幾千の時を超えて余市に息づく太古の刻画 - 北海道

* 画像はイメージです

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続縄文時代(ぞくじょうもんじだい) 少々聞き慣れない言葉ですが、その名から想像し得るとおり本土において縄文時代が終わり弥生時代が根付いた頃、時を重ねるように始まり次の擦文文化が始まるまで、約1000年間続いた北海道を中心とした文化の時代区分です。
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気候条件の違いから水稲栽培の広がりを見なかった当時の北海道・東北一帯は、それまでの縄文式文化を継承しながら、北部 大陸・樺太方面からの文化、そして、南部 本土側からの文化を少しづつ流入しながら より高度な石器の制作、食保存の技術などの発達なども見られました。
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時代の進行とともに鉄器の流入と石器の使用が並行して進んでいたように見られています。
未だ竪穴式住居が主体ではありましたが、一部には玄関のような造りが併設された住居もあったようで、本土とは異なりながらも後の擦文文化やアイヌ文化に繋がる大切な時期だったのかもしれません。

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北海道 余市町 と聞いて先ず思い出されるのは、やはり「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」でしょうか、NHK 朝の連続ドラマ「マッサン」でも知られた竹鶴政孝とその妻リタ氏がウイスキー造りのメッカ、スコットランドの風土に似通った当地に高品質のウイスキー蒸溜所を作り国産ウイスキーの黎明期を支えました。
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余市町は小樽や札幌からのアクセスも比較的良く、蒸溜所以外にも、当地出身の宇宙飛行士 毛利 衛(もうり まもる)氏に因んだ「余市宇宙記念館」や 豊穣な香り漂う「余市ワイナリー」などが有りますが、町の外れ、海岸線も近い栄町の一角にある「フゴッペ洞窟」遺跡は上記の続縄文時代に掛かる貴重な史跡と言えるでしょう。

 

 

「フゴッペ洞窟」が発見されたのは昭和25年(1950年)の出来事だったと言われています。
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それ以前、1927年に国鉄函館本線の敷設作業中に数点の遺跡断片が発見されていました。(注)
札幌南高等学校 郷土研究部所属の兄にその話を聞いていた 当時中学生の弟は海水浴に当地を訪れた際、近辺を訪ね歩き偶然に近い形でいくつかの土器片を発見したのだそうです。
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弟からの報告を受けた兄と郷土研究部はすぐさま発掘調査を開始、続いて翌1951年から北海道大学助教授を団長として ” フゴッペ洞窟調査団 ” が編成され正式な学術調査を開始(郷土研究部も参加)1953年に至るまで多数の土器・石器片や刻画跡、生活の痕跡などが発見され、同年、国の史跡として指定されました。
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北方文化の影響も見受けられる刻画は世界的にも貴重な遺跡と考えられ、現在は その保護と展示のための機能を兼ね備えたカプセル式の管理施設の中で保安され、公開とともに後世へ残すための施策が施されています。

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施設、国の指定史跡「フゴッペ洞窟」では奥行きは浅いものの洞窟の様子をそのままに観覧することが可能です。 光に影響を受けやすい性質から照明が制限され結構暗い洞窟内ですが、いたるところに古代の人々が描いた刻画を見ることが出来ます。
土日祝日にはボランティア説明員による案内を受けることも可能です。
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およそ5千年前に縄文期海進による波浪侵食によって出来た”海食洞”、その中にあって時に祈り、時に壁に絵を刻む、 船や魚、獣、そして有翼の人、呪術的な意味合いをも持つとも言われる数多の絵を描いていた当時の人々とその暮らしぶりに思いを馳せながら、濃密で貴重な時間を過ごされては如何でしょうか?

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(注):1927年 鉄道敷設作業中に発見されたものは、その真贋に疑問が持たれており、現在「フゴッペ洞窟」に管理されているものとの関連性も一部指摘されているものの、その正当性においては未だ未確認と言われています。

 

 


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「 国指定史跡フゴッペ洞窟 」

場  所 : 〒046-0001 北海道余市郡余市町栄町87

アクセス : JR函館本線 余市駅からバスで約10分

営  業 : 公開時間 9:00~16:30
休 館 日 : 毎週月曜、祝日の翌日
休館期間 : 冬 12月中旬~4月上旬

料  金 : 大人:300円 団体料金240円 ※20名様以上
.     子供:100円 団体料金 80円 ※20名様以上

問い合わせ : TEL 0135-22-6170(余市町役場)

 

 

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