温うなったら出ちいこか鬼の里 – 愛媛県

ご存知のとおり イナバナ.コムにおいて “民話・昔話” のカテゴリーは、とても大きな位置を占めており “イベント・行楽” と並んで掲載数も上位の記事となっています。
ご訪問頂いたアクセス解析を見ても、民話や伝承関連への関心が高いことが伺えます。

民話・伝承は往古にあった事象や、人と自然のあり方を比喩的に伝え遺す説話であり、そこに登場するキャラクターは、多くの場合 動物や空想上の存在、狐、狸、蛇、そして河童や鬼、神様あたりが定番の配役といったところでしょう・・。

その中でも “鬼” は ひときわ異彩を放ちながら、独特の役回りと存在意義を示す “昔話のダークヒーロー” でもあります・・。

・・と、ここまで引っ張っておきながら、本日は “民話・昔話” ではなく、”道の駅・アミューズメント” のお話です。スミマセン・・;。 ですが、その “鬼” にまつわる稀有な場所からお届けをしたいと思います。・・お付き合いの程を・・m(__)m。

 

“鬼” というものは大体の場合、”見た目が怖く” “粗暴で” “人に害をなす者” というのが一般的なイメージでしょうか? 時折 そういった認識を覆すような優しい・人付き合いの良い鬼も登場しますが希少な存在です。 怖いイメージから鬼◯◯などという言い回しも少なくありません。

そんな、世間の印象にそぐわず “鬼” の文字を頂いた町が、愛媛県の南西部(南予地方)にあります。 名は「鬼北町(きほくちょう)」 全国で唯一 “鬼” の名を冠した自治体として知られています。

昭和の時代まで周辺5町村が合併した広見町としてやってきましたが、(いわゆる)”平成の大合併” を通して隣地であった日吉村と合併し 現在の鬼北町制がスタートしました。

鬼北町 景観

言うなれば、近年 発足した若い町制ということになるのですが、新時代の町発足にあたって、何故 昔話のような名を冠したかというと、一つには 古くからこの辺りの地域名に “鬼北” の名があったこと、そして地域住民がこの “鬼北” の名に対して強い思い入れがあったことが挙げられます。

翻って、鬼北町の前身である広見町発足時にも “鬼北” の名が挙げられていたのですが、”鬼” の文字の印象から議論の末、平成の大合併まで持ち越され、ついに採択される運びとなったほどでした。

 

・・で、何故 “鬼北”、何の鬼に関する北なのかと言えば、鬼北町の南西側にある山を「鬼ヶ城山(おにがじょうやま)」と呼び、”その北側に広がる地域” として “鬼北地域” の名が出来上がったのだとか・・。

土地の趣旨からは外れますが、古来 “鬼” は鬼門(北東の方角)からやって来るといわれ怖れられました。南西方角も “裏鬼門” として忌まれたわけですが、この鬼北町と鬼ヶ城山との関係は、それら陰陽道的なものとは関係なく、偶々の位置的な呼び名であったようです。

さらに、この鬼ヶ城山の由来についても、何をもってして “鬼ヶ城” なのかも今ひとつ判然としていません・・。 昔話における鬼は、多く山賊や凶徒の比喩であったり、また異界の民の例えであったりしますが、そのような伝承も遺っていないようなのです。

ひとつ、おぼろげながらに伝わる話に、この山にはかつて “鬼王” と呼ばれる壮士(剛の者)が住んでいたそうで、時は鎌倉時代の始めといいますから凡そ800年から昔のお話となります。

この鬼王なる壮士、この南予~宇和島の出身だそうですが、一念をもって鎌倉の地に出征し、あの曽我兄弟に仕えたそうです。 曽我兄弟といえば、先日 ご案内した「狐の嫁入り」話の中でも ほんの少し触れましたね・・。鎌倉時代に起こった仇討ち事件です。十数年の歳月を費やして見事 親の仇を討ち果たすも、兄弟とも命を落とす悲しい故事でありましたが、武家社会においては鑑とされる伝承でもありました。

