早いもので、この間新年を迎えたと思ったら もう1月の終わりです。一年の十二分の一が過ぎてしまいました。短めの2月が末なら六分の一、4月が終えて春盛りになる頃には三分の一・・と、まこと “光陰矢の” 如く月日の流れを感じてしまいますね。
季節はまだまだ寒さ募る最中、新型コロナだのインフルエンザだのはびこる最中ですが、令和5年の春までもう一息、どうか皆様、それまで お身体に気をつけてお過ごしください。
“冬の日本海” といえば “吹雪舞う厳寒の海” “鉛色の海原” と、哀歌・演歌調のイメージを勝手に抱いてしまいますが、実際にはどうなのでしょう・・? 少なくとも晴れた日などには太平洋岸と変わらない穏やかな景色なのでしょうか? 冬季の日本海側に行ったことがないので分からないのですが、勝手なイメージに反して意外と爽やか・穏やかだったりするのでしょうか・・。
古く “裏日本” などという呼称があったため、妙なマイナスイメージが付いてしまったのかもしれませんね・・。
昨年 夏にご案内した 島根県のトピック「生きて伝わる出雲国の物語」は松江市 揖屋の地からの伝承でしたが、”えびすさん” が慌てて舟を漕いだ “中海” を挟んだ対岸、鳥取県側・弓ヶ浜半島の美保湾側(日本海側)は、その多くを風光明媚な白砂の海岸で占められています。
弓ヶ浜海岸(ゆみがはまかいがん) 名のように弓の如く緩やかに弧を描いて伸びる白浜は一説に20kmにも届く長さといわれ、境港の港湾部を除いた半島北東部外縁を彩っており、その美しさは「日本の渚百選」「日本の白砂青松百選」にも選ばれています。
うららかにさえ見える その景勝美には、重たいイメージだった日本海の姿は微塵も感じられません。
海岸の両端を挟むように立地する「弓ヶ浜公園」や「夢みなと公園」、そして中央部に位置する「弓ヶ浜展望台」では、眼前に広がる海原と向こうに仰ぐ鳥取大山の大景を満喫しながら長閑なひとときを過ごせるでしょう。 初春の候を迎える頃には それもひときわ鮮やかさを増すのではないでしょうか・・。
鳥取県といえば、その広さや異国風の趣から “鳥取砂丘” が有名ですが、鳥取の景勝が砂丘だけでないことを知らされる景観です。
初春の候、3〜4月頃といえば まだ多少の肌寒さが残る季節・・。温泉に入りましょう。涼やかな時期ならではの悦楽です。
「皆生温泉(かいけおんせん)」は上の “弓ヶ浜公園” からも徒歩で15〜20分程の距離。山陰最大規模を誇る温泉地で、鳥取観光の休憩地・宿泊地として欠かせないスポットです。 「日本の夕日・朝日100選」にも選出されている海岸美と眺望を、間近にしながら浸かる湯は “山陰の熱海” の名に恥じないもの。 源泉数19ヶ所、泉質は高温塩化物泉(ナトリウム・カルシウム泉)で各種 神経痛系症状の緩和から、皮膚状態の改善、美肌効果まで効能があるそうです。
夏場には弓ヶ浜の海水浴客で賑わう当地ですが、もしかすると、やや寒いくらいの時期の方が ゆったりと観光するには狙い目かもしれませんね・・。
この皆生温泉、明治時代の始まりと、歴史はさほど古くないのですが、その発祥譚が少々面白いので ご案内しておきます。
“漁師さんが海で見つけた” そうです。 ご存知のように温泉とは地下深く染み込んだ雨水や雪水、また海水などが数年から数百年の時を経て 地上に湧き戻って来た “循環水” です。 この循環水がマグマや大深度地下圧の影響で加温されたものが、主に温泉として利用されるわけですが、その湧出地点が海の真ん中だったという割と珍しいケースですかね。
元々、内陸部の方から日野川によって運ばれてきた砂と、海流の影響で堆積し形成された弓ヶ浜であり “砂洲” でもあるわけですが、明治17年頃、砂浜から180メートルの沖合にボコボコと泡立つ場所があるのを漁師が発見し、”泡の場” と呼ばれるようになったのだとか・・。 見つけた漁師さんも何事かと思ったのではないでしょうかw。
