やはり金は金から?八畳敷話の元と妙 – 熊本県

本日 先ずはこちらの歌をお聴きください。「Shall We Gather At The River」日本名「まもなくかなたの(彼方の)」という賛美歌です。

アメリカ・バプテスト教会において1800年代に作られた聖歌のひとつで原題直訳(川辺に集まりませんか)。神の傍らに流れるきれいな川の畔に皆で集まり聖心に満ちたひとときを過ごしましょう・・と謡った歌。 キリスト教に興味があるか否かはともかく清廉な気持ちが伝わってきますね。先日ご案内したヴォーリズ氏も口ずさんでいたかもしれません。 ~「まもなくかなたの」歌詞 ~

ところで この歌・・というか この曲調、どこかで聞かれたことがありませんか? おそらく日本人のかなり多くの人が一度は耳にしたことのある、あの歌の元歌なのです・・。


(一部、放送禁止用語?のために処理がなされていますw)

 

神とその祝福を讃えるべき清らかな歌を、獣の下半身などに換えるとは言語道断!・・かどうかはともあれw、何故こんなことになったかというと・・。

明治時代にこの歌が日本に伝わって以降、そのテンポと曲調の分かりやすさ・楽しさから好まれ、さりとて英語は難しくキリスト教にも特に興味がないため、様々な日本語歌詞に替えられ歌われることとなりました。昭和12年には「タバコやの娘」という替え歌が大ヒットとなった記録もあるそうです。

現在でも家電量販店のCMソングとして用いられるほど人の耳に馴染みやすいのでしょうね。「たんたん狸の・・」の歌も そうした背景から生まれた民間替え歌のひとつなのです。

 

ということで(何が、ということなのか微妙ですがw)、本日は狸の下半身にまつわるお話を、熊本県 鹿本(福岡にも接する北端・現在の山鹿市) からご案内したいと思います・・。 その名も『たぬきのキンタマ』(原題)・・何と言うかそのまんまですがヨロシク(^_^;)

ーーー
『たぬきのキンタマ』

昔々のことなれど・・

ある日のこと ひとりの六部(巡礼の旅人)が鹿本のだだっ広い野原の中を歩いておったとな

慣れた旅の空とはいえど日も傾き 辺り夕暮れの頃には心細うなってきよる おまけに四方八方 里らしきものはおろか一軒の草堂さえ見当たらん

「こりゃ困ったのぉ 日は暮れるし何処かに家はねぇもんか・・」

今さら来た道を戻るわけにもいかんし さりとて なんぼ前向いて歩いても家は見つからん 些かの林のまわりには夜闇さえしのんで来ておるようじゃ

「ほんなこつ こりゃ どぎゃんすっと 今宵は野宿ばせにゃならんとか」

あてのない道 足取りは重うなるし息も切れる
こりゃもう野宿を囲うほか なかろうかと諦めかけた そのとき・・

林の向こう 遠く離れたその先に灯りがひとつチラチラと見えるではないか

「ハァ こりゃ助かった 今宵はあすこで宿を借りようか」

ホッと胸を撫で下ろし 元気を振り絞うて灯りのもとへ歩いて行ったと・・

 

着いた先には一軒のお堂が建っておったと
大きなもんではねぇが立派な造り 六部がひとり雨露しのぐにゃ充分じゃろうて

「しまいなったか 旅のもんじゃて・・」

声を掛けてみたものの誰も出てきそうな気配もない 留守にしよっとかのう・・

六部さん わらじを脱いで上がってみると そこはきれいな畳敷きになっておりロウソクが灯る燭台が一丁 奥には大きなお地蔵菩薩さんが据えられておったと

 

