神の山里の石柱群 連なる謎と好楽に酔う – 大分県

世界的に知られた場所といえば、やはりイギリスの “ストーンヘンジ” でしょうか・・。

“環状列石(かんじょうれっせき)”、 手で持ち上げられるくらいの大きさから、数百人掛かりで動かすような巨大なものまで、多数の石・岩が 環状もしくは意図的に配置された古代の遺跡です。 “ストーンサークル” や “環状石籬(かんじょうせきり)” とも呼ばれます。

Stonehenge(ストーンヘンジ)_Wiltshire, England

多くは紀元前数千年(日本でいえば縄文時代後半〜弥生時代初期)にかけて造られたものといわれ、上から見ると円周状 または放射状のように、円形を基に組まれていることが大半で、居住集落の中心もしくは象徴的な場所に据えられていることから、祭祀の場として使われていたと考えられています。

イングランドの辺地にそびえる “ストーンヘンジ” は、その規模と高度な石組み、そして天体に関わるとみられる性状から つとに有名ですが、 “環状列石” はヨーロッパから南アジア、反してロシア東北部から日本を含む極東地域にまで、世界的に見られる配石遺構でもあるそうです・・。

 

世界的に見られる・・といっても数千年前の遺構、人知れず失われたものもあれば今も知られていないものなど多様・・、現存数、良好な状態で残っているものといえば決して多くはありません。

日本国内でみると現在のシベリア地方経由で文化的な影響があったのか、北海道から東北地方にかけて多くの遺構が残っていますが、西日本や それより南部にも、それら “環状列石” が見られる所もあります。 そして その大半がその成立において今日も謎に包まれたままなのです・・。

本日は九州、大分県から山間の一角に佇む “謎の環状列石” についてご案内しましょう。

 

佐田京石

その名を『佐田京石(さだきょういし)』

大分県 宇佐市 安心院町(あじむまち)、閑静な山間を抜ける県道658号線の傍らに、その遺跡は見えてきます。

山の麓に開かれ、車道より一段高い場所に林立する柱状の岩、総体2〜3メートル、大人二人で腕を回せるかというほどの岩が9本、散らばるように立っています・・。 ・・が、よくよく見ると近隣の木々の合間にも、やや小ぶりながらも、あちらこちらに立っている様子・・総数では何本になるのでしょう。

散らばるようにと言いましたが、上から見ると放射状の配置のようにも見え、そこに何らかの意図が隠されているようにも思えます。 周辺の無数ともみえる石柱群を考えると、ここが古代の祭祀場であったのか、それとも他の目的をもって建てられたのかさえ現代となっては不明・・。

現在では誰もが知る “鳥居” の原型的なものではないかという説がある一方、一本の石柱の下から仏教の経典が発見されたので、経石・標ではないかという説があるものの、どれも決め手に欠けているようです・・。

また、ペトログリフ(彫刻文字)の入った岩も発見されており、ますます謎は深まるばかり・・。

こしき石 画像 © 佐田地区まちづくり協議会

さらに、この “佐田京石” から数百メートル北の田んぼの中に、『こしき石』 と呼ばれる奇妙な石柱が一本立っています。

高さ約1.5メートルの石柱ですが、東側にそびえる “米神山” へ向けて60度ほど傾いており、まるで米神山に拝礼でもしているかのよう・・。 さらに その頭頂部に一枚の平たい石が帽子のように乗せられていて “笠石” といわれるのだとか。

何とも微妙なバランスで立ちながら “米神山” に相対する “こしき石” 、一説に その笠石を動かすと嵐に見舞われるという謂れがあることから、”暴風石” の別名を持つのだそうです。

因みに “こしき” とは “甑” 、古の時代に お米を蒸すために使った土器のことだそうで、仰ぐ “米神山” の名を併せて考えても、ここに稲作や農耕につながる信仰的な土台が根付いていると同時に、これらの遺跡が 稲作文化の勃興した弥生時代のものという考察の元ともなっているのでしょう。

 

ここで、ごく簡単にですが、佐田京石に連なる伝承をご案内・・、ごく簡単に・・というのは、このお話、基本的に事績のみについて触れた話であるとともに、内容が正反二通りの話が伝わっているからに他なりません・・。

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稲穂たなびく佐田の地に 神々は都を作ろうと考えた

天から千本の石柱を降らせ 佐田に打ち立てることで それが叶うはずであった

しかし順繰りに降らせていったはずが 九百九十九本 打ち立てたところで・・

郷土を守りたい米神山の神が それを妨げるべく地を汚したため
千本目の石柱は立てられず 神々の目論見は果たされることなく多くの石柱だけが残った・・
~~~(佐田京石の “京” は都に通ずるともされる)

鬼が一夜にして百段の階段を拵えようとするも、九十九段目で鶏が鳴いて百段目を諦めるという、 “いわゆる一夜作り話” の類系のように思えますね。

面白いのはこの話には、神々の予定を 米神山の神が妨害したという上記の話と、都にしたいと願ったのは米神山の神であり、結果的に失敗した話の二通りが伝わっているという点です。

古には口伝によってのみ伝えられた “伝承” であるが故に、話が変容することは少なくありませんが、立場がまるで反対になるのは珍しく、また興味深いですね・・。

 

米神山の山頂部分にも小振りながら石柱群は存在しており、それに応答するがのごとき “こしき石” 、麓においての祭祀場とも思える “佐田京石” 、真相は数千年古代の彼方ですが、ここに住もうた人々による、何らかの天啓的意図による想いと、膨大な労力を賭しての作為があったことは事実のようです。

例年3月には神職・関係者が集い「巨石祭」も執り行われています。

“佐田京石” の前には道を挟んで20台程ですが 駐車場も整備されており、ドライブの途中に立ち寄ることも容易でしょう。

“宇佐のマチュピチュ展望所”(高台の小村)への立ち寄りなども含めて「佐田京石群」「こしき石」の見学、秋の好楽と古代ロマンへの一助に 良いのではないでしょうか。 山の神・稲作の神と人々が残した古代の証しが貴方を待っているはずです・・。

宇佐のマチュピチュ(西椎屋地区)

『佐田京石』 宇佐市公式観光サイト
『宇佐のマチュピチュ』 宇佐市公式観光サイト

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