師走も半ばとなり寒さも募ってまいりました。いよいよ本格的な冬の到来、そろそろイナバナ.コムも冬用の背景画像を用意しなければなりませんね。
日本の真ん中よりさらに南の方に住んでいて ”寒い” などと言っていたら、北の寒冷地域の方々に叱られそうですが、基本的に寒がりなんですよね私は・・
南国生まれのせいもあるのか、それとも単に根性が無いだけなのか・・(苦笑
毎年、11月ともなると「あぁ、一瞬に年越して5月位にならないかな~」なんて思ってしまいます。 本当にもう尊敬してしまいますよ 寒さに強い方・・寒風吹く中を朝の早くからウォーキングやジョギングを毎日こなして健康そのもののように伺います。
自分もあのようになれればと思いますが、いやいや無理し過ぎても体に毒だから家の炬燵でゆっくりしていよう・・ やっぱり単に根性が無いだけのようですね・・
いわんや、この時期から年明けになると聞こえてくる「寒稽古」だの「寒中水泳」だの私からすると元気!とか根性有る!とか通り越して最早 ”超人技” の領域です。
何も こんな寒い時期にわざわざ凍りつくような水に入らんでも・・と思ってしまいますが、元々は神仏に対し 苦境の中に己が身を投じて行う “修行・修験” から来ているもので、精神鍛錬に本義あるものなのでしょう・・
まぁ寒い時期にしなければ 只の「稽古」「水泳」になってしまうので それはそれで意味が無いのですが・・
福井県美浜町、三方五湖をして若狭湾に突き出た半島の一角、日向(ひるが)の町で「寒中水泳」ならぬ『水中綱引き』が催されるそうです。
・・ご苦労さまですm(_ _)m・・
国の無形民俗文化財にも指定されているこの行事は、年明け1月の17日に執り行われるのだそうで、その年の豊漁と無病息災を願ったいわゆる小正月明けの神事となるでしょうか。
当日、未だ日も昇らぬ時刻から地元の若衆は当地の鎮守「稲荷神社」に集まり、約3時間をかけて太い縄を綯うそうです。
直径30cm 長さ40m にも仕上がった縄を神社から引き出すと、日向湖から外海につながる川瀬にかかる日向橋まで運び、その欄干に一度掛け、御神酒とともに水面へ落とします。
あちらこちらに大漁旗が掲げられ祭りが最高潮に達するとともに、肌も凍てつきそうな気温の中、橋の欄干から次々と地元の若衆が水面めがけて飛び込むと我先に綱を泳ぎ寄って体制を整えます。
歓声と声援の中、東西の派に別れ綱を引き出すのですが、ここからは一般的な綱引きとは若干趣が異なります。 両端に分かれて綱を引き合うというよりも “綱を引きちぎる” ことに意味があるようで、奮戦の挙げ句 千切られた縄は外海に流されるとともに海の神に奉納されることになるのだそうです。
中々に趣深い神事ですが、綱引きを行い最後にはその綱が切れ、切れた綱を海に流し納めるという行為は 古来他の地域でも見られることがあるそうで、もしかすると、そこには流し雛のように人の穢れや煩悩、厄災を祭りで禊いで流す、もしくは願いを込めて海の神に納めるという意味合いが有るのかもしれませんね。
そもそも ”綱引き” なるもの一般的には運動会などで目にすることが多いイベントのためか、それほど古い歴史を持つ印象が薄く、ややもすると明治期以降に根付いた文化のようにさえ思えてしまいますが、その創始は意外と古く一説には飛鳥・奈良時代にまで遡るものなのだとか。
古くは藁や茅を綯い太い縄を作り、競技としての意味合いと占いを含む神事としての意味合いを兼ね備えて行われていたものだそうで、神事という背景から注連縄との関連をも指摘されています。
また、綱を引くという行為は争議の裁定や領土の獲得という背景をも含まれていました。
出雲の「国引き神話」や 現代 長野県~静岡県・兵越峠で行われている「峠の国盗り綱引き合戦」にその姿を見ることが出来ますね。
始まりは神事として、また 貴族階級の興事として見られた綱引きですが、次第に庶民にも広まることとなり、室町期には綱を引き合って遊ぶ大人や子供の姿が当時の絵からも伺えるそうです。
今回、ご紹介した『日向の水中綱引き祭事』には その由来に二つの謂れが残されています。
江戸時代の初期、日向村の山が崩れ、その土砂を取り除こうと村人たちが奮戦していたところ大蛇が現れ村人たちを脅かした。
大蛇は湖から海に流れる河口を塞いでしまい漁にも出られない。
困った村人たちが長老に相談したところ ”蛇は自分より大きな蛇を嫌う” との知恵を授かり、それならばと藁を集め大蛇より大きな縄を綯い、河口の橋に架けたところ いつの間にか大蛇は消え失せ その後 港は大漁で賑わったので、これを契機に祭事となったというもの。
今一つが、これも江戸のはじめ・・
当時、日向の浜は広い浜辺が広がっていたが、潮の流れが変わり浜の砂が流され浜地が減り船を上げておく場所に事欠くようになってしまった。
困った村人たちが時の藩主、酒井忠勝公に願いを上げ湖と外海をつなぐ水路を開いてもらった。これにより日向湖は船をつなぎ守る穏やかな港となり大漁にも恵まれた。
綱引きの祭事は酒井忠勝公の尽力と水路の完成を祝って始められたものである・・というもの。
どちらの話も、自然による災難と運河・水路が深く関わる由緒ですが、どちらも1960年代と言われるお話であり、この頃に何らかの災害とそれを克服した歴史が有り、それが祭りの形で現在に引き継がれているのでしょう。
かく残るように人の歴史と自然の歴史はいつの時代も互いに密接に絡み合い紡がれているのです。
390年間に渡って続く『日向の水中綱引き祭事』、機会があってご覧になることがあれば その片鱗に触れることが出来るかもしれません。
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