虹のごとく広がる謎と感慨「狐の嫁入り」

天気も良くてうららかな日和・・。 師走を迎えた今、ちょっと季節外れな書き出しかもしれませんが、まぁ、まだそんな日が一日や二日残っているかも・・ということでご勘弁ください。晴天でないと話が始まらないのです・・(^_^;)

個人的な感覚としては “春季” のイメージが強かったのですが、調べてみると 明確ではないものの、やはり春の終盤辺りにその傾向が強いように感じられます。

何の話かと問われれば “天気雨” また “日照雨” と呼ばれる気候現象のお話です。


先程まで・・いや、今も空は晴れており それらしき雨雲も見当たらないのに、何故か雨が空からバラバラッと降ってくる。 何とも腑に落ちない不思議な現象で、まるで化かされでもしたかのような感覚に、古来、人はこれを「狐の嫁入り」と呼んできました。

実際の気象科学的?な説明としては、 “遠地で降った雨が上層に吹く強い風に流されて降雨地にまでやって来た” 。 “高層にある雨雲から降ったが、雨が着地する頃には雲は霧散していた” 。辺りが、妥当な解釈として述べられているようですが・・、納得出来るような出来ないような微妙な塩梅ですね・・w。

言ってみれば、それだけ晴天と雨天という真逆な状況が、同時に進行しているように感じられることに、人は不可解さを拭えないのでしょう。 ともあれ、おまけのように現れる “虹” には不思議さを増加させる作用とともに、嬉しさも秘めていますが・・。

 

「狐の嫁入り」の呼び名は 全国一般的な通称であり、地方によって「狐雨」と略されて定着していたり、「狐の嫁取り」と新郎側視点ともとれる呼び方になっている所もあるそうです。

また二重の虹が出たとき、霰(あられ)や雹(ひょう)が降ったときを「狐の嫁入り」と呼ぶ地域もあったりで、所変われば品変わるというか、呼び方も認識も “お国柄” それぞれと言ったところでしょうか・・。 少し変わったところでは、旧暦5月28日に降る雨を「曽我の雨」※ と言い、それに「狐の嫁入り」を関連付ける解釈もあるのだとか。 ※ 鎌倉時代はじめに起こった曽我兄弟による仇討ち事件とその物語・伝承
また、面白いことに この気象に出会う(=狐の嫁入り行列に出会う)ことを “不吉” とする地域もあれば “吉兆” とする地域もあるようです。

何故、天気雨のことを「狐の嫁入り」と呼ぶのかというと、それは上でも書きましたように “通常の感覚では馴染めない現象” を、自然や精霊を身近に感じていた古の人々が、超常の世界・寓話に結びつけて表した結果と思われますが・・。

 

そもそも、古来「狐の嫁入り」とは 怪奇現象のひとつであり、文明の光行き届かぬ時代・習俗の中では稀に見られた怪異であったと伝わります。

多くは人々が寝静まったような夜半、里にも近い道を数十にも連なる怪火(鬼火・人魂などに同じ)が、”嫁入り行列” のように緩やかに通り過ぎてゆく・・というもの・・。

古い時代の婚礼は夕刻に “家を出て”、先行きの提灯を筆頭に仲人・付添・親族、そして長持ちなどの嫁入り道具などを運ぶ人など、大勢の行列で嫁ぎ先に向かいました。*
ヒト気も途絶えた夜の村外れに見える提灯行列のような怪火を、異界の婚礼に思い例えても それは無理からぬことであったでしょう・・。 * それなりに格式のあった家同士の婚礼形式ですが、極庶民の婚礼でも略式ながらそれに範をとった形のものが多くありました。

もとより、怪火などというものが本当にあったのか? という話ですが、ご存知のように それについては現代にあっても解明されていません。

“球電現象(ボール・ライトニング)” といって落雷に起因する放電球体現象やプラズマ発光、コロナ放電、土中から滲み出たメタンガス発火など諸説が取り沙汰されていますが、確定には至っていません。 再現性が極めて低いこと、経済性利益が見込めず研究の対象になりにくいことが一因でもあるのですが、何より “単なる迷信・見間違い” と片付けられていることが大きな要因でしょうね。

只、”見間違い” であったとしても、その見間違う “何らかの対象” はあったわけで、夜になれば それこそ夜行動物以外 出歩く者もなく、月明かりを除けば 街灯すら存在しない時代の片田舎で一体何を見間違ったのか・・? ということです・・。

UFO や 幽霊、UMA や他の怪奇現象に比べて “自分が見た” “爺さん婆さんが見た” と身近な目撃話が格段に多い “怪火の目撃譚”、それが妖の術ではないにしても そこに何らかの(個人的には舗装やコンクリートが無い、木と土の時代の)自然現象があったのではないかと思えるのです。

 

個人的な考え方はさておき・・、驚くべきはもっと他のところにあります。

「狐」という古くは妖し(あやかし)と関係付けられた動物。それに基づいて語られる『狐の嫁入り』ですが、天気雨のことをこのような “言い回し” で呼ぶのは、日本に限った話ではないようなのです。

お隣、朝鮮半島では「虎の婚礼」(朝鮮では虎が妖力をもって語られる伝承が多い)とされます。

これだけなら、元々大陸発祥の “言い回し” が古く日本に伝わってきたのかとも思えますが・・、全く大陸の向こう側 フランスでは「羊の婚礼」、イタリアの一部地方では日本と同じく「狐の嫁入り」、トルコや西ヨーロッパの一部では「悪魔の結婚式」などと呼ばれ、挙げ句、アフリカでは「猿」や「ジャッカル」が “結婚” と関連して語られるのだそうです。

いずれも「動物」または「妖しの者」による「結婚・婚礼」という、まさに定型化されでもしたかのような形で語られ言い継がれる様は、国・風土に関わらず、人間の発想が似通っていることを示すもの・・とは言うものの、ちょっとビックリしてしまうほどの類似性ではないでしょうか・・?

場所によっては「熊」や「狼」「鼠」が主役となるところもあり、それだけ その地方の、古くから人に近い存在の動物が当てられているように思えますね。 因みに日本において「狐」なのは、やはり “稲荷信仰”(田を護る神)に基づくものと考えられているようです。

 

天気雨のことを別名「日照雨」とも呼ぶことは冒頭でも述べましたが、「日照雨」は古く「戯雨 / そばへ(そばえ)」と読んだそうです。

字面からも判るように「戯れ(たわむれ)のような雨」、 “雨は曇り空とともに降る” “快晴のときは雨は降らない”、そんな安易な人間の常識をくすぐるかのように神様が降らせた戯れの雨・・。

文明が行き届いて “俗信” や “迷信” が過去のものとなった今でも、解明されていない・されそうにない ことは山ほどあります。 「迷信なんて馬鹿馬鹿しい・・」と思う現代人に向かって、「狐の嫁入り」は、古く自然と渾然一体だった時代を ほのかに伝えてくれる雨なのかもしれませんね・・。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください