お米-身近な日本の”食”のお話をもういちど(前)


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何か先日の「20%増量!」記事と同じインフォメーション記事の書き出しになっていますが、今日は日本人の ”食” の中心「お米」について触れてみたいと思います。
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「お米」 ふっくらと炊けたご飯は美味しいですよね。
米食は日本を含む 東~東南アジアで主食(または主食の一つ)とされる食文化です。
しかし、これだけ身近にありながら意外とその実態や歴史をご存じない方も多いのではないでしょうか。

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「日本はお米の国!」・・という印象がありますが、実際のところそうとも言い切れないようです。 お米の1人あたりの消費量で見るとランキング上位は バングラデシュ、ラオス、カンボジア などの国が占め日本のランキングは何と 50位程度なんだとか・・(トリップアドバイザー)
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まあ、これには日本人が生来、他の国に比べて多少なりとも少食であることも関係してくると思われるのですが、何と言ってもここ50年でのライフスタイルの変化、昭和の後半以降、米食の割合は下降線をたどり、昭和37年度には1人当たり年間118.3キログラムであったものが 平成17年度にはその半分近くの61.4キログラムにまで減少したそうです。(農林水産省)
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「お米の国」と思っていたものが この状態というのは少々寂しい気がするのは私だけでしょうか・・
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とは言え ここ10年程は横ばい状態が続いているそうで、まだまだ、そして これからも日本の食卓の中心はお米であり続けてほしいものです。

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ところで、お米はどうやって出来るのでしょうか?
田んぼを耕し、水を張り、5~6月にかけて苗を植え(田植え)、夏の盛りに穂が実り、秋に刈り入れ(稲刈り)と・・ここまでは皆様ご存知のことと思います。
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もちろん、田植えから稲刈りの間にも 水の管理、雑草の除去、害虫対策など休むことなく手は入れられます。昔は「米」の字から八十八回 お百姓さんの手間が掛かっているんだよと教えられましたね。
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田植えをする時に植えられる苗は ”育苗箱” という箱にきれいに植えられており、これを田植機にセットすることで等間隔にそして適切な深さで植えてゆくことが出来ます。


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田植機の無い時代、もしくは持ち込めない山地などの田んぼの場合には、紐を張って目安を付け、型枠、コロ枠などと呼ばれた道具を使って土にマス目状の方を刻み、1本1本手で苗を植えてゆきました。
過酷かつ熟練を要する作業で、昔のお百姓さんが多く患っていた腰痛は主にここからきていたとも言われます。
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因みに育った稲の実(要するにお米の部分)をそのまま土に蒔いておくだけでも、またそこから発芽して稲穂に育ちます(稲穂としての状態はあまり優れませんが・・)。
稲の実は実であると同時に種でもありますので(種籾)次の稲穂が育ち、古代ではそういった育て方もなされていました。
弥生時代以降、水稲栽培がなされるようになり、種籾から苗を育て植えてゆく現代の方法に移り変わってゆきます。

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儀礼的な話になりますが、田植えは人間の食を司る第一段階、人が生きてゆく上での最も大切な行事のひとつとして古来より尊重されてきました。
食文化の変わった現在においても「御田植」と称して各地で見られる祭事や神事がそれですね。「御田植」で苗を植えられるのは主に「早乙女(五月女)」と呼ばれる娘さんたちです。
苗を植えると同時に”田” の ”食” の神に感謝し、奉仕するという意味合いも含まれています。 (ハレの日 殿賀に謳舞う花田植え / 旧記事)
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又、田植えの少し前の時期、開かれていた祭事に「田楽」というものもありました。
村人総出で歌い踊り楽しむ中に神を迎え、日々の感謝と豊穣の祈りを捧げたもので 今ではほとんど見ることは出来ませんが”無形文化財” の形で受け継がれています。

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こうして植えられた苗は 土、水、陽光、そして人の手によりスクスクと育ってゆくわけですが、もうひとつの要素に「品種」というものがあります。「コシヒカリ」や「ササニシキ」とか呼ばれるものがそうですね。
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「コシヒカリ」福井県、新潟県、「ササニシキ」は宮城県で 元品種「農林1号」と「農林22号」を掛け合わせ育成開発された優良品種です。
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かわって 秋田県のお米といえば「あきたこまち」が有名です。様々な事情から上の2品種に比べ開発・登録が遅れましたが、昭和59年に奨励品種として採用されています。
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これら品種に関わることと言えば、私達 消費者から見れば先ずは ”味”(そして値段)となるわけですが、開発側の立場からすると それだけではすみません。
天候に左右されにくく 育った時に倒れにくい稲の強さ、害虫やいもち病などに対する耐性、より良い収穫性など満たさなければならない要素が山積みなのだそうです。
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品種改良は今日も続けられていますが、明治~大正~昭和、特に戦後の食糧難の時代には安定した品質と収穫量の確立は急務でした。 今日の食卓に上げられるような混ぜもののない普通のご飯が普通に食べられるようになったのは ここ50年ほどの間です。

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しかし、皮肉なことに安定供給が確立した40年代を境に日本の米離れは始まります。
米離れはライフスタイルの変化と上で書きましたが、実はこれ日本人の欧米志向というだけの単純なものではなかったようです。そこには意図的なものの影が見え隠れしていたのでした。

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以降 後編 3日水曜日にお届け予定です・・

> お米-身近な日本の”食”のお話をもういちど(後)

 

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