飢饉の村とカラスの骨 アイヌの民話(後)- 北海道

 

親子の絆というものは 何ものにも代え難いほど特別なつながりをもつものと思いますが、親子であっても そこは別個の独立した人格、ものの価値観、判断が異なることは自然のことでしょう。

とは言うものの 半生を賭けて育て上げた我が子から あまりにも冷淡な仕打ちを受けた親心は腹立たしさを通り越して もはや情けなさで一杯と言ったところでしょうか。
おまけに事は村の飢饉がかかっているのでなおさらでしょう。

冷遇に耐えながら家の家宝まで差し出し、にもかかわらずカラスの骨などという何の役にも立たぬものを持たされ追い返されるかのように婿の家を出た妻でしたが・・・

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名主の家を出、妻は川沿いのもと来た道をトボトボと歩いた

兄妹の家の近くまで戻ると家に立ち寄った
身内でもないのに二日間泊めてもらい色々と良くしてくれた事にたいして重ねてお礼を言うためだ

名主の家でどうだったかと尋ねる兄妹に事の次第を話すと これにたいそう同情した二人は二つの袋一杯に肉や木の実など多くの食べ物を入れてくれると その上 荷は重たいからと妻の家の近くまで一緒に送り届けてくれた

 

妻が家に入ると夫は餓えから横たわっていて もう息も絶え絶えだった

いくらか ものを食べさせ人心地つくと妻は事の顛末を夫に話した
「あなたに言われたとおり あの名主に鍔(ツバ)を差し出しましたが 帰ってきたのは このカラスの骨だけでした・・」
思いつめた面持ちの妻の前 しばらくの間 黙ったままそれを見つめていた夫だったが・・

 

ふと顔を上げると
「それは良いものをもらったではないか!」 と微笑みカラスの骨を抱え立ち上がった

驚く妻の様子を尻目に 夫はすぐに沢山の木幣を作ると それとは別に香木の皮にカラスの骨を包み木幣とともに祭壇に祀り これに拝礼を捧げた (注1:後述)

夫のすることが解らないままではあったが 妻は妻でもらってきた肉を大きな鍋で料理し村の人々を呼んで皆にこれを振る舞った
おかげでこの村の者は皆 腹を満たすことが出来 餓死せずにすんだ

すると 不思議なこと この頃から 山に精気が戻り葉も実も生い茂り獲物も獲れるようになった  村にも夫婦にも元の生活が戻ったのだ
人々は狩りをし山菜や木の実を採り家事をこなす普通の生活が出来ることを殊の外喜んだ

 

ところが しばらく経った頃 意外な噂が伝わってきた

川下の村にどこからともなく多くのカラスが集まってきては人々を苦しめているそうな

山野のみならず 家の中まで入り込み人々の食料を食い荒らし 果ては人そのものにまで襲いかかって今にも村は滅んでしまいそうだと・・

この話に驚いた夫婦は村人たちと話し合った
飢饉の時 多くの食べ物を分け与え この村を救ってくれた若い兄妹を助けなければならない

すぐに村の若い者たちが先立って兄妹の家を探すために出立した

そして目指す家に着くと兄妹は怯えた様子で
「村の者は殆ど死に絶えてしまった もう恐ろしくて今日にでも逃げ出そうかと荷をまとめていたところだった」と涙ながらに訴えたそうな

「以前 我々の村を助けてくれたあなた達を迎えるためにここに来たのです」
若い者たちに導かれ兄妹は夫婦の村へとやってきた

 

兄妹が無事だったことに夫婦は心から喜び 妻は久し振りの再会に涙を流しながら互いの想いを語り合った

やがて 夫はこう言い出した
「あなた方に父母が居ないのならば 兄さんの方は私の養子に そして妹さんは妻の養子へとなるのはどうか」(注2:後述)
「そして 私達夫婦の家の隣にあなた方兄妹の家を建て 隣どおし仲良く暮らしてゆくのが良いと思うのだが・・」

夫のこの申し出に兄妹もまったく異存ないとのことだったので それから程なく近くに家を建て 本当の親子のように暮らしたのだと

やがて兄はこの村から気立ての良い娘さんを嫁にもらい、妹の方も立派な男に嫁ぎそれぞれに幸せな家を築いた

時が経ち それぞれに子も出来て 夫婦 義理の息子 娘 そして孫 と何をするにも連れ立って楽しく暮らしたのだそうな

 

ある日のこと・・ 妻が外に出ると庭先にかつて嫁いでいった自分の娘が立っているのを目にした

妻にはそれが何であるかすぐに解ったために・・ 尚のこと悲しい気持ちで一杯になったが その気を押し殺してこう言った

「親子の情 人の情を捨て不孝をなした者が 何故今さらここに来たのです」
「お前は不徳故に 誰からも供養してもらえない 自分で何とかするしかないのです」

そう言うと娘の姿はやがてかき消すように消えていった・・

「人の情に背くような悪い心を持ってはならない」

幸せな日々を送りながら やがていつかは来る寿命の日を待ちながらも 子たちに孫たちに こう言って諭す夫婦だったそうな

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(注1)何の役にも立たなさそうなカラスの骨をもらって喜び捧げる

一見、不可思議な反応のように思えますが、原典の注釈いわく ここがこの話の最大のターニングポイントで、この夫は博識であり情や信仰心に厚い人だったのでカラスが神のひとつであったことを知っており、これを祀ったことで事態が好転したのだそうです。
逆に「何だ!こんなもの!」と打ち捨てていれば飢餓を免れなかったという重要な局面ですね。

(注2)兄の方は私の養子に 妹は妻の養子へ

アイヌ社会では男子は男系の継手、女子は女系の継手という考え方があるそうです。
兄の方を夫の養子、妹の方を妻の養女とし義理の親子関係を築いたという形です。

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物語は大局にしてめでたしめでたし、な結末を迎えていますが、やはりひとつ気がかりなのが、実の娘が何故そこまで心変わりしてしまったのかということ、そして、不詳の娘であったとしても死して親の前に立っているのだから、せめて供養ぐらいはしてあげても・・と つい思ってしまうのですが、これには自然の中で厳しく、そして慎ましやかに生きてきた時代の本質的な教訓が現されています。
つまり、親子の絆は変え難く大事なもの・・ であっても、尚 それに増して人と人の繋がり、心の触れ合いは重きを置くべきもの、と言っているようです。

それに背いた者は たとえ親子であっても永劫の苦悩へ堕ちるという厳しく根本的な教えなのでしょう。

時代が変われば感じ方もその表現も変わる。

”昔ばなし” の内容もその表現が昔(ここ数十年前位)に比べるとずいぶんマイルドになったと言われます、昔は打ち殺されてしまったキツネや悲惨な最期を迎えたタヌキも現在では改心してめでたしめでたし、な書き方が多いとか・・

残酷な表現を避けるという意味ではそれも良いのですが、物語が本来持っていた 人が生きていく上での本質的なあり方と ”因果応報” という形での、その絶対的な教訓という意味では少々薄まってしまった感が拭えません。

実際、今回のこのお話も改変にあたって結構柔らかい表現を使っています。
どちらが良いとは一概に言えませんが時代が変わっても守るべき道筋はひとつ。

厳しさと優しさを上手く使い分けながら、時には物事の本質に目を向けてみるべきかもしれませんね。

参考 : 散文の物語 飢饉とカラス神 原典 PDF

* 本日の記事は2019年4月からのリライト記事となります。ご了承くださいませ。

 

 

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