日本最古の灯台に再び灯が灯る日 – 兵庫県

兵庫県の南側、瀬戸内・大阪湾に向かって開けた沿岸部は姫路市から神戸市、そしてお隣の大阪と連なって古き時代から物流・商業に盛んな地として賑わってきました。 中でも神戸から尼崎にかかる地域は商工業に長け、その姿は現在も変わることなく続いています。

そして、現在の神戸市灘区から西宮市にかけては、古来から酒造・酒蔵の聖地としても栄えてきました。京阪神を中心に全国へ、酒処としての灘はその名を轟かせています。

灘が酒造地として勃興した背景には六甲山由来の清廉な伏流水と、県内産 “山田錦” や “美山錦” など酒米の開発・供給という酒造りに好適な環境が揃った故ですが、同時に、地域の交易・人材の往来、海外技術の吸収など、新しく躍動的な文化が この地に早くから醸成されていた土地柄も寄与しています。

酒造りに隆盛した時代、五つの主なる酒造地を「灘五郷(なだごごう)」と呼び、西から「西郷(”沢の鶴” “金杯” など)」「御影郷(”白鶴” “剣菱” “菊正宗” など)」「魚崎郷(”松竹梅” など)」「西宮郷(”日本盛” “白鹿” など)」と東に並びます。 そして最も東側に位置する酒造地が「今津郷」酒造メーカー「大関」が本社を置く酒蔵です・・。

 

“酒は大関 心意気”・・ 江戸時代中期、1711年といいますから300年を優に超える歴史。辰馬、山邑、嘉納など各家と並び 五郷旧家の一角を成す長部家・大阪屋(屋号)長兵衛による創業。「萬両」と銘した高級清酒を製造、後の明治時代に「大関」を発表、主力銘柄として日本中に広めていき、後の社名にもなりました。

“横綱” ではなく敢えて “大関” としたのは、最高位を目指し続ける心意気を名で表したのだとか・・。

創業初期、当時 陸路での酒荷運搬には時間が掛かり酒の品質が落ちてしまうことも多々・・。そんな中「大関」を含む灘五郷では港を擁する地の利を活かし、樽廻船(たるかいせん)と呼ばれる海路を使って江戸方面に酒荷を送りました。短期間で安定した品質の酒が届けることが可能となり、元々の鮮度・美味を落とすことなく江戸方で喜ばれた灘酒は、上方から下りてくる酒「下り酒」の名で珍重されたといいます。

因みに、こうした “下りもの=高級品” という当時の認識に転じて、”粗悪なもの・役に立たないもの” を指して “下らない” という言葉が生まれた・・という説もあるのだそうで・・。

 

さて、廻船・海運となれば欠かせないのが船の運航上の安全確保。
今津港に接岸する樽廻船のために「大関(当時の大阪屋)」が私費をもって今津港の突堤に建てたのが『今津灯台』です。 五代目 “長部長兵衛” によって1810年(文化7年)に設置され、1858年(安政5年)六代 “長部文治郎(七代以降襲名)” の手で再建されました。


明瞭な灯りが横溢する現代にあっても夜の海は危険がつきもの。まして沿岸部にさえ殆ど灯りが灯らない時代、ほのかに見ゆる河岸の灯は船乗りたちにとって何ものにも代え難い希望の灯りであったでしょう。

当時のものですから現代の灯台に比べると、その規模は比較にならないくらい小規模なものではあります。電気などない時代であり、油で灯りをとるいわゆる行燈灯台でした。日毎、大関に奉公する丁稚さんが二合の油を手に灯火に通ったそうです。 しかし、讃岐国金比羅宮の神威を頂き、数え切れない船の運航と安全を見守り続けた今津灯台は、船乗りたちからはもとより地元の人々からも愛され「灯篭」の名で親しまれたのだとか・・。

 

そして今、何より驚きなのが この灯台は現役の施設として機能しています。
海上保安庁の海図にも認定される “日本最古の現役灯台” なのだそうです。
さすがに現在、油で行燈ではありません。大正時代に電灯へと換装され、現在は周囲の明るさに応じて点灯させるセンサーも装備されているそうです。

しかし、建立から214年、再建灯台からでも166年(2024年現在)。 今津の港を照らしてきた灯りは、陸路運送が高速化され港の機能が積荷からレジャー用途へと移り変わった現在でも、変わらず行き交う船の安全を見守り続けているのです。

明治17年には今津灯台の社会的貢献に対し7代文治郎に藍綬褒章が下賜され、昭和49年には西宮市指定重要有形文化財に指定、令和2年には日本遺産の一部としても認定されました。 江戸時代、明治、大正、昭和、平成、令和と数多の時代を見つめ生き続けてきた灯台は、今も尚その役割を果たしているのです・・。

 

2023年(令和5年)兵庫県により かねてから立案されていた津波防災計画に伴い、対岸への移設作業が始まりました。 周辺水域には新しい水門と統合排水機場が建設され、有事への対応能力が強化されます。灯台そのものも旧来の場所から2.5m高い位置の設置となりました。

2023年9月1日から作業が始められ、本体木造部を一旦対岸の仮置き場へ移動、その後 石積み基底部を構成する91個の石を全て元通りになるよう移設先に組み直して構築。12月19日に木造部を据え直して移設が完了しました。重さ4トンにもなる木造部は解体せず、そのままの形でクレーンと台船で移動したそうです。

当初、灯台の再点灯を本年(2024年)2月初旬としていましたが、基底石組の解体中に想定していなかった石柱の基盤が見つかり 構造確認を施していたためずれ込み、正にこの記事が載る3月末から4月前半の再点灯となる予定です。

「大関」の担当者によれば「丈夫な構造が分かり、先人の知恵を感じる。外観は寸分たがわず復元され、文化財の価値を保ちつつ地震にも強くなった。次の100年も港を照らせる」(神戸新聞) 
とのこと・・。

200年の時を照らし、今また新たな100年の灯りに旅立たんとする『今津灯台』
新設置場所の近辺は緑地公園にする計画もあるのだとか・・。お近くにお寄りの際はぜひご一見お立ち寄りのほどを・・。

『大関酒造 今津灯台』 大関公式サイト

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