埼玉にお住まいの方には知れたお話かもしれません。 “さきたま” とは埼玉という地名のとても古い読み方です。 現在の県名や市名の元となった古語であり、彼の「万葉集」の中にも “前玉” の文字が見られることから、 奈良時代のはじめ もしくはそれ以前から端緒となる言葉があったのではないでしょうか。
古代史に直接触れるかのような発見、金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)の発掘によって国内外にその名を広めた「稲荷山古墳」を含む「埼玉古墳群」、その地に鎮まる「前玉神社」の主祭神が “前玉比売神(サキタマヒメノミコト)” と “前玉彦命(サキタマヒコノミコト)” の二柱だそうで、神社の古名が『幸魂神社』であったことから “さきたま=埼玉” とは元々、”幸せや安寧・和合を司る” 非常に嘉すべき言葉だったとも言われています。
さて、本日は “春分の日” 、四季の始まりである “立春” から数えて四番目、東大寺二月堂の “お水取り” も満行を済ませ 今年の春もいよいよ本番ですね。
“立春” の頃は 春の始まりといっても まだまだ寒風の最中ですが、さすがに “春分” ともなると春の気配 色濃く、桜前線の話題も佳境となってきます。 こうして季節は留まることなく移り変わってゆくわけですが・・、本日はこうした季節の移ろいの中に息づく民話を “埼玉” の地から2回に渡ってお届けしたいと思います。
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『雪女郎』
さても昔のお話 とはいうても明治のはじめ頃だったか
お侍も刀を捨てて 皆も髷を結うのをやめた頃の話ですわ
桜のつぼみも膨らみ椿の花も真っ赤に咲いて 比企の里にもようやく春の声が聞こえようかと村の者が口にしていたある日のこと
その日はどういうわけか やたらと寒うて 朝から降っておった雨も昼過ぎには雪混じりとなって ついに日の暮れるころにゃ三・四寸も雪が積もる有り様
まるで このまま冬に逆戻りするみてぇな寒気の一日やったように思います
「こりゃぁ今夜はめっぽう冷え込みそうじゃ 薪をばうんとこ家ン中放り込んどけ」
親父に言われて わしゃ縁の下から去年たくわえた薪を引っ張り出すと台所の隅へと運んでおいたんですわ 日も沈んで辺りが真っ暗になる頃にゃぁ 囲炉裏に焚べた薪がパチパチ火をはぜいて 誠その当時の冬の風情っちゅう感じやったなぁ
大きな湯呑に濁酒をチビリチビリとやってた親父 お袋はその横で破れた子供(わし)の着物を繕っておりやぁした。
酒が回ってくると親父は若ぇ時の自慢話 何度も何度も聞いた話を語りだし そのうち夜もとっぷり暮れて そろそろ子供は寝ンならん刻も近づいた頃やったか・・
戸を揺する夜風の合間合間に 何やら トン、トン、と叩くような音が聞こえやした
はじめの内は風のいたずらかと思うておりやしたが どうも誰かが戸を叩く音のような・・
「オイ、誰か来たんじゃねぇのか? お前ちょっと見てみろ」
親父に言われてお袋が「こんな雪の晩に誰なんだろう?」と心張りを外して戸を開けてみると・・
ヒュウヒュウと吹き込む寒気にまみれて そこに立っていたのは 抜けるような色の白い若い女の人でした
頭から真っ白に雪をかぶったその人を見て「おやまぁ! こんな雪の晩に いったいどうしましたかね?」と訊ねるお袋に・・
「旅の者ですが 外を通りかかりましたら 灯りがついているのをお見かけしました」
「今宵はこの寒さ どうか少しの間だけ 火にあたらせていただけませんでしょうか?」
突然のこととはいえ 困っている旅のお人
「そうかい そりゃまあ難儀なこと 火にあたるくらい存分にあたっていきなさるがいい」
そう言って娘さんを招き入れやした・・
細面で色の白い・・ここらへんでは見たこともない別嬪の娘さんやったが・・
どういうわけか この娘さん 何を聞いたところで小さく「ハイ」「ハイ」と頷くだけで どこから来たとも どこへゆくとも あまり話をしようともしない・・随分とおとなしい お人のようじゃった
小半時も経ったか 血の気さえ無いかと思えるほどの白い顔色に ほんの少し赤みがさしてきたように見えたころやったか・・ 娘さんは静かにこう言うたんですわ
「間もなくこの村にも春がやって来ましょう 私どもはなお北の地へとまいります」
「おかげさまで ようよう人心地つくことができました ほんとうにありがとうございました」
それだけ言うて スッと立ち上がったかと思うと 土間に降り自分で戸口を開けやした
まるで狐につままれてでもいるのか 黙ったまま見送る家族の前で ヒュウッと吹き込む雪に包まれるかのように 娘さんは闇の中へと消えていったのです
その途端ですやろうなぁ 親父もお袋もそしてわしでさえも背中にゾォっとするものを感じ いきなり我に返ったようなあんばいで・・
「オ! オイ! 戸を閉めろ!戸を閉めろっ! みんな凍えちまう!」
親父の声にお袋も慌てて戸を締め心張り棒を噛ませました・・
「何だろう? あんな若い姐さんがこんな雪の降る晩に・・」
思わず つぶやいたわしの言葉に・・
「ありゃ 雪女郎だ 雪を降らせる山の気だよ」親父が言いました
「みんな山の気にあてられたンだろう 今の今まで人だと思うとった」
「考えてみりゃ この寒空の中 上っ張り一枚羽織らねぇどころか裸足だったじゃねぇか」
震えながら話す親父にお袋も
「さぁどうぞ と手を取った時 まるで氷のような冷たさだったよ 寒い外を歩いてきたからと言って あんな冷たい手なんてあるもんじゃないね・・」
いやさぁ ほんの半時ほどの間の話ですけども本当に不思議な心地を味わったもんですわ
後で この話を誰にしたところで てんで笑い話にしかとってくれんですけれども・・
今となっちゃぁ 親父もとうにあの世に渡っちまいましたが あの日の終いの親父の顔をよう覚えとります
「話には聞いておったが見たのは初めてじゃ・・ しっかし いい女だったなぁ・・」
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いわゆる “雪女” の定石的なお話ですが、ここでは誰かが悲しい思いをすることはなかったようです。 “囲炉裏の火にあたりに来る” ちょっと珍しいタイプの雪女さんにも見えますが・・ どちらかというと、厳しい冬の終わり、春の到来を告げに来た “春告鳥” ならぬ “春告妖(あやかし)” といったところでしょうか。
親父さんは怖さよりも色っぽさの方に気を取られていたようで、まぁ分からないでもないですが、おかみさんに張り倒されてなければ良いのですがね・・w。
次回、もう少し春寄りのお話を同じ埼玉県 比企の地からお送りいたします。お楽しみに。
『 前玉神社 』 公式サイト
〒361-0025 埼玉県行田市大字埼玉5450
『 埼玉古墳群 』 埼玉県立さきたま史跡の博物館