ハヤシもあったでよ 遙かなる地方の呼び声

 

「時代の変遷」「移りゆく時の流れ」などという言葉は、歴史関連の記事が多い当サイトでも時折 顔を出す言葉ですが、大仰な時代物語ではなく、人が自らの普段・日常生活において この事を意識するのはやはり中高年以降のことではないでしょうか。

言い換えれば、それだけ自分の感覚や認識が現在の世相からずれている、追いついていないことに改めて気付かされている訳なのですが、多かれ少なかれそれは致し方のないこと、現在の中高年のみならず、いつの時代も人は歳とともに時代の流れからは取り残されてゆくものなのでしょう。

自分の感覚では当然であったことが知らぬ間に世間からは忘れ去られてしまっている、ということは往々にしてあることです。 そして新しい流行や枠組みには中々馴染み難い、というのも適応力・順応性の低下の表れとも言えるのかもしれません。

 

とは言え、自分が慣れ親しんだ風俗(風習)や生活感が過去のものとなってゆく様を見ることは、やはり一抹の寂しさを覚えてしまいます。

時代はその進展のひとつに ”平均化” ”並列化” の方向性要素を持っているようで、独自の地域性といったものも時とともに薄らいでゆくようです。

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昭和の頃までは当然のように使われていた「方言」「訛り」も随分と薄れましたよね。

当然(例えば県ごと)に、ある程度の方言やイントネーションの特徴は現在でも残っていますが、少なくとも若い世代の人達からは確実に失われていっているように思われます。

面白いもので、これは若い人達以外にも影響を与えており、その地域の「方言度」が薄まってゆくと中高年層も徐々に方言を使わなくなってゆくという現象が現れます。 感覚はどうあれ人は世相に引き摺られてゆくもの・・ということでしょうか。

 

昭和40年代、日本中に轟いたひとつのフレーズがありました。

「ハヤシもあるでよ!」

株式会社オリエンタル「スナックカレー」のCMで使われたフレーズです。
50歳代以上の方なら憶えておられる方も多いのではないでしょうか・・

「メッチャメチャ 美味ぇでイカンわ・・」
「肉や野菜ぇがいっぴゃぁ入っとるでよ・・」

昭和の後半といえば まだまだ方言は地方ごとに根付いていたものの、既に当時の世相において露骨な訛りは「田舎臭い」「標準語が良い」的な感覚が広まりつつありました。

そのような時代にあって世の流れに逆行するかのように、ためらいもなく訛り丸出しのスタイルで日本中の注目と笑いを集めたのが、喜劇俳優であった 南 利明(みなみ としあき)さんでした。

横浜市の生まれながら幼い(3歳)頃に名古屋市に移り、そこで育った南さんは芸人で大成することを目指して上京、当時 既に喜劇界の大御所であったエノケンこと榎本健一氏の元へ弟子入り、赤貧を噛みしめながらも経験を積み重ね、やがて同じ喜劇俳優の由利徹(ゆり とおる)・八波むと志(はっぱ むとし)さんらと組んで「脱線トリオ」を結成します。

洒脱・・というより、南(名古屋弁)由利(宮城弁)八波(江戸っ子訛り)を 縦横に掛け合いながら魅せる珍妙なコントや漫才が、舞台で、そして 普及しつつあったテレビを通して全国に広まっていったのです。

”笑い” のために “訛り” を取り入れ駆使した彼らでしたが、それは単に訛りの奇抜さのみに寄り掛かったものではなく、訛りの持つ親しみやすさや暖かさを十分に理解した上での芸風だったのでしょう。

 

方言 / 訛り というものは地域に密着したものですから、例えそれが視聴者とは異なる地域の訛りであったとしても、そこに 地元に根付いた感覚、特別ではない身近な存在を感じさせる大きな効果があったのだと思います。

「脱線トリオ」は正式なトリオではなく一過性のユニットとして組まれたもので、その活動期間は僅か5年程と短い間でしたが、その期間中には NHK の人形町「チロリン村とくるみの木」にも声優として出演を果たし新境地を開くなど、トリオで培った経験と技はその後の活動に大きな力となり、それぞれ活躍の舞台をテレビや映画へと広げてゆきます。

南さんは、昭和37年に放映開始 6年に渡って人気を博した長寿番組「てなもんや三度笠」に、軽妙なトークと動きで目を引く “鼠小僧” 役で出演 お茶の間の人気を不動のものとし、後のアニメーション「幽霊城のドボチョン一家」ではドラキュラ役の声優として、更にドラマや映画ではシリアスな演技もこなすなど多才を発揮しました。

上記 オリエンタルカレーにおける彼の演技・演出は、喜劇俳優としての集大成にも届く渾身の “一劇” だったのかもしれませんね。

南 利明・脱線トリオ と時を前後して多くの喜劇人が名を上げ、昭和に爆笑の足跡を残しました。 脱線トリオの後を継ぐかのように現れた「てんぷくトリオ」、”今週のハイライト!” で知られた「漫画トリオ」、後に俳優としての側面を強めながらも独自のキャラクターで親しまれた「財津一郎」・・

彼らはそれぞれに「脱線トリオ」とは異なるアプローチで笑いを創造してゆきましたが、やはり そこに有るのは「脱線トリオ」が多用した ”訛り芸” と同じく、珍奇さと親しみやすさという一見 背反する要素の両立だったと思うのです。

下積み時代の苦渋に喘ぎながらも、何が求められ何が人の心に届くのかを模索し続け ついに編み出した彼らの技法は、全国の視聴者の心を鷲掴みにしました。

いつしか時代の変化とともに それらの技法も過去のものとなり、演芸のスタイルそのものさえ すっかり様変わりしたように思えますが、彼らの残した “心に届く笑い” という偉大な遺産は、現代の芸人さん達にも大きな影響を与えているのでしょう。

 

関西弁(ある意味 大阪弁に近いもの)は 喜劇文化の背景からか、ユニークさ、もしくは親しみやすさからか、今日では広く認知され(曖昧な形ではあるものの)定着もしていますが、他の地方・地域から失われてゆく方言・訛りが再び復活して定着してゆくということは現状 考え難いことでしょう。

時代に流され消えてゆくものが全て古く役に立たないものなのかといえば、そういう訳でもなく、そこに宿る ”本質” を見極めれば、時代を超えて有用なものも沢山有るような気がします。

本日は “訛り” をポイントにお話を進めましたが、皆様も一度 お住まいの地域、故郷の “訛り” に思いを馳せてみて下さい。懐かしさとともに意外な発見があるかもしれません。

最後に、あまりにも有名となった 上記カレーCM を下地に、後年造られたパロディーCM 動画を置きまして終わりとさせていただきます。 本日も有り難うございました。

赤城乳業 カレーアイス 「ハヤシはありゃせんぞ」CM

オマケ : ラジオCM 都道府県方言篇 SOFT99

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