[再掲載] 冠と漆器 ヲホドノオウジ伝承+お知らせ

 

* この記事は2018年9月16日にポストした記事の再掲載記事となります。ご了承下さい。
掲載予定であった福井県の7~8月開催予定のイベントに関して急遽、広報制限の報が入りましたため、再掲載記事に代えて対応させて頂きます。
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新型コロナウイルス新規感染者数もそこそこ減少方向にあり、各自治体は緊急事態宣言の解除を模索しているようですね。
経済的な影響が甚大であることから早期の解除が望まれるのは当然の流れかと思われますが、願わくば解除後の再度の感染増加につながらないことを祈るばかりです。
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先行きが不透明な中、7~8月開催予定のイベントに対しても慎重にならざるを得ない自治体の判断には無理からぬところがありますが、掲載予定していたイベントの開催が確定したときはまたご案内させて頂きたいと思いますので宜しくご高覧くださいませ。

また、各地のイベント開催が今後も危ぶまれる中で 当イナバナ.コムもメインコンテンツの大半が失われる中、補充・拡充の意味も込めて来週以降、新規カテゴリー『城』の追加を考えております。
全国各地に残る数多の「城」「城跡」などの中から あまり紹介されることの少ないものを中心にカテゴリーの充実を図ってゆければと考えておりますので宜しくお願い致します。

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福井県の鯖江市、昨年5月の記事「眼鏡の聖地、鯖江のめがねフェス」でもご紹介しましたようにメガネフレームの品質、そして生産量が日本一でご存知のかたも多いでしょう。
しかし、同じ鯖江市の特産品として漆器の生産が盛んな事はそれほど一般的でないかも知れません。福井県における漆器は「越前漆器」そして「若狭塗」として漆器に通じた人々からは知られていますが、今日はそのうち鯖江市東部、河和田の「越前漆器」にまつわるお話しです。

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河和田の「越前漆器」は約1500年の歴史を有しているのだそうですが、1500年前、現在の奈良県に王権が有った時代、この福井県から山形県の一部にかけての地方は 越国(こしのくに)と呼ばれておりましたが(後に分割された一地方として「越前」)この頃、この地方を治めておられた王統豪族にヲホドノオウジ(おおどの王子)という方がおられました。

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ヲホドノオウジ は元々越国に隣接する近江国(現在の滋賀県)の出ではありましたが、当時の近江国が朝鮮半島や大陸との交流点でもあったことからか、若い頃から聡明で革新的な知性を持っておられたようで、この越国の統治にあたっても新進の文化の導入や制度の改革、干拓による農地の拡充や治水を行われ領内の繁栄に腐心されたと伝わっています。
それまでは湿地が多く農耕に適さず貧相であった国を豊かにされ地元では`越前開闢の御祖神’として末永く祀られたそうです。

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その ヲホドノオウジ がある日 河和田の村を従者とともに視察に来られた時のことです。
喉の乾きをおぼえた ヲホドノオウジ は、小川の向こう岸にふと見つけた桃をひとつ食べようと馬を降りられ歩いて川を渡られようとされました。
ところが濡れた石に足を取られその場に転んでしまわれました。そしてその時被っておられた冠を岩場に落としてしまい傷を付けられてしまったのです。

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冠 はとても大事なもの、傷の付いたまま被ってまわる訳にもいきません。とは言えこのような地方の村で帽子の職人など有ろうはずもなく どうしたものかと考えあぐねていましたが、そのうち従者が探してきた地元の者がいうには「この川を下った所に片山という漆器のお椀を作る村がありますので、そちらにご案内申し上げます」と・・

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なるほどと思い、共々 村まで出向き事の次第を話すと ヲホド様が来られた!ヲホド様の頼みじゃ!とばかり村中大騒ぎ、その中でも村一の手練がまずは神社にお参りし身を清めた後、漆の技を極め、預かったその冠を見紛うばかりに美しく塗り上げ、これに加えて三つ揃えの美しいお椀を献上されたました。

このことに感謝し、またその仕上がりにいかい感心された ヲホドノオウジ はこの村の漆器に「片山椀」という名を付けられ、以後、漆器の増産を奨励されたそうでこれが「片山椀」の発展、ひいては「越前漆器」の礎となったそうです。

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後に ヲホドノオウジ は中央に躍進し世を継がれ第26代天皇「継体天皇」となられました。
天皇となられてからも国内の安定に務められるとともに諸外国との交流にも腐心されたと伝えられています。

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鯖江市河和田地区の八幡神社と敷山神社の2つの神社には境内神社として「漆器神社」があり ヲホドノオウジ によって興された漆器の繁栄と誇りが現代に引き継がれ今も職人さんや関係者たちによる参詣が行われているのだそうです。
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日本の歴史的に空白期とも言える5世紀末から6世紀にかけて在位されておられた継体天皇ですが、空白期ならではとでも言えるでしょうか、その系統や足跡について謎の多い天皇とも言われており、一節には現皇統の実質的な始祖ではないかとういう説もあるほどです。 古代の歴史は謎の多いものほどロマン掻き立てられるものであることは御存知のとおり、ご興味を持たれた方は継体天皇にも一度着目されてみてはいかがでしょうか。

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