人の夢そして星の夢 五稜郭イルミネーション ー 北海道

晩秋を過ぎる頃になると聞こえてくるのが “ナイト・イルミネーション” イベント、寒さつのる夜空に一際きらめいて人々の気持ちを優しくしてくれます。12月も後半になりクリスマスも近づくとツリーの光も手伝って街の夜景に華を添えてくれますね。

現在では寒期の恒例になった感の “イルミネーション” イベントですが、日本においてはやはり1995年に発生した阪神・淡路大震災からの復興を願い、神戸で始められた「神戸ルミナリエ」を契機に、専門のイベントプランニングも増え全国各地で見られるようになりました。

歴史から見るイルミネーションは意外と古く、日本においては既に明治33年(1900年) やはり神戸の港で行われた “観艦式”(日本で初めて観艦式の名が用いられた)で夜の水面を照らす艦艇の装飾照明が話題となり、また同時代 都市圏で開かれた “勧業博覧会” でも大いに人気を集めたと言われています。

 

北海道 函館の史跡「五稜郭」を美しい電飾で彩り、地上に巨大な星を描き出す「五稜星の夢(ほしのゆめ)」イルミネーションが今年も開催されています。

内濠の周囲 約1.8kmに2000基の電球で照らすのですが、点灯時にはきれいな直線となって仄かに光り輝き 見事な星型を灯し出すこのイベントも今年31回目となり、訪れる観光客のみならず函館市民にとっても、冬の到来と感動をもたらす風物詩となりました。

隣接する五稜郭タワーからの眺望であれば、その全景が一望出来て一層ロマンチックな気分も盛り上がるでしょう。 タワー1階のアトリウムもブルーのイルミネーションで彩られ幻想的な空間を演出しているようです。

 

お城とイルミネーションのコラボレーションは各地の城郭史跡で取り組まれていますが、日本の伝統文化である “城” と、現代的・西洋文化的なイメージの電飾の演出は中々に組み合わせに難しいところもあり、多くはライトアップによる落ち着いた演出となるようですね。

大阪城のイベントでは公園内でのイルミネーション造型、兵庫県 明石城 や 三重県 田丸城 においては(天守閣が現存しないため)イルミネーションで仮想城郭の復元を演出しています。

その意味で言えば、外濠とはいえ城郭そのものを縁取り際立たせる五稜郭のイルミネーションは、日本において数少ない “星型・稜堡式(りょうほうしき)” 城郭の特徴を絶妙に生かした演出ではないでしょうか。

 

現在では歴史公園としてのイメージが先行しがち、城郭であった記憶さえ薄れつつある五稜郭ですが、封建時代の歴史の中で極めて後期に造られ、尚かつ 単なる居城としてだけでなく、時代の移り変わりに翻弄されるがごとく熾烈な戦闘にまみれた激戦地でもありました。

五稜郭が建造されたのは 慶応2年(1866年) 、江戸幕府により蝦夷地における統治と守護の拠点として築城されました。ロシアを含む外国船の渡来・脅威への対応を計ったものと言われています。

それまで機能していた “函館奉行所” が、艦船搭載の大砲の射程距離内にあったことなど機能的に不足であると考えた幕府が、新機軸を取り入れつつ完成させた当時最新鋭の城塞であったそうで、象徴性よりも実践力を重視した むしろ戦闘要塞としての性格が強い施設でありました。

蝦夷へ向かう旧幕府軍 / Wikipedia

何よりも その特徴である星型の形状は “稜堡式(りょうほうしき)” と呼ばれ、15世紀後半から18世紀にかけてイタリアやオランダを中心にヨーロッパで発展した城塞形式です。

現在、紀行番組などで紹介されるヨーロッパの城は、多くが岩を積み上げた垂直に高い大城ですが、銃器や大砲の開発・実戦投入にともない その有効性を失ってゆきます。 星型 / 稜堡式” の城塞でも砲撃の対象にはなりますが、その対処に土塁や煉瓦を複合した低く分厚い外壁でそれらからの被害を抑えます。

そして 城塞内に設置した大砲から外敵を砲撃するとともに、城壁に取り付こうとする兵を星型の突端内にある稜堡からの射撃で一掃し、尚かつそれぞれの突端稜堡が互いを射程角に納めカバーし合うので、ほぼ全方位に対して防御・攻撃の死角が無いという、正に戦闘に特化した城と言えるでしょう。

 

しかし、大砲の性能が向上し長距離・大仰角(高高度に撃ち上げて着弾させる砲撃)射撃が可能になり、榴弾砲(着弾して炸裂する砲弾)が開発されると その有効性も半減し、そもそも軍団の機動性が上がると城塞そのものの意義が失われて星型城塞も徐々に過去のものとなってゆきます。

対外要塞としての五稜郭でしたが築城からわずか二年後には江戸幕府が崩壊、明治に渡る動乱の中で起こった戊辰戦争の一端、北避した旧幕府軍と城を護る新政府軍によって繰り広げられた “函館戦争” の舞台となってしまいます。

皮肉にも五稜郭を砲撃した最初の艦隊は外国武力ではなく国内勢力であったのでした。

緒戦に勝利した旧幕府軍は五稜郭を接収、榎本武揚を筆頭に “蝦夷共和国” 樹立を宣言、城塞を中央司令部として体制固めに着手しますが、徐々に勢力を整え盛り返してきた新政府軍に敗戦を重ね 函館政権宣言から半年待たずして全面降伏、開城。

両陣営、計千数百名の死者、数千名の負傷者を出しながら “函館戦争” は終結、五稜郭 中央部の奉行所は新政府軍の艦砲射撃を受けて大破、戦死者の中に元新選組の土方歳三も含まれていたことはよく知られていますね。 そして時代変革時の悪夢 “戊辰戦争” も終焉に至ったのです。

 

終戦後 五稜郭は、明治時代に一時期 軍の管轄となりその関連施設として利用されたものの既に軍用としての有効性は失いつつありました。 大正時代に函館区からの要望を受けて軍から公益地としての使用許可が下り翌年「五稜郭公園」として開園、新たな道を今日につないでいます。

維新に突き進む者、時代の流れに抗う者、どうすることも出来ずそれらの濁流に流される者、全ての人々の熱意と無念、数多の生命を巻き込みながら この国で、そしてこの蝦夷の地で繰り広げられた灼熱の時は 今はもう遠い過去の物語となりました。

今在る「五稜郭」が人々にとって最も好ましい姿なのは言うまでもありませんが、この地を訪れる時、過ぎ去った歴史の一端をふと思い出したなら、旅の思い出にもより深みが増すのかもしれませんね。

 

「五稜星の夢」 函館イベントガイド

「五稜星の夢イルミネーション」 五稜郭タワー

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