食うも食わぬも仏の道 那須野湯本から(後)

画像はイメージです。

たおやかな自然に抱かれた高原地帯、家族連れの声も賑わう “りんどう湖”、牧場やサファリパークなど動物との触れ合いも楽しい数々の施設、そして 前編からお話の舞台となっている “那須温泉地” と、栃木県那須地方は まさに北関東における行楽の別天地といった風合いです。

今次のコロナウィルス問題がなければ、行楽シーズンの到来とともに子供たちの歓声も満ちたのでしょうが、先行き不透明の中、出足もまだまだ・・。 いずれ必ず到来する復調の日を待ちながら、今しばらく忍従の日々が続きます。

 

前編にてご案内した前半、那須温泉地の “殺生石” 、その名のごとく近づく人獣草木構わず呪い殺してしまう妖魔の石と古くから恐れられたと伝わるものの、その実 付近一帯から時折噴出する 硫化水素ガスによる被害と危険性に連なるものとお伝えしました。

温泉地であることからも知れるように、この一帯は紛うことなき火山性形成地で、殺生石を含め数多の溶岩石で満たされており、その景観は一見、青森県下北半島の恐山をも彷彿とさせます。(恐山にも温泉があります)

立ち込める妖気に吹き上がる熱床、異界とのつながりを持つかのような奇勝を舞台に交えて、今回後編のお話は始まります。

 

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「教傅地獄」

さても今は昔 後醍醐天皇の頃というから とんと昔

白河の五箇村にひとりの悪童がおった
日頃より癇癪の気を持って 度々荒くれるので周りの者は皆迷惑

このままではろくな大人とならぬであろうと心配した母親によって
この童は寺に預けられたそうな

 

寺の名は蓮華寺というた

教傅(教伝)の名を授かり仏に仕える身となった童だったが
その後も中々にその性分は治らなかったと

それでも歳を重ねてゆくうちに些かなりとも人心に通じ
二十八の歳にはついに この寺の住職を継ぐに至り 母親を呼んでともに暮らすまでになったそうな

 

そんなある日 教傅は数人の仲間内と那須の温泉へ湯治に行くこととなった

久方ぶりの遊山と楽しみにしておった教傅だったが・・
旅立ちの朝 まだ旅支度も整わぬうちに母親が朝餉(朝食)を勧めてきた

急かされたとでも思うたのか ここで拭いきれぬ悪癖が 再び頭をもたげた教傅
腹を立てて母親に向かって悪態をつくと あろうことか用意された朝餉を蹴り飛ばし そのまま家を出てしもうたのだそうな

 

つまらぬ些事に腹を立て 無体なことをしたと気を濁らす教傅であったが
仲間たちと温泉地で過ごすうちに それも忘れてしもうた

ひと通り湯治も終えて帰途を辿ろうとした時 逸話多き殺生石を見て帰ろうということになった

山肌に差し掛かると そこは噂に違わず異界の様相 不穏の気が流れておる
殺生石が見える頃には にわかに黒雲が立ち込め 地鳴りのような音が聞こえ面々を脅かした

突然 ひときわ大きな地鳴りが沸き起こったかと思うと 地が裂けそこから焔の如き熱湯が吹き出したではないか

仲間たちは この地獄のような有様に 手にした荷物も放り出し這々の体で逃げ出したそうな

ところが この時 教傅だけがその場から一歩も動くこと叶わなかったのだと

振り返った仲間たちが目にしたものは 突っ立ったまま灼熱の熱湯にもがき苦しむ教傅の酷い姿だった

「俺は出立の朝 母の作った飯を足蹴にし人道を踏み外した 今その報いを受けて火炎地獄へと堕ちてゆくのだ!」

そう叫びながら のたうち回る教傅であったが 仲間たちとて どうすることも出来なかったそうな

 

ようやく火勢も収まり 仲間たちの手によって岩間より引き出された教傅であったが
その時は既に下半身 炭の如く焼けただれ 助けの甲斐もなく間もなく息を引き取ってしもうたのだと

教傅が苦しんでいた辺りからは その後も沸々と泥流が湧いておったが いつしか消え失せたという

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この地は 後に教傅を偲ぶ地蔵仏が置かれ、親不孝を戒める遺地として現在でも供養祭が執り行われています。

前編にてご案内した「喰初仏」と異なり非業の結末となっていますが、教傅(教伝)の名からも伺えるように、この逸話をして すべからく人道の全うを願う伝承として、少なくとも江戸時代の頃から伝えられているそうです。

また、供養のための地蔵が据えられたのも 当時享保十五年とされ、以来二百数十年に渡って祀られてきましたが、昭和の時代に長年の風雪によるものか首の部分から崩落してしまい、地元有志による復興運動にともない新たな教傅地蔵尊が建てられました。

元からあった地蔵尊も修復が施され、長年の労をねぎらうかのように新地蔵の後方に静かに控えています。

 

「喰初仏」では生まれついての障りがある子が、霊験による過酷な再生を越えて健常を手にしますが、この話の背景には精進を積む母父の徳、”食” に対する敬意、とともに仏教観である “因縁” が流れています。

今編「教傅地獄」でも 人の持つしがらみとともに、”食” に端を発する不遜の “因果” が話の核となっています。

人の行い、日々の些細な心掛けが、いかに人生にとって重要であるかを説く仏教の基本的理念が、こうした伝承にも息づいているといえるでしょう。

時が流れ 人々の生活も様変わりした現代にあって、伝承の伝えるところには馴染まぬ部分があるかも知れませんが、その中には時代に左右されることのない大切な真理も隠されているのです。

 

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