岡山県 民話 – 道心坊のおはなし

「道心坊」(ドウシンボウ)という言葉の意味を辞書で紐解きますと、1. 成人後、仏門に入った者。2. 僧形をして物乞いをする者。などとあります。3.に何故か – 網元制のもとで、漁夫が漁獲物の一部をくすねること。- とあり少々意味不明ですが何らかの由来があるのでしょう。

どちらにせよ、今ひとつさっぱりとしたイメージに欠ける印象であり 少なくとも見上げた呼び方という感じがしません。さておき、今回お話しに登場する僧侶の名が「道心坊」という訳ではないのですが‥
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信心大事、お勤め大事と言われる仏僧の生活、慎み深く生き 衆生の暮しの平安と来世の幸福を願い日々仏に仕えるのが身上とはいうもの、そこはまあ人の身、中々そうはいかないお人もいらっしゃるようで‥

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さても今は昔、備中、今の岡山県蒜山のふもとの村にひとつの小さな寺があった

寺には住職とそれに仕える小僧がおったが、この住職、どうも仏僧の身でありながら物欲の絶えないお人で、ひいては あれが欲しいの、これが食いたいのと慎みも忘れてこれを小僧に買いにやらせる

それだけならまだしも、人に言伝える時は我が身の不逞も顧みず 何やらかんやら小難しい講釈を並べたがる

今で言うなら自制心が無い上に面倒くさい人と言うことになりますな‥ 難儀なこて

 
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さて、今日も今日とて小坊主を呼びつけると
「小僧、里に行き この書付のとおり買い物をしてこお」と仰せ

「へえ、わかりました」と小僧さん、わたされた書付を袂に入れると寺を出、峠を超え、湯原の村まで買い出しに出かけたそうな

村に着き店を訪ねた小僧さん
「もし、和尚さんからこがな書付を頼まれとりますが‥」と店の者に見せると

店の人
「道心坊が二十、はらみ女が二十、そして初霜が一斤か‥ ご大層な書き様じゃて‥」
苦笑いしながら承知しましたとばかり、商品を揃え始めたそうな

「先ずは、道心坊が二十」 と、みかんを二十個 袋に入れた
「次に、はらみ女が二十」 と、まんじゅうを二十個 また袋に入れた
「そして、初霜が一斤」 と、砂糖を一斤 入れ、それらを小僧にわたしたそうな‥
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(はぁ、道心坊がみかん、はらみ女がまんじゅう、初霜が砂糖っちゅうことなんか‥)
妙に納得しながら、わたされた袋を風呂敷につめ帰り道をたどる小僧さんじゃったが峠まで戻って来た時、やれやれここらで一服とばかり道端の岩に腰をかけた

おりしも 腹も減ってひもじい気分になってきて
(初霜、ひとねぶり させてもらおうかの‥)

ひとねぶり すると甘いのなんの美味いのなんの・・・ 結局みな ねぶりきってしもうた

すると今度は酸いもんが欲しぃなってきて
(道心坊、ひとかみ させてもらおうかの‥)

皮をむき、一口食うとまた美味いのなんの・・・ 結局みな 食うてしもうた

しかし、まだ腹には少し物足りない
(はらみ女もちょいとだけ味見をば‥)

とは言え、ここまで砂糖もみかんもみなたいらげてしもうて 何も持って帰らんではまずいと思い、まんじゅうの中身だけ こそぎ出して食うてしもうた・・・

 
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「ただいま帰りました」
寺の門をくぐり帰ってきた小僧さん

「おお、ご苦労じゃった、書付のものはあったか?」
今か今かと気色ばんで待っておった住職であったが‥

「へえ、ございました」
風呂敷を解きながら、小僧さん 詰まった面持ちをしながら続けたそうな

「そやけど和尚様、帰りがけ ええ天気になって日があたりましたら、初霜がみな溶けてしもうて‥」 と言いながら空になった袋を出し

「そいで、道心坊は逃さんとこうと しっかり掴んでおりましたら皮だけ脱ぎ捨てて逃げてしもうて‥」 と言いながら皮だけになったみかんを並べ

「はらみ女なら身も重く逃げたりせんだろうと思うとりましたら、途中でみな子を産み落としてしもうて‥」 と中身の無い皮だけのまんじゅうを並べたそうな

やれ、しもうた、小僧にみないかれてしもうたわいと思うた住職ではあったけれど、書付にあのような書き様した手前、小僧に怒るに怒れんかったと

日頃の自らのふるまいも律するべし ・・・こっぽり こっぽり

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