寛政の凶災 島原大変肥後迷惑(後)- 長崎・熊本

静岡県熱海市で発生した大規模土石流災害、長雨と短時間多雨が その引き金と言われていますが、同時に崩壊した山頂部分に違法に積み上げられていた 盛り土が主な原因ではないかと取り沙汰されています。

それが事実であるならば単なる天災ではなく、人災の側面が注目されることになりますが、どちらにせよ、ある日突然 全てをそして生命を奪われることになった者からすればたまったものではないでしょう。 一度失われたものが元に戻ることは決してないのです。

唯一 考えられるのは、もしかしたら事前に予測出来たかもしれない、そして、抑えられたかもしれない災害だった可能性が残るということでしょうか・・。

 

230年前に肥前国(長崎県)と肥後国(熊本県)に大きな爪痕を残した未曾有の災害「島原大変肥後迷惑」 たった一時間余りの間に15000人もの人命を奪う凶事であったわけですが、この大災害にも明確な前兆がありました。

山体崩壊が起こる前年、寛政3年11月から既に島原では有感地震が頻繁に起こっていたそうです。

年が明けて2月には普賢岳で噴火が始まり、やがて噴石が飛び溶岩流が麓に向かって流れ落ちる状況となり 山林被害が拡大してゆくと、島原藩も山奉行をはじめとした現地視察を何度か派遣しており、溶岩流による火災や谷間の埋没、泥熱水の噴出、そして一部の山崩れなど当時の詳細な報告記録も残されています。

 

それでも 大規模な被災を抑えるに至らなかったのは、現代的な自然災害への知識や認識が無く、ましてや 山体崩壊とそれに続く津波発生など、現代でも想定が困難な事象を予測出来なかったことに加え、当初から一貫して藩庁が注視していたのが、普賢岳の噴火そのものと地震による被害に限られていたことにもよるでしょう。

そして、それとともに人々の “慣れ” や “油断” が大きな要因があったようにも考えられるのです。

そもそも普賢岳は平成3年6月の火砕流災害などでも知られているように、古代からの活火山であり、微細な地震や噴煙は古来よりの常態・風土のひとつともいえるものでした。

大きな噴火が始まった後も、久しぶりの噴火だと言って地元の民は手持ち弁当に酒で見物に詰めかけており、あまりの盛況ぶりに藩から禁止令が出されるほどであったようで、この時点で地元民に危機感はあまり無かったと思われます。

 

噴火や地震の規模や被害が増大し、山の鳴動や地割れ 大きな地滑りも確認され、藩主一族や藩政機能が避難を始めるに至って、ようやく危機に瀕していることを感じた民衆が慌てだし、流言飛語が飛び交い、各個に脱出を図るようになると街道は一気に避難民で溢れたそうです。

中世の時代とも言えば都合よく事を運ぶのは権力者ばかりで民衆は放ったらかし・・なイメージもありますが、そういう事ばかりでもなく、事実、島原藩も噴火や地震の増加に合わせて領民の行動規制を発布するとともに、大規模避難時には街道沿いの保安にあたり避難民への食料供出もなされたのだとか・・。

武士たちが避難路確保などに奔走していた記録も残っており、ひとつには港湾の船を徴発して海路避難を画策していたようでした。

ここにも藩の想定が噴火・溶岩流災害に絞られていたことが伺えますね。

不安と混乱に終始した民衆でしたが、半月ほど経ったところで地震の回数も減り 噴火も小康状態となったため、藩主一統をはじめ藩政機能が島原へと帰郷を果たし、その様子をみた民衆もそれぞれの町村へと帰りました。 多少の地震は未だ起こるものの町には活気が徐々に戻り、やがて平穏が訪れるのも遠くないと思われたのです。

人々の想いも虚しく・・ 本当の悪夢が訪れたのは そのわずか10日程後のことでした。

 

後悔という文字は その名のとおり後になって悔いることです

あの時 戻らずにいれば、あの時 もう少し別の見方をしていれば、と思ったところでどうすることも出来ず、仮に “あの時” に戻れたとしても同じ知見、同じ精神状態であれば やはり同じ判断を下してしまうことでしょう。 だからこその “後悔” です。

また、どれだけ知識を集めても「島原大変」のような自然災害を未然に抑えることも不可能です。前編でも触れたように自然の力は人の手の及ぶものではありません。

なればこそ必要なのは、苦しみから得た知見を以後に活かし、次なる試練のための備えとすると同時に、常に心のどこかに(ほんの小さなものでも)”防災につながる意識” を置いておくことが肝要ではないでしょうか。

雨が降り風が吹くごとに避難を繰り返していることは出来ません。まともな生活に支障が出てしまいます。 しかし、意識を持ち続けていれば、普段からの備えや避難手順、さらには避難のタイミングにまで感覚が高まることにもつながるでしょう。

日々の平穏な生活を当たり前のものと感じてしまうのは人間の常ですが、気に病むことのない普通の日常とは、数多の努力と偶然が複合的に重なった上に築かれている楼閣のようなもの。 慣れてしまい感覚が鈍化しきってしまわないように、時折 気にかけてみるのが良いのではないでしょうか。

貴方と、貴方が大切な人を守るためにも・・。

 

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