妙異の国から聞こえる妙異の昔話(後)- 和歌山県

古く・・(まぁ地形的には現在もそうですが・・(^_^;)、紀州和歌山の地は紀伊山脈によって、当時の都とその勢力圏である近畿一円から隔絶された場所でもありました。
その紀伊国のさらに奥地、茫漠の山地とその向こうにある無限の海は、数多の神々と神界に通ずる幽玄模糊の世界でもあったのです。

しかし、その地に住まい暮らす者も当然いるわけで、その人々にとっては神々と隣り合わせの国であっても、そこでの暮らしは他の地と何ら変わりない、慎ましやかな日々であったのでしょう。 黒八爺さまもそんな朴訥の民でありました。

しかし、そんな爺さまが今回はずいぶんと異常な体験の中にいるのです・・。

いつ 狼の餌食にされてもおかしゅうない 恐ろしい思いをしたにもかかわらず
黒八爺さまは その翌日も朝の早うから 握り飯を六つ設えると軒先にワラジを吊るし また山に上がったそうな

シバ木を刈り集めて昼頃になり 木の根に座って一服ついていると・・
やがて藪の向こうがガサリと音を立てて その中から昨日の狼が姿を現したわ

「おぉ! 来たか来たか また会えたの・・ん?何じゃ? 今日は二匹か? それはお前の女房殿か?」

二匹の狼が爺さまの前にい出て低く唸りをこぼしている

「またワシの魂が欲しいんじゃの? よしよし 今日も食わしてやるぞ」
「しかし二匹じゃからの ここで皆で食べた後 一里下ったところでまた食べて 今日はそこから帰り」

「ウオゥ!」

二匹の狼を連れて山を下り 途中の岩場で残りの握り飯を食べると夫婦の狼たちは大人しく山へ帰っていったのやそうな

それからというもの 黒八爺さまは毎日毎日 握り飯を拵え山に上ったのだと

昼が過ぎ日が傾きはじめる頃になると 二匹の狼を連れて村の外れまで帰ってくる
編んだワラジの代わりに米が置いてあると また握り飯にして山に上がったのだと

その頃 村のまわりには鹿や猿がたくさんおって その獣たちが村の田んぼや畑に出て来ては荒らすので 村人たちは何ぞと困っておった

ところが 何故か今年は その困り事がさっぱり出ない

いったい どういう訳やと皆して調べてみると 来る日も来る日も狼が黒八爺さまと一緒に山から降りてくるので 他の獣が怖れて出てこなくなったのだとわかったそうな

これは大したことやと村長が爺さまの家に話しを聞きにいき それからというもの 毎日村から三升の米を集めると 爺さまの家に届けるようになったのだと

爺さまは軒先のワラジの立て札を書き直したと

「旅のお人はどうぞ使い由 お代は不要 お礼も不要 礼を置かれると家人の不興を買う故 我が家人は山の神なり」

 

村では平和な日々が続いた 夏が過ぎて いつしか秋の色も失せ粉雪舞う季節となった
年は暮れ そしてまた 新しい年が開けた

村長は正装に身を包み 黒八爺さまの家に祝いに行ったそうな

「黒八の爺さま 新年の祝いに上がったで 爺さま・・爺さま」

いくら呼んでも返事がない・・
胸騒ぎがして戸を開けてみると 爺さまはまだ寝床におるようだ
そして その横には二匹の狼が身じろぎもせず 足を揃えて伏しておるではないか

驚いた村長は 村人を呼び集め 恐る恐る中に入ってみると・・

爺さまは まるで眠っているように息を引き取っておった
そして 傍らの狼二匹も伏したまま死んでおったと
まるで あの世にまで爺さまの後をついて行ったかのようやったと・・

村をあげての弔いをすませると 爺さまの家だった所にはいつしか祠が建てられた
“黒八大明神” と呼ばれ 祠の前には 狛犬ならぬ二体の狼の石像が置かれたそうな

正月二日には祀りを上げて 狼の石像に握り飯の供え物を成す

狼の絵を描いた御札が刷られ これを持っていると どんな山の奥に入っても 必ず無事に帰って来られるといわれたそうや・・

ーーー
黒八爺さま としては、当初怖かった狼であるものの、人知れぬ山奥で知り合った仲間や家族のように思えていたのでしょうか。 そしてそれは古来 万物に精霊宿る信心深き熊野の地において、山の神とのつながりをも感じていたのかもしれません。

