急激な西洋文化の流入に晒された明治時代、今まで見たことも聞いたこともない物品や風習、そして 思想に戸惑いながらも、人々は新しい時代を一歩ずつ歩んでいきました。
とはいえ、全国津々浦々に同時に文明の光が射し込んだわけでもなく、都市圏から離れるほどに古き時代の生活・日々の営みを続けている地域が多かったのは、時代を違わず同じような傾向であったでしょう。
日本初の電気照明といわれる “銀座のアーク灯” が灯ったのは明治15年(1882年)でしたが、人の住む、全国全ての地域に電力が普及しきったのは、それより70年も後の昭和時代、戦後の復興と高度成長期にかけての頃だったそうです。
21世紀ともなった今、さすがに 古き時代の営みを残しているところは見られませんが、それでも暮らしの端々に過去の風習の一端は残り、今を生きる人々に往時の影を語りかけているのです・・。
されば、明治時代の片田舎、村の祭りともなれば、現代では考えられないほど原初の姿に近く、また その地に住む人々と密接な関わりを持っていたに違いありません・・。
夏越の祭りの目玉とでもいうべき “ニュース人形”、後の時代の映画やテレビ番組にも通じる村人たちの関心の的であるのに、用意すべき鬼の人形が一体間に合わず・・。
酒手 二升で その代役を引き受けた初五郎どん・・、さて、首尾よく人形の代わりが務まるものでしょうか・・。
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『がんばり』 後編
「ええか? 人形なんじゃし絶対に動くなよ?」
念を押されながらも 任せておけとばかりに 鬼人形を始めた初五郎
はたして気取られんもんかな? と不安になりながらも藪の傍らで金棒を支えて突っ立っておったと
そうこうするうちにも祭りの見物客は あちらこちらの村からやってくる
舞台幕で見えんものの 既に人の数は相当なもんじゃ・・
そのうち・・
「おぅい! 人形はまだかいの?! 早う見せてけれ!」
「まだか?! まだか?! 早う 幕落とせ!」
大人も子どもも大賑わい 待ちきれんほどの熱気に湧いておる
なれば今じゃ! とばかりに幕が切って落とされた
途端に「おぉっ!」という客のどよめき・・
特に 藪影に潜むように立っている初五郎の鬼に 皆の目が釘付けのようじゃ
「どうよ 今度の鬼は?! 今まで見た中でも一番の出来じゃねぇか?!」
「あぁ全く上手ぇもんだな 肩のまわりといい 腕のあたりといい まるで生きてるようだ!」
まっさら 人が代役しておるなんて 誰も思わねぇもんだから皆 口々に褒める
そのうち あまりの出来に子どもは泣き出すわ 娘子たちはキャァキャァ言うわで大人気
ここまで皆に褒めそやされると 初五郎の方もまんざらでない
別に何かを演じて褒められているわけでもないが
ここまで来れば ぴくりとも動くまじ とばかりに息さえ抑えて じっと立ち続けておった
しかしまぁ 考えてもみなされ
夏の夜に裸の姿で それも藪の暗がりに動かず立っておったら どうなるか・・
ワ〜ン ワ〜ン という蚊柱とともに 初五郎に群がってくる藪の蚊
次から次へと初五郎を攻め立てて もうたまらん
二升の酒手は惜しいが もう堪えるのが苦しゅうなってきた
痛いのも辛いが 痒いのを何もせず じっと堪えるのも相当に辛い・・
面を被っておったから 表からは分からなんだが その顔はまさに鬼の形相だったかもしれん
この様子に気づいた人形の係の者 こりゃ大変!とばかり そっと初五郎の影にまわり小さな声で声援を送る
「おい! 苦しいか?! もう少しの我慢じゃ! 十二時にもなりゃ客も少のうなるけ休ませてやっから!」
「頑張れ! 頑張れ! 二升だぞ!」
そうこうするうちにも初五郎は 蚊に刺されて 体中ムクムクと腫れ上がり気も遠くなってきた・・ するとまた・・
「頑張れよ! あと少しで二升だぞ!」 小さな声がかかる・・
こうして とうとう我慢し続け 十二時過ぎに幕を掛けた時には もう虫の息
とても二升どころではなかったそうな・・・
幸い 大事には至らず 初五郎も二升酒を手に入れたが・・
後で この事が人々に知れると 初五郎は “がんばり” のあだ名で呼ばれることとなった
それは 初五郎だけでなく家族郎党 子孫に至るまで
「がんばりぁ家 の娘は何処そこへ嫁に行った」とか「ありゃぁ がんばりぁ家の者だ」とか言い習わされたそうな
今じゃ 初五郎からひ孫の代になっとるが 未だ “がんばり” のあだ名はそのまま残っとると・・。
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やれやれ、予想どおりというか、笑い話とはいえ大事にならずに良かったですね。
当時の日本・東北地方にマラリアやデング熱の蚊が居たかどうかは分かりませんが、普通の蚊であっても、それほど長時間 刺され続けていたら、過度のアレルギー反応を引き起こし、時に生命に関わることにさえ なりかねません。 たかが蚊と侮るなかれです・・。
ともあれ、古き時代における出産の大事・苦悩であれ、時代が下った山間での人々の娯楽と珍事であれ、伝承は現実の暮しの中から生まれ、人智を超えた虚ろの世界と習合しながら育てられてゆくのです。
世の端々にまで光が行き届き、何より合理的な解釈が優先される現代、これらのような伝承が生まれる隙間など無いように思えますが・・、所詮、人は人、何でも知っているように見えて、実は何も知らない・分からない・解っていないことの方が多いのです。
往古の人々の暮しが現代人から見て未熟であるかのごとく映るように、数十年後、数百年後の未来から見た今の社会は、また未熟で曖昧模糊に満ちたものに見えるのかもしれません。 そして そこには、現在からの伝承やメッセージが伝えられているかもしれないのです・・。