刀匠の三男坊は世界に羽ばたく「板画家」となった – 青森県

「日本から生れた仕事がしたい」  棟方志功 の言葉です。

棟方志功(むなかたしこう / 明治36年~昭和50年)、世界にその名を知られた “板画家”、奔放でありながら幽玄、躍動的でありながら静謐、まるで感情の赴くままに鑿(のみ)をとり筆を走らせ、その独自の世界観を提示するさまは「日本のゴッホ」とも呼ばれ一説には国内よりも海外での評価が高いのではと言われているほどです。

迷いなき彫り口、精彩かつ幽微な色彩、豊満なる仏の肢体、生きることのエネルギーと神玄の世界が交錯したかのような作風は、近年メディアで取り上げられる機会も多く、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」などでも よく取り沙汰されていますね。

 

「青森」その名の如く往時 青森市の中心地に青き森があり、それが青森の名の元となったそうです。 青森市本町二丁目の辺りであったと伝わり、その位置を示すプレートも立っていますが現在その面影はありません。

その本町の近く安方の地に、北海・陸奥湾に面した青森市らしく 宗像三女神を祀り厳かに鎮まっているのが「善知鳥神社 / うとうじんじゃ」であり、この社もまた ”青森発祥の地” と謳われています。

古くは善知鳥村と呼ばれたこの地に棟方志功は刀鍛冶職人の三男として生を受けました。 棟方の姓は青森県に非常に多く見られる姓で、戦国時代に弘前を統治した棟方氏にその由来を見ることが出来ますが、その棟方氏のルーツは筑前国宗像郡(現在の福岡県宗像市)であったと言われ、遠く南北の地を越えて宗像=棟方の縁を結んでいますね。

 

幼き日より「ねぶた祭り」の鮮やかな灯籠美と躍動感に強い興味を持ち、その感性を育んでいました。 身の回りのあらゆる ”美” に対して極めて敏感で、少年時代に目にした文芸誌に載っていた ゴッホの「ひまわり」に決定的ともいえるほどの感銘を受けたようであり、これらの足跡が彼のその後の作風に大きく関わっていることは想像に難くありません。

大正時代も末、画家を志し上京、旺盛な制作意欲のもとに油絵を主に出展、しかし 当初は中々に取り上げられることもなく苦戦したようです。

されど「高名な先生に師事したら・・」という周囲の勧めはことごとく固辞し、「師に就かば師以上のものを作れぬ。ゴッホも我流であったはず、自ら生まれるものを作らなければならない」と独自研鑽に励んだそうで、冒頭の「日本から生れた仕事が・・」という言葉も こういった想いがその底辺に流れているのでしょう。

 

昭和3年には「雑園」が初入選します。以降、次々と作品制作に取り組みながら美術教師の職も得ますが、この頃から版画制作へも傾倒、下澤木鉢郎の紹介で版画家 平塚運一に版画の基礎を学び、昭和7年には日本版画協会会員にもなっています。

 

– ああ倭 お身の名を再び呼べばわが目にはふるさとの空晴れ渡り 山々は肌も露わに現わるる -  詩人 佐藤一英「大和し美し」からの一節です。

昭和9年 この詩篇に出会った志功は これに甚く感動し 版画作品を制作、国画展に「大和し美し」の銘で出展すると これが大きな話題となり棟方志功の名を世に広めました。 と、同時にその後の志功の作風の確固たる礎ともなってゆきます。

ゴッホを目指して世に出た青年は その内にゴッホを宿しながらも、その想いのごとく独自の芸術性を開花させると、柳宗悦や河井寛次郎ら民芸・文芸各界の著名人との交流も増えてゆき、益々にして精力的に制作に取り組み後世に残る作品を生み出してゆきました。

 

 

志功は自らの版画制作を “版画” ではなく “板画” と呼び、その作品を “作” ではなく ”柵” と表現します。(よって、自らを板画家と称します。)*

それは 版画を刷るための版木を単なる材料ではなく、木に宿る魂を浮き彫りにしながら、そこに消費ではなく木を生かす念を込めながら作品を仕上げてゆくという想いが込められています。

同じく ”柵” は、古来 四国巡礼のお遍路さんが巡る寺にひとつずつ納めてゆく御札を ”柵” と呼んだことから、ひとつひとつの作品に神仏にそしてこの世の喜びに対して祈りを込めて作り納めてゆく想いからこの呼び方をとっているそうです。

* 他に、肉筆画 / 油絵を「倭画(やまとえ)」と称しています。

 

幼少時に囲炉裏の煤で左目を痛め その後 右目も極度の近眼であったため、版木にくっつかんばかりに顔を近づけて彫りに勤しむ棟方志功、 鉢巻を締め豪快に笑い、神玄深き世界に想いを置き、旅に出掛けては行く先々で 自然の美しさに感動と新たなインスピレーションを掴み取る彼の制作意欲は 晩年に至るまで尽きることなく、自ら称した「板極道」のごとく感動と創造に邁進した生涯でした。

青森市の霊園にある志功のお墓は生前 彼の意向により敬愛する画家ゴッホの墓に似せられて作られています。碑銘には志功の名とともに仲の良かったチヤ夫人の名も刻まれ、更に没年の項には永遠・無限を意味する「∞」の文字が記されているそうです。

 

生涯を通してゴッホを敬愛した棟方志功でしたが、彼の創造と制作に注ぐ想いはいつしかゴッホを通過し棟方志功独自の作風を切り開き、それは彼が望んだとおり “日本から生まれ” 世界に羽ばたいていったのです。

棟方志功の作品は下記「棟方志功記念館」でご覧になれます。
また「青森県立美術館」でも逐次 棟方志功の展覧会が開催されているようです。
新型コロナウイルス感染抑制に留意しながらご訪問下さい。

 

 

「棟方志功記念館」 公式サイト

場  所 : 〒030-0813 青森市松原2丁目1番2号

アクセス : こちらから

問い合わせ : TEL 017-777-4567 / FAX 017-734-5611
.      または こちらから

 

「青森県立美術館」 公式サイト

場  所 : 〒038-0021青森市安田字近野185

アクセス : こちらから

問い合わせ : TEL 017-783-3000 / FAX 017-783-5244

 

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