます。 一日で全て廻れるわけではありませんが、こういったイベントに参加されるのが安心の取り掛かりといえるでしょうか。

緑深まる季節、味わい深い遍路の旅を考えられるのも良いかもしれませんね・・。

 

本日は、殆ど一個人の想いから始められたともいえる、瀟洒な “地方の八十八ヶ所” の記事を書かせていただきましたが・・。

「茂木四国八十八ヶ所」画像©長崎市役所案内から

実は長崎県には他に長崎市街地を中心に広がり医王山 延命寺を第一番霊場とした「長崎四国八十八ヶ所」もあります。 仏閣やお堂、また霊場跡など様々な形態の霊場が並び、こちらはこちらで見どころも多く興味深い遍路となっています。

さらに “八十八ヶ所” の名を冠した霊場は、九州内で8ヶ所、全国でみるとおそらく150ヶ所からの弘法大師遍路が開かれています。
その他、観音菩薩、薬師如来、不動明王、地蔵菩薩、そして修験道関連の連番霊場まで含めると、数百ヶ所の巡礼地が存在することになるでしょうか・・。

まさに、日本全国 どこに行っても巡礼霊場はある・・な状態なのですが・・。

 

これには、先ず何より『茂木四国八十八ヶ所』がそうであったように、身近で誰もが遍路につけて大師の徳に触れられる・・という願いから開かれたというところが大きいでしょう。 北海道にも全域を擁する(総距離 一説に3000km!)「北海道八十八ヶ所霊場」があります。

そしてそれと同時に 全国に数多ある霊場形成の背景には、多少なりとも寺院側・お寺さん側の事情も影響しているようです・・。

多くの霊場が創開されていったのは主に江戸時代も後半から以降のこと。 寺院ともいえ経済活動とは無縁ではいられなくなったことが理由のひとつといえるでしょう。昨年「坊様は坊様なりに大変でした」でも書きましたが、宗教団体として生き残るにはそれなりの規模拡大や信者・参拝者の拡大を必要としたのです。

そして今ひとつ大きな転機が、明治時代に仏教世界を襲った “廃仏毀釈運動”。 各地の仏教寺院や貴重な文化財は大きな痛手を被りました。

後年、仏教界が復興を辿る中で一部の寺院や信仰者は、霊場巡りなどの新たな形態を通じて仏教の伝統を守り、信仰を維持する努力を行っていったのです。 霊場巡りは、仏教の伝統や信仰を守りながら、新たな形で信仰を維持する手段として重要な役割を果たしたと考えられています・・。

 

世の流れも色々なら そこで生きる人々も色々。そして、お寺さんも色々な理由と願いを抱えて日々歩んでいます。

人の生きるところには想いがあり願いがあり、そして祈りがある・・。 やはり心静かに霊場巡りでもしてみるべきですかね・・。

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