埼玉県川崎市多摩区、多摩川を挟んで東京との境を間近に見る生田緑地の一角にその建物はあります。 名を『 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム 』
ご存知「おばけのQ太郎」や「ドラえもん」で有名な ”藤子不二雄” 氏の一翼、藤本弘 氏が遺した数十年にわたる軌跡を紹介する文化施設であり、秘蔵の漫画原稿など約5万点を収蔵・公開しています。
このミュージアムで現在『ドラえもん50周年展』-「藤子・F・不二雄とドラえもん」「ゲラゲラ笑える話 x ゾ~ッとするこわい話」が開催中です。 開催期間も長いのでコロナ収束の度合いを見ながらでも訪館可能ではないでしょうか。
*注 「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」は、常時 完全予約制になっており「ローソン」でのみ事前チケットが購入可能です。詳しくは下記リンクよりご確認ください。
『ドラえもん』
未来からやってきたネコ型ロボット、1969年末に誕生、1970年1月より雑誌掲載開始、
おそらく、漫画にして「鉄腕アトム」や「サザエさん」とともに日本でこの名を知らぬ者はいないと思えるほどのビッグネーム、誕生以来、半世紀にわたって子供たちに夢と感動を与え続けてきた作品ですね。
この作品の前に漫画、そして当時 普及が行きわたりつつあったテレビ放送で爆発的なヒットを飛ばした「オバケのQ太郎」の余波もあって、この「ドラえもん」もさぞかし当初から反響があったのだろう と思いきや、スタート時から長い間さっぱり人気が無かったのだそうです。
「ドラえもん」も「オバケのQ太郎」も同じく作者の名義は “藤子不二雄” 氏
そして “藤子不二雄” が一人の人物ではなく、藤本弘 と 安孫子素雄 の二人によるユニット名であることは多くの人の知るところですね。
共に携わる共同制作であった「オバケのQ太郎」が空前の大ヒット、それは二人にとって後に続く多くの作品群を生み出す起爆剤となりましたが、同時にそれは仕事に忙殺される原因ともなりました。
当時、互いに指向性の違いを感じていた二人は、それでも仲違いすることもなく相互に協力しあいながらも それぞれの作品ごとに分業、藤本氏は「パーマン」「ウメ星デンカ」そして「ドラえもん」、我孫子氏は「忍者ハットリくん」「怪物くん」などを立て続けに発表してゆきます。
しかし、我孫子氏のリリースする作品が安定した人気を得ているのに対して、藤本氏の方は「パーマン」こそ 一定の人気が出たものの、続く「21エモン」「ウメ星デンカ」とも今一つ伸び悩み、「ドラえもん」に至っては映像化との齟齬もあって早々に打ち切りの可能性さえあったと言われます。
早い時期から、興味のあったミステリアスな作品路線へと徐々にシフトしていった我孫子氏に対して、藤本氏は “SF” や “アドベンチャー” の要素を取り入れながらも 一貫して児童向けの漫画制作をライフワークとしていました。
漫画家であれば誰しも自分の作品が読者にどう受け取られているか気になるところです。
想定外に「ドラえもん」への反応が薄いこと、受けが悪いことに藤本氏は苦慮・落胆していたといわれます。それでも一部の支持者の声を支えにあきらめず続けていたのだそうです。
いつまでも「ドラえもん」にこだわっていても仕方がない、次の作品に切り替えるべきかと思える頃、出版社から6冊完結の条件で単行本(コミックス)を発売することが決まりました。 これで売れなければやめる。ある意味 “瀬戸際” の状態だったのかもしれません。
しかし、この頃から「ドラえもん」の認知度はじわじわと上昇、今さらながらに世間に知れわたるに連れ単行本の発行部数は伸びてゆきます。 100万、200万と二次曲線を辿るがごとく伸びゆく部数と人気の上昇に勇気づけられた藤本氏はその後も筆を重ね、「ドラえもん」は最終的に 全45巻、1345話、累計発行部数8820万部 を数えて、単なるヒット作を越えた一大カテゴリーともいえる作品となったのでした。
『継続は力なり』
人生の時々で耳に届く言葉ですが、確かにこの “継続” という名の力こそ、望むような成果に辿り着く 大きな要素であることに疑いはありません。
そして、成功への要素をもう一つ挙げるとするならば目標に対する “意識” もしくは “情熱” でしょうか・・
逆に言えば、それほど これらの要素を長期間にわたって維持することの難しさを物語っているとも言えますね。 普段の生活でもっとも身近な例を挙げるとやはり健康に関することでしょうか・・ 様々なダイエット作戦や健康のための運動に取り組んでみても中々結果が出ない、色々やっているのに何故だろう・・?
要は、方法よりも それを続けることの方に大きなファクターがあり、また それに気づいてはいるのですが、ゴールの見えない道を走り続けるのは容易なことではないのです。
『未来』
「ドラえもん」の主人公が “ドラえもん” なのか それとも “のび太” なのかは諸説あるところであり、言ってみればどちらも等しく主人公なのでしょうが、 “のび太” が往々にして見せる “怠け癖” “情けなさ” “気の弱さ” などは、私たち誰しもがもつ “心の弱さ” の象徴にほかなりません。作者も “のび太は自己の投影” と言及しています。
それを救うために(かつ未来の運命を修正するために) “ドラえもん” は、退屈な “のび太” の日常に突如として出現し、「ひみつ道具」 を繰り出しては対処するわけですが、それは例えて言うなら人生における様々な「出会い」であり「きっかけ」とも言えるでしょう。
結果的に言えることは、事態を救ったり未来を変えるのは「ひみつ道具」そのものではなく、それを端緒として生まれる心の葛藤であり「あきらめない」心の強さなのです。
“自分が歩む道” を あきらめなかった藤本弘(藤子・F・不二雄)氏 は、半世紀を越えて今に、そして未来へと続く「ドラえもん」の中に生きてその生涯を全うしました。
氏とドラえもんが歩んだような「出会い」を大切にし、道を「あきらめない」意志こそ、これからの「夢の未来」を切り開く力なのかもしれませんね。『ドラえもん50周年展』にその軌跡とヒントを探しに出かけられてはいかがでしょうか。
*注 「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」は、常時 完全予約制になっており「ローソン」でのみ事前チケットが購入可能です。詳しくは上記リンクよりご確認ください。
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