龍の目が開きノギの王子も目覚める – 秋田・岩手県

秋田県の東部と岩手県の西部、つまり両県の県境を跨いで「八幡平」という山地が広がります。間違いやすいですが “はちまんだいら” ではなく「はちまんたい」と読みます。

住所的には秋田県仙北市や鹿角市、岩手県八幡平市に含まれるところとなり、山域として見るなら秋田県・岩手県ともどもおよそ半分ずつといった感じでしょうか・・。

100万年程太古、活動を繰り返していた火山群によって形成された山地でしたが、その後の地形変化により なだらかな山容となり今に続いています。

秋田焼山(あきたやけやま)、畚岳(もっこだけ)、諸桧岳(もろびだけ)などを有し、1500メートル級の山頂から見晴らす景観は明媚を極め、それは古代 坂上田村麻呂の伝承にさえ届くとされているほど。(八幡平の名もこの伝承からといわれています。) 秋田・岩手両県の人々にとって誇りであり愛される山々なのです。

 

4月も中盤には秋田・岩手とも気温も緩み本格的な春の到来。山を覆っていた雪も少しずつ解けはじめるでしょう。降りる水も清らかに新たな芽吹きのシーズンが近づき、八幡平にも春がやって来ます。

しかし、さすがは東北の山々、新芽を覆う雪はまだ其処かしこに残り続けています。 草花をしのいで新緑の季節が訪れる5月の末になってもまだ、白銀の世界を見ることが少なくないのですが、そんな中、八幡平山頂付近(秋田県側・仙北市)に ひとつの神秘的な情景が現れます。

“火口湖沼郡” の一景、直径50メートル程でしょうか、山頂の開けた一画 “鏡沼” に 巨大な “龍の目” が出現。 その名も「八幡平 ドラゴンアイ」、雪の山肌にドーナツ状に澄んだ水が取り巻き、まこと龍の目の如く不思議な佇まいを呈します・・。

 

一見 リング状の窪みに水が溜まり、周囲と中洲に雪が残っているだけのように思えてしまいますが、ドラゴンアイの生成には別のプロセスが働いているようです。

先ず 5月の初旬から中旬にかけて当地の窪みに大量の雪解け水が流れ込みます。 これによって それまで積み固まっていた “雪氷” が中央部で盛り上がり浮き上がる形となります。 さらに時が進むに従い、雪氷の中心のみが溶け始め “瞳” の部分を形成するに至るのだとか(2重のリング)。

よって「八幡平ドラゴンアイ」が見られるのは、気温と状況が折り合う5月の下旬から6月の中旬にかかる、1〜2週間の間だけなのだそうです。

自然の作用・結果であるため、必ずしも真円2重の姿に仕上がるとは限りませんが、相応に形作られたときに見るその姿は、”龍の目” の名に恥じない神性さえ感じられるのではないでしょうか・・。

隣接して小沼が二つ並んだような「めがね沼」があり、水を湛えるとドラゴンアイから点々と連なるように見えることから “龍の涙” とも呼ばれたりするそうです。

八幡平山頂付近は公園地として道路も整備されており、レストハウスや展望テラスなどもあります。 車でも気軽にアクセス可能な場所ですが、季節や天候により通行に規制がかかることもあるので注意してください。

 

さて、”八幡平” から岩手県側、県境を挟んで岩手県民の誇りでもある「岩手山」、標高2080メートルの成層火山であり、県民から “岩手富士” とも呼ばれ愛される雄大の山・・。

この山に連なる「ノギの王子」という岩手山開山伝承を置いておきましょう。

『ノギの王子』

遠く時代さえ定かでないような その昔

いつの頃からか 山の方から目も眩むような大鷲(オオワシ)が現れ
この地の田畑を荒らすようになったと

村人たちは棒杭を振り石を投げて この大鷲を追い払おうとこころみたが
何せ相手は空を飛ぶもの 中々どうにもならん

そんなとき 南の方からひとりの若い男がこの村に流れ着いた
見るからにみすぼらしいなりで家族も連れておらぬ様子

ちょうど良いとばかり村人たちは この男を村に置くかわりに
大鷲を払う田畑の見張り番として立てることにした

食い扶持をもらえるならと この男も見張り番を引き受けたが・・

やはり大鷲相手では思うようにならん
あっちに追いかけ こっちに追い回してもヒラリヒラリとかわして
まるで嘲笑うかのように飛び回りよる

挙げ句 畔にいた童を鷲掴みにすると舞い上がって山の方に飛び去ろうとする様子・・

 

これはいかんと 男は棍棒を手に大鷲を追いかけた

すると 童を掴んだままの大鷲
ヒラリと羽ばたいては 男の一町ほど先に舞い降りよる
男が追いつきそうになると また羽ばたいて一町ほど先に・・

小馬鹿にしたような大鷲の振る舞いに男も意地になる
何より子供を救わねばならん

繰り返し繰り返し 追いかけ追いかけ
男はついに山の腹にまで来てしもうたと・・

 

すると山肌の大きな岩に舞い降りた大鷲 やにわに光りだしたと

これはどうしたことと身を固まらせる男の前で
その姿を神々しい翁の姿に変えた

「ワシは この山の魂氣であり神霊である この日の戯れはお前を導くためになしたこと・・」

厳かな声で続ける

「下の里には人も増えたが この山はいまだ開山しておらぬ」
「お前にノギの王子の名を与えるゆえ これよりはお前が頭となり この山を開山せよ・・」

それだけ言うと童を抱えたまま その姿を掻き消してしもうたのだと・・

 

あまりの出来事に 我も忘れて山を降りてきた男

しかし男が目にしたものは・・
荒らされたと思っていた田畑は 何ら傷痕も残っておらず
苗代の一本に至るまでもとどおり 青々と伸びておる

そして 畔のたもとには童がひとりポカンとした顔で佇んでおるではないか

駆けつけた村人たちに事の次第を話すと
大鷲を災厄だとばかり思っていた村人たちは 神霊の想いに驚き
以後 篤く山の神霊を祀ったのだと

男はノギの王子と呼ばれ山の祭礼のみならず
里の興隆にも尽くし皆から慕われたという
いわく ノギの王子の身上は坂上田村麻呂の血筋であったともいう

そしてその山は以降「巌鷲山(がんじゅさん)」と呼ばれることとなったそうな・・

ーーー

“ノギの王子” のノギが何を指すものなのか詳らかではありませんが、一説に “超常の者” や “神秘さ” を表す言葉だともいわれています。 また “禾(か)芒(のぎ):穀物の穂先の毛を指す文字” から、食の神に通ずる神霊という解釈もあるそうです。

そして「巌鷲山(がんじゅさん)」ですが、元の読みは「いわわしやま」であり、それが訛って「いわてやま・岩手山」となったという話もあり、今も「巌鷲山」は「岩手山」の別名として残っているのだそうです・・。

秋田の “龍の目” と岩手の “鷲の山”。同じ山域で境を背に、緑深き東北に息づく神話の片鱗でした・・。

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