元々は「髪は長~い友達」でしたかね・・、昔々のCMから拝借しました (^^;。
今回は各地の話題や伝承から離れて、普段の生活、身の回りにある “紙” について少し触れてみようかと考えています。 よろしければお付き合いくださいませ。
「紙」 環境保護や資源保全、また効率化促進のためにペーパーレス化が叫ばれて久しい昨今、PCとネットワーク、タブレット端末などの活用により、主に契約手続きや業務上における書類作成の減少などには成果も出て来ているようです。
一個人、一企業にあらずグローバルな感覚からいうならば、持続可能な世界のためにも必然の希求であるわけですが・・、とは言え この社会、普段の生活から “紙” の使用を全く無くしてしまうことには 中々に難しい面も併せ持っています。
環境保全を別としたペーパーレス≒デジタル化のメリットとして挙げられるものに、・初期投資を除く将来的な運用コストの軽減 ・管理や検索の高速化 ・物理的な保管スペースの大幅な削減などがあり、これらの面は確かに実感し得るものです。
反面、実際の運用場面では、・融通が効かない(一々端末を必要とする、ちょっとした走り書きにも面倒) ・停電やシステム障害に伴い大規模な不都合をもたらす ・セキュリティ的に安全と言われているが未知数な部分も多い・・と、今後の解決が待たれる問題も少なくないのが実状なのです。
そして もう一つ、”紙” を手放せない理由に、歴史に裏打ちされた紙そのものへの使用上の慣れとともに “愛着” のようなものの存在も無視出来ないものです。特に私的な物品や書籍においてはそれが顕著でしょう。
私自身も近年では書籍をデジタルデータで購入することも少なくなく、実質的に保管スペースが0に近い恩恵は何分にもありがたいものですが、本当に気に入った本の何冊かは紙媒体の書籍も併せて保有しています。
書籍のみならず手紙、レシートなどを含む書類、カレンダーなどの掲示物、包装紙、段ボールをはじめとした各種の箱や袋など、私たちの生活に紙は大きな部分を占めています。 人と紙の関わりは一朝一夕には分かち難い歴史の上に成り立っているのです。
という事で、とりあえず紙の歴史を紐解くために、その “ご先祖様” を訪ねてみましょうか。
パピルス紙
“ペーパー / Paper” の語源ともなった「パピルス(papyrus)紙」が古に使われていたことは ご存知の方も多いかと思いますが、「紙蚊帳吊(カミガヤツリ)」という植物の茎の芯部分を使って “書写材” が作られたのが およそ紀元前3000年と言われています。
古代エジプトを中心とした周辺地域で 約4000年の永きに渡って使われていたといいますから驚きですね。
細く割かれた植物繊維を縦横に重ね合わせ圧着したもので、厳密には紙と言うより布に近い構造ですが、軽量で取り扱いも良く書き直しも可能なことから重宝されました。
当然、貴重なものであったことから一般庶民が、おいそれと手が出せるものではなく王朝政府の管理下、専売・輸出の資材としても扱われていたようです。
薄く、軽く、濡れた海綿を使って書き直す事も可能だったため重宝されましたが、半面、折り曲げに弱く割れてしまうため、シート状、もしくは 粘性接着剤(アラビアゴム)で繋がれたものを巻物状にして保存しました。 現在は記録の彼方にしか無い “古代アレクサンドリア図書館” にも膨大な文書が収蔵されていたと考えられています。
エジプト王朝が ギリシア・ローマ系国家の抑圧の中で揺れ動き、クレオパトラ、そしてプトレマイオス15世の死をもって終焉を迎え、イスラムの勢力圏に飲みこれててゆく中、東方から伝えられ定着した “紙” に その座を譲り、パピルスも歴史の表舞台から姿を消したのです。
時の彼方に消えたパピルス、現存する当時のパピルスは限られており*、その製法さえ失われたままでしたが 20世紀に入って復元に成功しており、パピルス草の育成も地中海地域を中心に一部 復活・再生産されています。千年の時を経て今また静かに息を吹き返した古代の遺産と言えるでしょうか・・。
* ベルリン国立博物館(シヌへの物語)エジプト考古学博物館(生活に疲れた者と魂の対話)大英博物館(ハリス・パピルス)などが知られる。
羊皮紙
パピルス紙と並んで永くヨーロッパを中心に使われていたものに「羊皮紙」があります。
こちらも厳密には紙ではなく その名のとおり “皮 / 革” であるわけですが、多くの手数と日数を掛けることにより紙に近い実用性を得ています。 パピルス紙がその構造上 折り曲げに弱かったのに対して、皮革の特徴でもある曲げにも強いため保存性も高く、状況によっては1000年近くの時を越えて残っているものもあるそうです。
パピルス=エジプト、羊皮紙=ヨーロッパというようなイメージもありますが、エジプト王朝内でも羊皮紙は使用されており、上記のようにパピルスが輸出の品であったことも含めて、当時、文化の中心地であった地中海沿岸地域において、両紙とも競合しながら使われていたことが伺えます。
また、羊皮紙の生産向上に、エジプトによるペルガモン王国への輸出制限が発端となっていたことからも、この時代の紙が如何に重要な産品であったことが分かりますね。因みに羊皮紙を表す ”パーチメント / parchment ” は、このペルガモンを語源としているそうです。
“羊” とありますが、山羊や牛なども含めて様々な動物の皮が使われ、鞣し(なめし)体毛を抜いた皮に高い張力をかけながら削ぎ、薄く広く引き伸ばす工程を繰り返し作り上げてゆくのだとか。
パピルス紙同様、現在の紙のように純白とはいかず、なおかつ皮の地色や斑紋、傷などに左右されるため、上質な羊皮紙を作ることは かなり非効率な生産作業とも言えますが、それだけに非常に高価なものとなり、庶民には中々手の届かないものであったところもパピルス紙と同様ですね。
強靭な特質と保存性、そしてその手触りや質感の高さから羊皮紙は現代においても珍重される用途が残っており、一部の外交文書や特別な書籍の製本などにも用いられています。
羊皮紙も10世紀前後になると ”書写材” としての主役の座を ”紙” に明け渡してゆくことになります。 手軽に扱いやすく生産性も高く、書籍への転用も容易で保存性にも優れていた ”紙” は、その初期段階から非常に完成されたマテリアルと言えたのでしょう。
さて、次回ではいよいよ現代に通じる ”紙” の直接のご先祖様のお話、そして、日本における人と ”紙” の関わりについて触れてみたいと思います。