花田植えに舞う早乙女は人と神をつなぐ

5月も半ば、何はさておき大事なことといえば・・ “田植え” です。
などと言えば「??」になってしまうでしょうかねw。 田植えなんか農家の人の問題だろう? 確かにそうかもしれません・・。現在の日本では、田植えどころか “苗” を触ったことさえ無い人が大半なのですから・・。私もそうですし・・(イナバナとか言ってるくせにw)。

江戸時代が終わり 世が近代へと足を踏み入れてから、この国では稲作をはじめとした農業や漁業、すなわち第一次産業は主要産業の地位を失い、以後 縮小の道を辿ってきました。それまでは国の民の約85%が農民であったといわれています。(他・武士7% 商工5%) いうなれば稲作は国家の基幹産業であり、国そのものが “お米” の国であったといっても過言でない農業国家であったのです。

その稲作の第一歩である “田植え”(正確にはそれ以前の “田起こし” や “代かき” などもありますが)は、人々のお腹を満たす(人の生存に直結する)ための 最も重要な務めであり、社会基盤のスタート地点というべきものでもありました。

それだけに、古より人々は “田植え” というものに 特別な想いや願いを込めてあたったのです・・。

 

新緑の季節、日本人の心の故郷とも言われる田園風景、田起こし・代掻きの済んだ五月の田圃に田植え唄が聞こえる季節となりました。

広島県安芸の殿賀(とのが)で、ハレ(晴れ)の田植え衣装に身を包んだ “早乙女” が古式豊かなお囃子を後ろに、田植えを始める「殿賀花田植え」が例年5月の中旬頃に催されます。

「花田植え」とは主に西日本のいくつかの地域で古来より行われる田植え行事の呼び名で、その年の豊作と農作業の安泰を願い、又、昭和初期頃までは農作業に従事していた牛馬への供養をも併せて行う「大田植え」の流れを汲む祭事です。古くはその村一番の大田を村人総出で田植えをし、同時にそれは祭りの一つでもありコミュニティーの活性化にも大きな役割を担ってたのでしょう。

明治期以降、社会規模の拡大、生活様式の変化した現代では形式化・芸能化した「花田植え」ですが、日本人に欠かすことの出来ない`お米・稲作’に関わる重要な行事として今も各地で受け継がれ、その多くが国や自治体の重要無形民俗文化財となっているのだそうです。

 

菅笠を被り藍染の単衣に赤いタスキを結んだ早乙女さんが、田楽とともに ひと苗ひと苗、田植えを進める伝統的な振る舞いを披露するだけでなく、近隣の子供たちによる田植え体験も併せ行っており、農業文化の継承にも努めています。 又、面白い事に見物客から “飛び入り参加” を募ることもあって、日頃身近にありながら知る機会のない “米と米作り” の一端に触れる機会となるでしょう。

会場内テント村で行われるバザー、昼食交流会、そして主催の一端を担う安芸太田病院・寿光園による健康チェックコーナーなど、地域に根ざし来訪者にも楽しい構成となっているのだとか。
しかし、上でも書きましたように「殿賀花田植え」は例年5月半ば開催となっていますが、ここ数年はコロナウイルス抑制の観点から一般参加開催を見送っており、本年の開催も記事作成時点、広報が出ていません。一日も早い復活開催が望まれるところですね。

 

「早乙女」とは 当然 苗を植えてゆく女性のことを指しますが、頭につく “早” の文字は何を表しているのでしょう?  “早” は象形文字であり “日” の部分が文字通り “太陽” 、そして “十” の部分が “人または人の頭部” を表しています。つまり、人の頭上に日が昇り始める早朝時をいうことから転じて “早い” の意に用いられています。

・・が、同時に “人の頭上に輝く太陽” ・・の構図から思い起こされるのは・・「神」ですよね? 「早乙女」の “早” は “田の神” でもあり、「早乙女」とは神にまつわる者、神の意思や加護に仕える “巫女的性質” を持ち合わせています。 神に認められた乙女の手になる苗を人々の祈りとともに植えてゆくことに、この上ない意味が込められているのです。

また、(地域によりますが)田植えの前には「サオリ」という儀礼を行うことも多く、稲代から 2~3把かい摘んだ苗を、家の祭壇などに上げ田の神に豊穣を祈るのだそうです。おそらく “サオリ” とは「早降り」の転訛から来ていると思われます。

時に田楽なども併せて奉じられ、進められてゆく「早乙女・花田植え」。 人が生きてゆくために欠くことの出来ない食料、(江戸時代初期までの主食は米ではなく粟や稗であったということも含めて)古から続く稲作・農業の その年の第一歩、幕開けにかける人々の想いはひとしおであったのでしょう・・。

 

人口の8割以上が農業に関わっていた時代から時は経ち、大正時代後期において第一次産業に関わる人は全体の約半数。昭和の高度成長時代を期に激減ともいえる減少傾向を辿り、現在の一次産業従事者は “約4%” なのだそうです。

時代の趨勢に絡みながら人々の収入源が変わってゆくことは当然の流れなので、これを留める術などどこにもありませんが、食文化も変わり米食率も下がったとはいえ、まだまだ “お米” は日本人にとって大切な食べ物、天からの授かりものでもあります。 ”お米” や “農業” その文化を見直すきっかけに、こういった祭事を訪れてみるのも良いかもしれませんね。

晴れ渡った青空を映し、青々とした稲を抱く水田。そこには薄れつつある私達 日本人の心が宿っていると思うのです・・。

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