全国各地の話題やコラム、伝承などをお伝えする当イナバナ.コム、こんなブログを書いていますと、(地元の方には常識なれど)今さらながらに知り驚かされ、勉強させられる事実や歴史に認識を改めることがしばしばです。
熊本県といえば 古の火の国、阿蘇山の大自然や県の象徴でもある勇壮堅固な熊本城のイメージが主で、歴史的な地場産業に対する印象が薄かったのですが、この地はかつて製鉄技術に長けた土地柄であったことを最近知りました。
事の発端となったのはインターネット上で見かけた一枚の画像、安価な造りの折りたたみ機構、私も子供の頃 よく見かけた「肥後守」と呼ばれた、今でいうカッターナイフのような存在の道具です。
プラモデル(模型)やカッターナイフ、そして鉛筆削り機が普及し、いつしかその姿を見る機会が減りましたが、それまでは鉛筆を削ったり竹ひごを細工したり様々な場面で重宝したものです。 昭和中盤の男子小中学生にとっては必携のアイテムであり 一種のステータスでもあったように思います。
近年ではその使いやすさや懐古的な想いからか需要が増え、リバイバルを果たしつつあるようで中には数千円から万円を優に越える高級品も登場しています。
「肥後守」の名称から当然 元は肥後国=熊本の発祥だろう、これに基づいて熊本県の記事を書こうと思ったところ、調べてみると「肥後守」の登録商標は兵庫県三木市の製作所、その歴史も昭和27年頃に三木市平田の金物商が 九州から持ち帰ったナイフを基に開発した携帯型の折りたたみナイフが始まりなのだとか・・
発売したところ大変な好評を得て大きな産業となったものの、各地で粗悪な類似品によるトラブルが頻発し、これを規格調整するために「肥後守」を商標を登録、組合登録制による製造としたのだそうです。
ともあれ「肥後守」そのもののトピックでは熊本県の記事を作り難いなぁ・・と思ったのですが、考えてみれば その端緒となったのは九州、主に鹿児島や熊本の製鋼業にあったのもまた事実、ここに至ってようやくこの記事に着手と相成ったわけです。 長い前フリになってしまいましたね・・スミマセン
熊本市の南部、川尻は室町時代、応仁の頃に端を発する鍛冶屋町であったそうです。 古くは農耕に必要な鍬(くわ)や鋤(すき)を主に製造していたようですが、技術の進展とともに包丁や小刀など研ぎものの製造にも技を奮っていたようで、”川尻刃物” として名を馳せました。
県南部の人吉市に鍛冶屋町が形成されたのは鎌倉時代と言いますからさらに古い年代、川尻と同じく農耕具用の鍛冶を手掛けていましたが、(戦)騒乱時には刀剣の一部などの製造も担っていたようです。
天草地方にも多数の鍛冶場がありここで作られる天草鍬は京、江戸、尾張と並ぶ農具の名品と称されたのだとか。
これらの鍛冶はその成り立ちから 純然たる刀匠 “刀鍛冶” とは区別して “野鍛冶” と呼ばれ、ややもすると一段低い位の製鋼業のように認識される場面もありましたが、裏を返せば その本旨が生活や実用にあることが明白で、それは孤高の芸術性よりも実用面における利便性や耐久性に重きを置いたものであったと言えるでしょう。
質実剛健とも言える製鉄・製鋼、そして金物製作の技術はやがて造船業にも転用され江戸時代を通して肥後国の大きな産業となりました。
上でご案内した「肥後守」の発案・製作の元となったナイフが、どのような形のものだったのか今となっては知りようもありませんが、実用性において他に並ぶもののない品質の鍛造金物を作り続けた当地の生産品なればこそ、やはり実用性に長けた製品の基点と成りえたのかもしれませんね。
そもそも 熊本や鹿児島などになぜ製鉄が勃興したのかを紐解けば、元来 この地には古代に製鉄所が成立していたようで、平安時代には盛んに操業していたそうです。
古代 “たたら製法” による製鉄が行わており、現在 その姿は史跡として面影を僅かに残すばかりですが、中には原型を留めている “炉” もあり 往時の製鉄状況を知る貴重な研究資料ともなっています。
“たたら製鉄” というと現在の岡山県から広島県に跨いだ “吉備地方” が有名で、ここで生産される武具は大和の政権の支えとなったそうですが、半島・大陸から伝わったとされる製鉄技術は九州の地にも伝えられ、当地勢力に重用されたのでしょうか・・
玉名地域にあって “西原製鉄遺跡” “むくろじ製鉄所跡” などをはじめとする「小岱山(しょうだいさん)製鉄遺跡群」、玉東地域「三ノ岳製鉄遺跡群」、宇城市「大岳製鉄遺跡群」などが確認されており、何ら近代施設の欠片さえ無い千年もの昔に この地で赤々と燃えていた製鉄の光を思うと、胸に熱いものがこみ上げてくるようです。
明治時代以降、最重要国策のひとつとして再編整備が進められていった製鉄業、現在 九州においては福岡県が全国8位、大分県が12位の規模を有する以外、熊本県や鹿児島県などの製鋼産業は過日の賑わいをひそめましたが、ここには往古の時代から江戸期にかけて数百年に渡る製鉄の文化が息づいていました。
冒頭で(地元の方には常識なれど)と書きましたが、全国各地、ものによれば 地元で生まれ育った人でも殆ど知らぬ間に過ごしている、その地の過日の意外な姿があるかもしれません。
お時間とご興味を持たれましたら図書館や歴史館、また手軽にインターネットを活用して自分の生きる地盤の歴史に耳を傾けてみるのも一興ではないでしょうか。
私事ですが、以前 地元の古い地理を知りたくて市の図書館で調べ、昭和初期から明治期の地図を見つけ 現代の地勢と見比べてみましたが、これだけでも結構楽しめましたよ。