~ 東洋高原の美しい山並み、 木曽川の清流日本ラインにそそぐ可児川の源にあるここ鬼岩公園は自然美にあふれています。 その中で目に見張るものに、木曽駒ヶ山系の花岩があり、数千万という風雪に洗われて巨岩怪石となり、 渓谷一帯に美しいコントラストを見せています。岩の上から見渡した360度大パノラマは、 自分も景勝の一部になった気分にさせてくれます。 ~ © 鬼岩観光協会 鬼岩観光ナビ 案内より
岐阜県東濃 瑞浪市の一角、松野湖から流れる渓流に広がる「鬼岩公園」は上の案内にもあるように、恒久の時に象られた奇岩・怪石が壮大に並ぶ景勝地であり、また白亜紀以前の地層を基とする天然温泉湧き出す風光明媚な温泉地でもあります。
この「鬼岩公園」の名の元であり、伝承に登場する鬼が棲んでいたとされる『岩穴』が、この11月、2日間限定で公開・穴くぐり されるようです。
そろそろ紅葉の季節でも有り古来伝承の景勝にのんびり お出掛けになられるのも良いかもしれませんね。
本日はこの「鬼岩」にまつわる伝承をご案内致しましょう。
「孫六兼元」と言えば 通称「関の孫六」 同郷 美濃の和泉守兼定とともに名物中の名物として世に知られる日本刀の銘ですが、同じ “関の〜” でも あまり有り難くない・・いや結果的には有り難いか・・ 何とも例えようの難しい名物が “関” に伝わります。
その名は「関の太郎」・・ もう一つ捻りのない命名ですが(笑)太郎は男性名の総称でありながら 大きく力強さを表すものでもあるので、個の名称であるとともに その有り様を指した通称とも言えるのでしょうか。
“関の太郎” 後白河天皇の時代(1100〜1200年頃)にこの地で悪行を働いた “鬼” の名です。
よく言われるように “鬼” と呼ばれるものの多くは いわゆる凶悪な “野盗・山賊” の類いなのですが、この “関の太郎” もそういった凶徒の一人であったのでしょうか、元々は関の生まれ故の呼び名でありました。
身を持ち崩し横暴を奮い里を追われたのか 東濃の方へ流れ、御嵩の次月(しづき)にある渓流の岩穴に棲みつくようになり、いつしか人はそこを「鬼岩」と呼ぶようになったそうです。
ここは山間の地ながら東山道に近く土岐と美濃を結ぶ途上でもあったため、この道を通る旅人も少なくなく “関の太郎” による凶行が図られる街道となってしまいました。
その被害は里にも累々と及ぶようになり、里人は一人二人で動くこともままならず、ほとほと困り果ててしまったのです。
後に残される句に当時の状況が伺えます
“恐ろしや次月の里の鬼すすき”
結果的に “関の太郎” はいずれ成敗されるところとなるのですが、この顛末には二通りのお話が遺っています。
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関の太郎(一)
太郎鬼の悪行に困り果てた里人たちは ある寄り合いで話し合うた
あの鬼は人に化けて里の祭りに来るそうな
うわさでは 昨年も人に紛れて祭りに来て しこたま酒を喰ろうたのだそうな
ならば 今年の薬師さんの祭りにも来るかも知れぬ
されば 人に化けた鬼とそうでない者の見分けをつけようではないか
そこで里人はそれぞれの手のひらに消炭で印を付けた
果たして祭りの日 太郎鬼はすぐさま里人の知れるところとなった
それでも里人は慌てず騒がず そのような素振りもみせず太郎鬼に酒を飲ませた
酒を飲ませ飲ませ 浴びせるように飲ませて
太郎鬼が酔い潰れるのを待ってその首を落とした
このことを都の殿様に知らせようと その首を桶に入れ蓋をして担ぎ棒で運んだ
ところが御嵩を出ようとするころ急に桶が重くなりだし ついには一歩も進めぬ程になってしもうた
不思議に思うて桶の蓋を開けてみると まるで生きているかのような怒りの形相でこちらを睨んでいるので 里人 皆怖くなり その地に埋め 以来そこを鬼の首塚と呼んだそうな
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少々 ホラーな、陰鬱なムラ社会の暗面も垣間見えてしまうようなお話になっていますが、もう一遍は基本同じながらも もう少し歴史説話的な語り口です。
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関の太郎(ニ)
関の太郎 の蛮行に困り果て里人たちは 国司に救いを求めた
