清流の里 逸話の深山 黒尊の宮 – 高知県

* この記事は2019年06月20日にポストした記事の再掲載記事となります。ご了承下さい。

 

日本最後の清流 と言われる高知県 四万十川、全長196kmに達する四国最長の一級河川にして多くの支流をもち、また 大きなダム施設をもたず”沈下橋” が多数 配置されているなど、大規模河川でありながら自然の雄大さと特徴ある景観を楽しめる川として親しまれています。

四万十川の名は全国津々浦々 知らぬ者はいないほど有名ですが、その名が法的に定められたのは意外と最近で平成6年7月といいますから まだ制定から30年も経っておらず、それ以前は”渡川” とされていたそうです。

“四万十” の名自体は古く江戸時代には”四万渡” と著されることもあったようですが、そもそも”四万十” の意味・由来は明確でないものの、上流の山地で伐採した原木を川に流し搬出する時に”何万石 分” の材木を”何十回” 送り出せるかを表す名称があり、それに習ったのではないかという説があります。(諸説あり)

原木を切り出し、筏を組み川を使っての輸送手段は古来から多くの木材産地で見られましたが そのメッカのひとつ紀州熊野において熊野川を”十万十川” とも称していたことから、何らかの関連があるのかもしれません。

さて、四万十川の支流のひとつ黒尊川(くろそんがわ)は清流とされる四万十水系の中でも とりわけ澄んだ流域と言われ、カヤックやシュノーケリング、川釣りと 自然を舞台としたスポーツや行楽に知る人ぞ知るスポットですが、ここにも紀州熊野とのつながりを感じさせる”宮” が存在します。

川の名と同じくして”黒尊神社”  JR予土線 江川崎駅から車で1時間余りの山間に佇む閑静な小社ですが、又の名を”山津見神社” と呼ばれるように山治める神 “大山津見神” を祭神と仰いでいます。

只、本殿前の由緒書には『或る記に曰く 幡多郡 下山郷 奥屋内村 黒孫山に社在り 黒尊大明神という 神霊は此の山の大蛇也と伝えられ 霊験ありて請願を良く叶えり』とあることから大蛇の精を山の明神として奉じていたことが伺えますね。

この”黒尊” の名ですが、先にあげた熊野の地にその名を見ることが出来ます。熊野古道 津荷谷の郷、山間の谷に有る 高さ10余丈(30数m)の巨石が”黒尊仏” と呼ばれ往古から崇められる神の依代(よりしろ)。

“黒尊” = “倶盧尊(くるそん)” とも著され “疱瘡神”(疱瘡=天然痘 を祓う神)として、神仏習合の世にあって”黒尊仏 / 倶盧尊仏” とも呼ばれながら 地元はもとより遠隔の地からの参詣者を集めていました。

おそらくは “倶盧” の方が元だったのかもしれませんが、”倶盧” の文字を用いた由来、原義に関しては定かではありません。
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“倶盧” の語から考えると古代インドの精神と融合した仏教的世界観、その中心にそびえる高き山 須弥山(しゅみせん)の周囲を取り巻く4つの州のひとつに ”北倶盧洲(ほっくるしゅう / 北の倶盧という名の国)” があり、この国に生まれた者は千年の寿命を持つといういわれ が伝えられていることから、浄土への想いと現世における健康長寿を願う心が名の由来に関係しているのかもしれませんね。

紀州熊野と掛かる縁でつながった、高知県 黒尊神社、悠久の歴史の中で熊野信仰との関わりを持ちながらも、地元 奥屋内ならではの明神伝説も伝えられています。

国学院大学民俗学研究会の書によりますと 黒尊明神は肉が嫌いで、そのことを知らぬ 加賀城庫治郎という名の行商人がある日この付近を肉を積んだ荷車で通りかかったところ崖から転落してしまい怪我を負ってしまったのだそうです。
後に明神の話を聞いた彼はお詫びに手水鉢を奉納したそうで、その手水鉢は今でも境内の一角に見ることが出来ます。

また、上にも書きましたように黒尊明神は大蛇の精というところから、願掛けに川に向かって卵を投げ入れるという一風変わった風習も残っています。

往古、熊野と土佐に連なる木材の関わり、そして神話から仏教の関わりを宿す四万十の支流、黒尊神社のご紹介でした。

 

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