三道楽も波乱もなべて芸のうち 昭和の異端児 月亭可朝

三道楽 という言葉も既に過去のものとなりつつあるのでしょうか。
今でも酒に溺れる人、賭け事から抜け出せない人など数多に居られるとは思いますが、”飲む、打つ、買う” の道楽をまとめて昔は ”三道楽 / さんどら” などと言ったものでした。
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止めどなく酒を飲む、博打にはまり込んでしまう、花街などで色事にふける(いわゆる浮気も含む)、どれも男性の本能的な嗜好と密接に関係しているために、中々この魔道から抜け出せない人も少なくなく 古来から人を騒がせ人生を瓦解させる要因とされてきました。
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とりわけ 伴侶や家族が被る精神的・経済的な苦痛は計り知れず、お世辞にも人に薦められるような道楽ではなかったのですが、近年では社会の多様化によって興味の対象も増えたためか、人そのものが賢くなったためか、それとも男性のわがままが通らなくなってきたためか、少なくとも”三道楽” で身を潰す人の話は少しづつ減ってきているように思えます。

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しかし、昭和の時代にはまだまだ この”三道楽” に身を費やす人は少なくありませんでした。
その中でも”芸” に身を投じる人、要するに”芸人” さんの中には”三道楽” を極めてこそ芸に磨きがかかる と豪語していた方も少なからず見受けられたように思えます。
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明治から大正にかけて上方落語の爆笑王として名を馳せた 初代 桂 春団治、 その生涯に残した破天荒で酔狂に満ちた多くの逸話、それにも増してあらゆる知見と創造を賭して芸に打ち込み開花させた生き様はその骨頂だったのかもしれません。

 

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画像 : © 上方落語協会 / 上方落語家名鑑

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「ボインは、赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ〜♪」
このフレーズを聞いて”あぁ” と思い出す方は おそらくは昭和も中盤以前の生まれではないと思います。
女性の胸の事を当時よく”ボイン” と称しましたが、それをそのまま歌詞に組み込み歌ってしまうという、奇天烈な漫談歌謡は世間に衝撃を与え落語家・漫談家 ”月亭可朝” は一躍その名を不動のものとします。
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上のフレーズに続く「お父ちゃんのもんとちがうのんやでぇ〜♪」の一節のお陰で、情報量も豊かではなかった時代、それは暗に性的なニュアンスをも含むものと子供たちに届き、全国の小学校において歌唱禁止とされながらも かえって子供たちの巷語にのぼるという減少さえ見られました。

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一見すると奇をてらったウケ狙いだけの歌に聞こえますが、歌詞も含め歌全体で見ると物悲しい曲調の中に女性が背負う人生の重荷を切々と歌ったエレジーであることが解るのですが、こういった人生の喜怒哀楽を漫談をはじめとした”芸” の中に巧みに織り交ぜ、笑いにつなげてゆくといった手法と才能は、やはり自らの道楽人生なればこそだったのでしょうか・・

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月亭可朝 本名 鈴木 傑(すずき まさる)氏は
大阪の高校を卒業後 3代目林家染丸に弟子入り、林家染奴の名を授かり1959年春を皮切りに高座に上がるも さほど月日経たぬ内から不行儀を起こし破門処分に・・
3代目桂米朝のもとに移り預かり弟子として再出発、名を桂小米朝と改めます。
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当初は古典から比較的新作までこなす定式な落語家として高座を積んでゆきますが、当時所属していた吉本興業の意向に関連して再度改名の岐路に立たされます。
師匠、米朝の提案した全ての名に納得いかなかった彼は、長年休眠していた桂派の名跡「月亭」を復興継承することを上申、敬愛していた 8代目三笑亭可楽の「可」と師匠米朝の「朝」を合わせ「月亭可朝」と称する事になりました。
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この頃から従来の正統派落語家としての活動から、より多彩で新奇な芸風を押し出し、落語以外、漫談なども積極的に演じるようになってゆきます。

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昭和30~40年代にかけては、テレビ放送の影響力が絶大になってゆくに連れ 多くの若手落語家や漫才師が華開かせた時代、”月亭可朝” もこの流れの中でカンカン帽にチョビ髭・メガネというスタイルを確立、「嘆きのボイン」「出てきた男」などで一世を風靡し、上述の如く子供たちにまで名の知られたエンターテイナーとして不動の地位を手にしますが、彼の真意にあったエンターテイメントとはテレビや舞台の上だけに留まらなかったのかもしれません。
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昭和46年、ほとんど その場の思いつきに近い形で 参議院議員通常選挙に全国区から立候補します。
有名人が参議院議員に立候補することは それまでもありましたが、彼は世に対し真面目な政治信条を語るでもなく公約として打ち出したのが「一夫多妻制を確立する」「銭湯の男・女湯の仕切りを撤廃する」
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・・当然、落選の憂き目を見ることになるのですが、そもそも始めから当選する気がないと言うか、政治参加云々が目的では無かったことは明白ですね。
当時は売名行為などとも揶揄され 又それが無かったとも言えませんが、彼はそれまでレギュラー出演していた多くの番組を降板してまで立候補をしています。
考えようによっては立候補とそれにともない繰り広げられるドタバタそのものが彼独特のエンターテイメントだったのではないでしょうか。
少なくとも人気に則って高位当選する他の有名人候補とは一線を画していたように思います。

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また、”可朝” の名を語る時、切っても切れない話題が”賭け事” そして”色事”
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賭け事に関しては本当に道楽さえも通り越して日常の生活にも現れていたようで、友人・知人をも巻き込んで千万に届く大きな賭けから千円ポッキリの小さな賭けにまで、昭和54年に賭博容疑で逮捕・起訴されながらも生涯に渡って賭け続け、親交の篤かった立川談志をして「あいつの人生そのものが博奕だ」と言わしめたそうです。
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又、大ブレイクした笑歌からもわかるように 女性に対する慕情も尽きない方で、平成20年、70歳にして相互不倫の女性との関係のもつれから事件となり逮捕・罰金刑を受けるほどの情に旺盛な一面を持っていました。
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どちらの側面も時に自他ともに人生の大きなトラブルとなるものであり、また実際にそうなった訳ですが、彼はその全てを自らの芸に反映させてゆきました。
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記者会見において記者に請われ「可朝は7年間不倫してきてその結果 警察に御用やで〜」と歌い、賭け事の浮き沈みやトラブルについても常に発言や漫談のネタとして取り上げてきました。
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それは、参議院議員立候補の時から変わらぬ生きること、活動することそのものがエンターテイメント、意識するしないに関わらない もって生まれた”月亭可朝” の性分そのものなのではなかったのでしょうか。
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当然ながら賭博も色恋沙汰も度を過ぎればトラブルとなり時に事件となってしまいます。社会的に許されるものではありません。 しかして”月亭可朝” のそれは”不謹慎” ”破廉恥” などと糾弾されながらも反社会的となるぎりぎりの線で生き続け、それらの全てを自らの芸と生き様に昇華させていたと言えるのかもしれません。
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稀代の話術師 ”月亭可朝” は 2018年3月 この世を去りました。
今は天国でこううそぶいているのかもしれません

「 ホンマにホンマでっせ・・(笑)」

 

 

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