「橋地蔵」というちょっと変わった名のお地蔵さまのお話し
さてさて今は昔、富山は上市の とある村に三叉になった路がひとつあったそうな
三叉に分かれた路なぞ ここでなくとも国じゅういたるところに有るもんじゃが、この三叉路は少しだけ他所の三叉路と様子が違っておった‥
この三叉路は小さな川を越えた先に在り、北は魚津、西へは岩瀬、そして南は立山へ届く、言わば村の小さな要衝であり道行く人もそれなりに多かったのじゃが、どういうわけか旅人がこの三叉路まで来ると「はて?どっちに行くのじゃろう‥」と迷い出す。道標を立てておいても何故か行き先を間違える人が後を絶たない‥不思議な分かれ道だったそうじゃ。もしかするとムジナにでも化かされたのかもしらん‥
さて、この三叉路の道端には小さなお地蔵さまが一体座っておられて いつも道行く人たちをあたたかく見守っておらんさった。しかし、先にもいうたように行き先迷う人が出るたびに心を痛めてもおらんさった。「あぁ!立山行くのはそっちやないぞ」「そっち行ったら水橋の方へ行ってしまうぞ!」声に出して教えてあげたかったが石の仏さまなれば そういうわけにもゆかんし・・・ いつもいつも悲しい思いを抱えておられたそうな‥
ある秋の日の晩、誰もが寝静った頃、お地蔵さまは一つのことを思いつき心に決められたそうな‥ 村でいつも自分のもとへ通い参ってくれる婆さまのところへ行き その夢枕に立ってこう言われた。
「婆さまよ、わしはお前がいつも通うてくれておる あの三叉路の地蔵じゃ」
「常々、わしは あの三叉路で路迷う人々を何とかして救うてやりたいと思うておった」
「よって婆さま、明日、村の者たちと合議して わしを三叉路の脇に流れる川の橋となせ」
「さすれば、旅人たちがそこを渡る時、自ら行き先を思い見出せるようにしよう」
それだけ述べられると秋の夜のしじまに溶け込むように消えていってしまわれた。
さて、明くる朝、気色ばんだ婆さまから話しを聞いた村人たちは大騒ぎとなった。
お地蔵さまを足元にするなぞバチがあたりそうじゃなど、恐れる者もいたが せっかくのお地蔵さまのありがたい申し出、このまま無にするのもかえって申し訳ない、畏れ多いが言われるままに川に渡してみようということになり小川の小さな土手を掘りそこにお地蔵さまを埋めるように渡して橋をかけた。
しかしまぁえらいもんで、それからというもの その三叉路にかかる橋を渡った旅人はみな橋の中ほどまで来ると、自然と進むべき道が頭の中に思い浮かんでくるようになったと。
おかげで道に迷う者ものうなったんだそうな。村人も旅の者もみなお地蔵さまの不思議なお力に感心しまた喜びおうたそうな。
お地蔵さまの橋は旅人たちに道を教え続けて幾数年の時を数えておったが、残念な事にある年おこった災害がもとで橋が落ちてしもうた。橋はかけ替えられたが 長い年月お地蔵さまもお疲れになったろうと、落ちた橋の一部をたもとに祠をつくりそこに祀った。
道行く人々を見守り その身を投げて導いて下さったお地蔵さまに村の衆は今も地蔵祭りを開いては感謝の思いを絶やさずにいるそうじゃ・・・
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これが橋地蔵にまつわるお話しの始終ですが、このお話しには似て異なる民話が近隣の地区にもありまして‥
同じく富山市の太田の里、蓮照寺というお寺の脇を流れる小川のほとりに度々キツネや狸が現れては道行く人を化かして悪さをし人々を困らせました。
たまたま富山を訪れておられた かの一休和尚がそれを聞き、自ら板石をもって一体の石像を彫り それを小川の橋として往来の人々に踏ませ渡らせることによって これらの厄害が取り除かれたと‥‥
どちらのお話しもお地蔵さまが橋となって人々を救われたというストーリーとなっていますが内容や展開が多少異なります。 こういったバリエーションの違いを探し味わうのも昔ばなしの醍醐味ですね。
はてさて、また次回・・・