国司を通じて訴えを受けた後白河帝は纐纈源吾(こうけつげんご・源氏系士族)を遣わされ 悪鬼成敗に臨んだが 神出鬼没の振る舞いに翻弄されてしまう
可児の薬師如来に祈祷を捧げると卯月朔日の祭礼に 女性に化けた鬼が参るとの託宣あり
果たして その祭日に身を隠し待ち構えれば 一人の怪しき女性現れ
すぐさま これを捕らえ被りをはがせば 正しく太郎の本性顕せり
一刀のもとに首を刎ね 実験(首実検)のために都へ運ぶを試みるも
道半ばにて その首重くなり 挙げ句 首桶吊りし縄も切れ その地に首転げ落ちる
落ちた首 いよいよ重く 動かすも能わず その地に埋めざるを得ず
この地 後にその名を 桶縄手 と言う
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さてさて、何とも血なまぐさいというか 悪鬼退治の典型のようなお話でしたが、興味深いのは まだここから・・
当地、御嵩町(みたけちょう)では 悪辣であったこの鬼を「福鬼」として扱っているのです。 節分での掛け声も珍しく 『鬼は内!福は内!』と唱えるのだとか・・
それには、前述のお話の後に次のような説話が語られているからなのだそうで・・
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・・・祭事の場で仕留められ刎ねられた太郎の首は 纐纈源吾ら一行の手によって桶に入れられ都へ運ばれることとなった
しかし 次月の地を出ようとする頃 桶は殊の外重くなり ついには一歩も進めぬようになってしもうた
これは如何なることと桶を地に置いたところ 俄に縄が切れ桶の蓋が開いたかと思うと中から “太郎” が現れ こう言わしめたそうな
「我 今日に至るまで悪逆無道の道を歩むも 薬師如来に導きによってその道を絶たれ あまつさへ その慈悲によって成仏を遂げること叶った」
「これより後は この地の守護となり 地の豊穣と民の安寧に尽くそう」
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これは 地元で “蟹薬師” さんとも呼ばれ尊崇篤い天台宗の寺院「大寺山 願興寺」の伝承に語られるものです。
見事なる転生の逸話・・・というか、少々倫理的、仏教的教話の感が否めませんが、これにより “関の太郎” による凶事・禍事は 安寧・至福の慶事へと転身し、鬼を祭ることによって地元の繁栄と願う祭事につながることとなり、同時に太郎に対する鎮魂ともなったのでしょう。
さて、ここまでお話を続けて ”鬼事件” の代表格 ”源頼光vs酒呑童子” の一遍との共通を感じる方もおられるでしょうか・・
大江山で誅された酒呑童子ですが、伝承の地には「首塚大明神」が有り(京都市西京区大枝沓掛町)ここでも その一節に、酒天童子が死して改悛し 後に地元の鎮護となると言い残したという話が残りますので、鬼退治からその鎮魂、そして平和への思いとはそういった逸話の形をとるものなのかもしれませんね。
生まれながらにして鬼になりたいと思う者もいなければ、悪人になりたいと願う者もいません・・、 それでも この世から災いの種が尽きないのは、生まれついての環境やその後の因縁の綾が悪く作用したからなのでしょう。
生来、人はその内に善悪両方の性を宿した生き物でもあるのです。
しかし、人に社会に仇なした者が相応の責めをもって裁かれねばならないのもまた事実、
「禍福は糾える縄の如し」の言葉のとおり、人は生きる上で幸せの時と苦しみの時を交互に数えながら、それでも幸せを願って懸命に生きるほかありません。
古来の人々はそれを様々な伝承に託して現代に伝えているのでしょう。
御嵩町 鬼岩の鬼は今は可愛らしいキャラクターに描かれ、毎年節分の時には ”鬼太鼓” も披露、福を蒔きながら地元のために頑張っています。 機会がありましたら是非 見に行ってあげてください。
『 鬼岩岩穴くぐり 』 (一社)岐阜県観光連盟サイト
日 程 : 開催期間 2020年11月14日(土)・15日(日) 午前の部9:30~11:30 午後の部12:30~15:30 ※当日雨天または、前日までの雨量により中止あり
場 所 : 〒509-6251 岐阜県瑞浪市日吉町9514「鬼岩公園」
問い合わせ : TEL.0574-67-0285 鬼岩観光協会
「鬼」に関連した過去の記事
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