ゆらゆら揺れるロウソクの灯に照らされて 大きなお地蔵さんの影が天井にまで伸びて尚のこと大きく見ゆる

「すまんばってん 今宵一晩の宿ば貸してくりょう」

お地蔵さんに手ぇ合わせて ふと辺りを見回してみると
傍らに一本の火鉢が置いてあり その中には炭火までおこっているではないか・・

「こりゃぁ有り難ぁこつたい ・・にしても今まで誰か居ったんじゃろうか・・」

不思議に思いながらも火鉢に手をかざしてみれば確りと温かい
旅の疲れを癒やすように六部さん しばらく温もっておったと・・

 

小半時ほど温まった六部さん ふと股引きが破れておったことを思い出した

「そんならいっちょ 治しとかんといかんばい ちょうどロウソクの灯りもあるけに・・」

六部さん 懐から針と糸を探し出すと さっそく股引きば脱いでチヨチヨ縫いはじめたのだと

そんで片方ば縫い終わったんで 股引きば裏に返そうと ちょっとの間
針をば畳に刺したのだと

そのときじゃった・・

 

「ん・・?」

眼の前に立っておる お地蔵さんの顔がピクっと引きつったように見えたのじゃ

「ん ん~?」

妙な気もするもんじゃて 改めてお地蔵さんの顔をば覗き込んでも何もありゃぁせん スッとした顔をしてなさる

「はてよ こりゃおかしかばい・・」

今度はお地蔵さんの顔をばよくよく見ながら
先ほどの針を より強くより深くプスッと刺すと

「!」 やっぱりお地蔵さん ピクっと顔をば引きつらせよるではないか

 

「ありゃま こりゃ怪しかぞ もしかすっと・・」

六部さん 今度は火鉢の中から火箸でカンカンにおこった炭を拾い出し 畳の上に置いたのだと・・

その途端! けたたましい叫び声とともに辺りは真っ暗闇になって・・

気がついたときには お地蔵さんも無ければお堂も消え果てて
六部さん 野原の真ん中で尻もちついた塩梅になっておったと・・

そこで六部さん思い出したと

「あぁ 確かにありゃ八畳敷やったばい・・」

ーーー

よくあるタイプの昔ばなし、狸どんのイタズラ話でありますが、タイミングが悪かったか、はたまた火鉢まで用意する周到さが裏目に出たか、狸どん何もできないまま一方的に苦しめられた展開となってしまいました・・w。

ともあれ古くから言われるように “狸のキンタマ袋八畳敷” のお話、冒頭でご案内した「ぶ〜らぶら」の歌とも相まって、脚色された狸のイメージポイントともなっています。信楽焼の狸の置物でもまさにステータスシンボルですよね。

・・何故、狸というとキンタマ&袋(陰囊)が大きいになるのでしょうか? 実際の動物としての狸にあっては他の小型動物と同様、割りとこじんまりしているそうなのですが・・。

 

実はその謂れのはじまりは江戸時代の金箔細工にあったといわれています。

現在でも金箔は、伸ばした金の薄板にさらに打圧を加えて極限まで伸ばし広げて作られるのだそうです。最終的には1万分の1ミリにまで均一に薄くなるのだとか。 熟練の技とはいえ そこまで破れずに広がることに驚きですね。

江戸時代でも製造方法は基本同じで、槌で叩いて伸ばしていきます。 そのとき金箔を直接叩くのではなく “狸の薄皮” に挟んで叩いていたのだそうです。(陰囊部分とはされていません)

叩いて薄くなればなるほど その面積は広がってゆくので、それに連れて皮も伸びる必要があり、狸の皮はその用途に打って付けだった模様。金箔と同じくどこまでも伸びる素材と重宝されたそうです。(現在は紙を大きさを変えながら用いるそうです)

こういった背景から “狸の皮はやたら伸びるもの” と、性的シンボライズでもある部分が結びついて「狸の・・八畳敷」俗説が生まれたのでしょうね。

それが俗説にせよ世に伝わる伝承には、何かしらその端緒になる理由があるということでしょうか・・。 まぁそれを異国の賛美歌に結びつける民衆の遊び心も呆れるほどですが・・w。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください