八岐松の天狗と武五郎の話(天狗さま)- 島根県

“天狗さま” といえば昔話の常連さん、少々やんちゃで人を困らせる天狗から、何かしら福をもたらしてくれる有り難い天狗まで色々おられます。

元々 その名のごとく “天の狗(天のイヌ / 犬)” であり、ある日突然 大音響とともに飛来する “火球(流星)” のことでありました。 当時の中国で世に異変をもたらせる凶兆とされ天体の魔性と認識されていたようですね。

飛鳥時代に日本に伝わって後、しばらくの間は そのままの姿で伝えられていたようですが、いつしか山岳信仰結び付き、人々の暮らしから隔絶された世界で生きる修験者の魔法、さらに修験者そのものの出で立ちと習合されていきました。 現在 イメージされる “天狗” の姿は “魔道に関わり転生した修験者” の姿であったのです。

超常の力を弄し、時に民草に災いをもたらせる脅威でありながらも、その神秘性ゆえに人口に膾炙し続け民話の主役へとつながれていきました。

今回 お送りしている島根県出雲地方にも “天狗さま” と人に関わるお話が残っています・・。

 

『天狗松と武五郎』

さても今は昔の話 宍道湖を行き来する舟は いつも来待の山にそびえる “八岐の松” を目当てにしておった

名のごとく 八つに別れて生い茂るこの松は 遠い舟からもはっきり見えるほど大きく・・

どころか その枝にハサミでも入れようものなら たちまち真っ赤に血が流れ出し あげく山まで震えだすというので 誰もみな恐ろしゅうて近づこうともせなんだと

いつの頃からか この八岐の松 夜半にもなると その枝先に怪しげな火が灯るようになった
その数は日毎 枝毎に増えてゆき やがてそれらは松に住みついた八人の天狗だと知れることとなったのだそうな

晴れ渡った日などには松を基に ヒラヒラと飛び回る天狗の姿も見ることもできる

近くに寄らば どんな祟りがあるやもしれぬ 里人はいよいよもって来待の山の先には近づかなくなってしもうたのだと

 

麓の村に “武五郎” という男が住んでおった
少々のんきに過ぎるところがあるものの 気性の良い男で村の誰からも愛されておったと

武五郎 山の先 松の回りを飛び交う天狗の群れを見ては
恐れるどころか「いいなぁ おれも あのように空を飛んでみたいなぁ」と憧れる始末
村の者も苦笑いしておったと

ところが ある夜のこと 村の寄り合いに出たまま武五郎が家に帰ってこない

さあエラいことになったわ これはもしや天狗さまの神隠しに遭うたのかもしれんと 村人たちは皆して探しにまわった

三日三晩の間 草を分け山に立ちり入り鐘太鼓で探せど見つからん

武五郎の女房も心配のあまり やつれきった五日目の朝になり
これはもう駄目かもしれんと皆が思いはじめておったと

 

ところが その日も日が暮れようかというころ

どこからともなく いつからそこに居たという間も知れず
ほんに ふらりとばかり武五郎が帰ってきておった・・

驚いた女房や村の者たちが駆け寄り どこに居たのだ 何をしておったのだと武五郎に問うても どうしたことか一言も口にせん

ただ その顔は青ざめ 目ばかりは恐ろしげに輝いておった
そして どこで繕うたか一本の白木の杖を携えており そればかりはどんなことがあっても肌見離さず持っておったのだと・・

 

それからというものじゃ 東の空が白むが早いか武五郎は起き出して
あの白木の杖をもって庭先に立ち じっと八岐の松を眺めておるようになった

日も上るころになると松のまわりに天狗たちの飛び回る様が見える
すると武五郎 あの杖を高く振り回し「おおぃ お互い待ったり待ったり」と叫ぶ

すると「おおぅ」と響くような声が 空の上からしたかと思う間もなく
武五郎の姿はかき消すように見えなくなってしまう

やがて 松の梢で話し声が始まったと思うと 天狗に連れられた武五郎が宙を飛びまわる姿が見られるようになったのだと・・

 

女房や村の衆の心配をよそに こうして天狗たちと付き合いを得た武五郎
かねてよりの願いどおり 空を自由自在に飛びまわれるようになった

しかし 時が経つうち困ることも多くなっていったと

人に恐れられるほど気が荒く 時に悪ささえ厭わない天狗たちの行状には ほとほと手を焼いた

誰かを痛ぶったり 物を壊したり あげく人をさらうなど とても出来たものではない
もとより 正直武五郎で通った性分ゆえ 人を傷つけることなど考えてもおらなんだのだ

そんな武五郎の態度を天狗たちは気弱なものと ことあるごとに叱りつけた

「お前は天狗の仲間内になったちうに そのへなげな様はなんじゃ そげな意気地のない者はこれから叩き落としてやるから そう思え」とエラい剣幕

その度に震え上がる武五郎であったが さりとて人を拐かしたり家に火をつけたり出来ようはずもない・・ 何とか天狗を宥めすかして落ち着かせるのが精一杯やった

ある時など 武五郎を中において松の上で酒盛りをしておった天狗たち

そのうちの一人が「わしゃ思うんじゃが 麓の村にある酒屋に火をつけて それを眺めながら飲んだら面白いのではないか」などと言い出した
びっくりする武五郎をよそに そりゃええ そうするかと喜ぶ他の天狗たち

あげく そんな安い仕事なら武五郎にも出来ようとか言い出す始末
とんでもねえ話をふられた武五郎・・

「そりゃまあ 面白げな思い付きかもしれませんが この風向きだと煙がこっちに来て煙たいでしょうが・・」とかわす

「いや そげな煙くれえ この団扇で打ち返しゃどうということね」

「しかし あの酒屋を燃してしもうたら もう酒が飲めませんで」

「うぅむ 確かにそれはそうじゃな・・」

こんなふうに 空を飛ぶ術を習いながらも 天狗たちの宥め役に努める武五郎やったと・・

 

そんな武五郎もいつしか年を取り 体も衰えていった
空を飛ぶのも危なかしくなってきた

ある日 八岐の松の上で
「長年 お世話になりやしたが もう年をとって体がいうことをききません どうか暇を出してやってくんなせ」と天狗たちに頼んだそうな

また怒られるかなとも思うたが・・
「お前のように 心のさっぱりした男は他に無え だが 人じゃけに老いたというなら仕方がねえ 暇をばやるとしょう」と請け負うてくれたと

 

その後のこと
武五郎の家は裕福になったと

女房が機を織っておるとき 武五郎が庭の手入れをしておるとき
どこからともなく 天狗風が吹いたかと思う間もなく ”チャランチャラン” と涼しい音がして何枚かの小判が降ってきよる

そんなことが何度もあったのだが やはり正直者の武五郎
この金は村のために使おうと考え 多くの人夫を雇い 今まで村外れの難所といわれたところに 渡りやすい道を付けたのだと

それ以外にも何かと村のために尽くしたので 村人たちは いつしか武五郎のことを “福爺” と呼んで敬うたそうな

 

武五郎の家の庭には五葉の松が植えてある その松の向かいにある表座敷
時折 酒と御馳走を設え 武五郎が誰かをもてなす声が聞こえる

しかし家人はその部屋を一切 のぞくことを禁じられていたので
その部屋で武五郎が誰とどんな話をしていたのかは 誰も知らなんだと・・

ーーー

天狗さま・・、赤ら顔に長い鼻、厳しい山伏姿のその上に超常の力とくれば、やはり近寄り難いイメージとなってしまいます。 文化的に未発達であった時代であればなおさらのことでしょう。 神とも魔性ともとれる存在は取りも直さず脅威の対象でもあったのです。

随分と物騒な気性や発言が描かれる今話の天狗さまですが、実際にそれらを行う描写は見られません。 武五郎の気性を確かめるための試験的なものだったと信じたいところですね・・(^_^;)。

えびすさん、天狗さま と続いた出雲地方の民話、次回はリライト記事ながら、そして その呼び名はマイナーながら、出雲国の大神に登場していただきます。

 

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