村長をはじめ村人たちが 爺さまを支援し、亡き後はこれを奉ったのにも そういった背景が現れていますね。

“熊野” の地名は “熊の出る野原” ではなく、古く “熊” は “隅(クマ)”(彼方の地)であり、また “神(カム)” の坐す地の意味が元となったといわれています。
それくらい、古よる神厳妙異に満ちた山々であったのでしょうか・・

 

さて、そんな信心深き地なればこそ、修行のために訪れる者も数しれずあったでしょう。
しかし、そこは所詮 人間のすること、稀ではあれ 不心得な者たちもいた様子・・。

そんな者共の珍事・伝承をもって、本日のもう一遍とさせていただきます。
このお話は黒八爺さまと同じ “中辺路” 界路に残る話ながら西牟婁方面、当時の “口熊野” に至る山中、現在の田辺市から日高地方に伝わるもので、今もその名残りがあるそうです・・。

『七人の山伏』

さても今は昔 紀伊の奥地の山中を根城に七人の山伏が住もうておったと

この山伏たち はじめのうちは熱心に修行に打ち込み修身を重ねておったが・・
それぞれ 法力を身につけるようになった頃から 初心を忘れでもしたか その身を弁えぬ行状が目立つようになった

ある日のこと 馬我野の峠をひとりの村人が 薪を背負い通りかかった時や
道すがら この山伏どもとすれ違うたのだと

あまり良い噂を聞かない山伏七人・・ 村人は身を縮こませながら恐る恐るすれ違うた

その途端 村人の足は地面にくっ付いてしもうたかのように動かんようになってもうた

「こっ これはどうしたことや!」慌て身をもがく村人・・

その時 「ハァッ ハッハッハッ!」と猛々しい笑い声
何と山伏のひとりが村人に向かって “金縛り” の術をかけたのやったと

時経たず 村人への術は解かれたが ことほど左様 この調子で 山伏どもは行く先々で悪戯では済まされぬような悪行をはたらき 周辺の村々は ほとほと困り果てておったのやと

 

そんな ある日

自らの力に慢心した山伏どもは あろうことか今度は沖を走る船を法術によって止めてみようと試みたのだそうな ここに至って信心もへったくれも あったものではないの・・

されど 腐っても修行を積んだ者の力というところか

「エイッ! ヤァッ!」の掛け声に乘せて法力を打ち込むと 恐ろしかな 今まで順風に進んでおった船がピタリと止まって 前にも後ろにも動きやせん

どうしたことか と訝して 舵を切り直したり 帆をかけ直したりと慌てる船頭たち・・

しかし この船に 一人の坊さまが乗っておられたことを山伏どもは知らなんだようや・・

 

坊さまは とても徳の高い上人であったよう・・
慌てふためく船頭たちを後ろに すぐさま この異変が何者かによる法術であることを見抜いたのだと

そして “千里眼” の術をもって 遥か彼方の峠で悪ふざけに興ずる山伏どもを見つけたそうな

「愚かなことを・・」 しみじみ そうつぶやくと解法の経文を唱え 船にかかった金縛りを抑えると 今度は返す刀で今度は山伏どもに向かって呪詛返しの念を 気合いもろとも・・「オォリャーッ!」打ち込んだそうな・・・

峠の頂きで船や人々をもて遊び 笑い転げていた山伏どもは 自らが放った術をもって金縛りに遭い そのまま岩のように動かんようになってしもうた

いつしか朽ち果て このまま祟りなどの元になってはいかんと 近在の者によって塚が建てられたそうな 今でも “馬我野の七人塚” として その地に遺構が残っておる

 

ーーー
やれやれ、大変な修行を積んで法力を得た修験者でも、初心を忘れ本懐を見失った状態では どうしようもありませんね・・。 一介の民草であっても、自然と信心の道に沿って生きた黒八爺さまとは、対照的な生き様・死に様と言えるでしょうか・・。

ともあれ、七人塚は現在も残っていますが、伝承はともかくその所在は複数に渡るともいわれ詳細は不明です。

良きにつけ悪しきにつけ、これら日常からいささか離れたような幽玄の逸話が残る熊野の地、それは古代の神々の息吹薫る場所でもあり、現代においては、むしろ海外の人々の興味を惹き付ける道としても知られています。

機会あるならば、ぜひ古への想いをもって訪ねられては如何でしょうか・・。

 

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