当時は砂の堆積進行度が高く、先伸びする砂浜と “泡の場” は近づくばかり。時経ずして温泉であることが確認され、また別の浅瀬に湧出点が見つかると温泉としての開発が進められました。 実質的な開業と展開は、大正時代の終わりから昭和のはじめにかけてと言われます。
砂洲地の温泉であるが故に、海岸の堆積や侵食に翻弄された歴史でもあり、擦り減った海岸線のために移転や廃業を余儀なくされた旅館もあったのだとか・・。その度に防潮堤の建設など地域保全に努め守ってきた “山陰の奥座敷” なのです。
皆生温泉の東側 数キロには、古代出雲文化の中心地「妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)」があり、極めて貴重な弥生時代の面影を今に伝えています。
北西側 境港市には800メートル177体もの妖怪がうごめく「水木しげるロード」があって、ファンのみならず鳥取観光の大きなファクターとなっているのは ご存知のとおり。
また その近くにはCMでもしられた “ベタ踏み坂”「江島大橋」も架かっています。実際に登るとそれほどでもないそうですが、見る方向によっては垂直にさえ見える驚異の大橋、せっかく近所まで来たならば、その錯視体験もしてみたいと思うのが人情というものでしょうw。
他にも 昭和5年竣工の真レトロな存在「山陰歴史館(米子市役所旧館)」、巨大 “鬼太郎” がお出迎えしてくれる生鮮海産市場「大漁市場なかうら」、国内屈指の規模を誇る自然フラワーパーク「とっとり花回廊」等々・・。 こうして見ると鳥取県 米子市近辺は観光スポットの宝庫と言えるのではないでしょうか。
最後に この近辺の “お社” をいくつか、 それも少し斜め方向で? ご案内・・。
境港市 “水木しげるロード” の途中に鎮座するのが「妖怪神社」、2000年1月1日午前0時に “ゲゲゲの鬼太郎” の世界観をもって創建された “観光神社” ですが、入魂式も施され、御神体は樹齢300年のケヤキといいますから、それなりの重みも感じられます。 ある意味、妖怪と神様は近き存在でもありますので、話のタネに参拝されるのも良いかもしれません。
「皆生温泉神社」は、皆生温泉を開湯・軌道に乗せ米子市の発展に尽くした実業家、”有本松太郎” によって昭和8年創建された “私設神社” です。 皆生温泉の安全と発展を祈るとともに、この地に “日本人の心の拠り所” としての願いも込められているのだとか・・。御祭神は “大国主命” だそうです。
そして、皆生温泉から東に2〜3km 日野川を渡った先、鳥取県で唯一の村、”日吉津(ひえづ)村” に静かに鎮座するのが「蚊屋島(かやしま)神社」です。
御祭神は “高比賣命(タカヒメノミコト)” 。 “大国主命” と宗像三女神の一柱 “多紀理毘売命” との間に生まれた娘で、天津神による “国譲り神話” の段にも登場します。 ・・が、正直、それ以外 特段の事績や活躍の伝承がないため、存在感の薄い神様ともいえます。
しかし、それ故に謎も多く、別名 “下照比売命” の名から “天照大御神” との近しい関連性を見る向きもあるほど・・。
当社においても “天照高日女神” の古神名から、過去 “天照大御神” と間違えて祀られていた経緯があり、修整されて現在 “高比賣命+天照大御神” のニ柱が御祭神らしいのですが・・。 もし、それが “間違いではなく” 天照大御神との関係を示していたのだとすれば・・・。
「蚊屋島神社」は 閑静な村社といった趣きですが、その威風は中々のもので 国の有形文化財にも登録されています。 もしかしたら山陰の海辺一帯を治め照らしていたかもしれない “高比賣命 / 天照高日女神” の大いなる明かり、初春の鳥取観光とともに、想いを巡らせてみるのも旅の楽しみのひとつでしょう・・。
『弓ヶ浜海岸』 参考サイト(旅色・株式会社ブランジスタ)
『皆生温泉』 公式サイト(皆生温泉旅館組合)
『水木しげるロード』 公式サイト(水木しげる記念館)
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