ともあれ、主君を失いながらも その遺志を奉じんがため、斬処された首を奪取した鬼王は、厳しい検問をかい潜りながら四国にまで落ち延びてきたそうです。

しかし、永き逃避の旅による疲れと怪我のため乙成まで来て力尽き、その地に首を埋めると故郷の山に戻り余生を静かに過ごしたと伝わります。 (十郎祐成を弔った地には “曽我十郎神社” “曽我十郎五郎首塚” が今も残ります。)

この壮士 “鬼王” の存在をもって、当時 呼び名もなき山に “鬼ヶ城山” の名が付いたのかどうかは定かではありませんが、”鬼” の呼び名が 当地の歴史に紡がれ、忌まれるものでなく敬愛の念をもって受け継がれていることをみても、この伝承には納得させられる力がありますね・・。

鬼ヶ城山 山頂 © Wikipediaより

さて、ここから 本日の本題 “道の駅” のお話です。

この鬼北町には2箇所の “道の駅” がありまして、一軒は旧広見町の農林業活性化の一環として平成10年に開業された『道の駅 森の三角ぼうし』、そして もう一軒が旧 日吉村に平成6年に開業、今も旧村の趣を伝える『道の駅 日吉夢産地』です。

両駅とも旧町村の特性と風土を残しながら、現代の道の駅として機能し、旅人の癒やしとなる十全の設備とサービスを備えた、魅力的な駅となっていますが、二つの地域の駅が合併により鬼北町の郷内となったことから、”鬼北” の名に相応しい事業展開を進めることになり、その象徴ともいえるモニュメントを設置しました。

それが “鬼北 道の駅” の “鬼フィギュア” です。

一つめが 2015年『道の駅 森の三角ぼうし』に完成した『鬼王丸』のフィギュア。
筋骨隆々、如何なるものも破壊し尽くしてしまうような威風を保ちながら、肩先には “雉・キジ” を乗せています。 桃太郎のお供で知られる雉を伴っているのは、当地の特産料理に “雉肉” があるからですが、鬼王丸が正義に属する鬼であることをも物語っているのでしょうか・・。

二つめが 翌2016年『道の駅 日吉夢産地』に落成した女鬼のフィギュア、名は『柚鬼媛(ゆきひめ)』と命名されました。現代的な美人&プロポーションの良い女鬼ですが、胸には赤子を抱いていて、一見 “鬼子母神” を思い起こさせます。この赤子は幼い日の『鬼王丸』なのだとか・・。安産祈願のご利益を標榜しているのだそうです。

どちらのフィギュアも、その制作に世界的に知られた日本のフィギュア造形作家 “竹谷隆之” 氏、そして同じく高名な制作会社 “海洋堂” が参画されたそうで、それ故に懐かしき民話・伝承の薫りを漂わせながらも、現代的なリアリズムを体現しているのですね。

 

“鬼ヶ城山” は標高1,151m、宇和の海まで見渡せる明媚な山で “南予アルプス” とも呼ばれているそうです。中級難度の登山レベルで登られる方も多く、明治時代には彼の “アーネスト・メイソン・サトウ” も足跡を残しています。

「出ちこんか?」は南予の方言で「出てきませんか?」「いらっしゃいませんか?」を意味する言葉。 これからしばらくは冬の寒さとなってきますが、暖かな日、また春の陽射しが麗らかになる頃、気温も温うなったら、南予の鬼の里を訪ねて出ちいくのも良いかもしれませんね・・。

『道の駅 森の三角ぼうし』 公式サイト

場  所 : 愛媛県 北宇和郡 鬼北町 永野市 138-6

『道の駅 日吉夢産地』 公式サイト

場  所 : 山梨県山梨市江曽原1488 笛吹川フルーツ公園

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