さても今は昔、いにしえには大和(やまと)とも呼ばれた奈良県の西の端、信貴山は古くから賢人たちが関わり‘信じ貴ぶ山’としてその名が付けられたと言う。その信貴山の中腹に一棟の粗末な庵があったそうな。その庵には一人のお坊様が住んでおり時折ふもとの村に降りられては有り難い仏様のお話しを垂れ家々に功徳の修養をなされていかれた。お坊様のお話しはとても解りやすく慈悲深いものばかりで、又、村に困った事などがあるとよく相談にものっておられた。そんな訳でお坊さんは村の人々から篤い信頼を寄せられ皆みずから進んで托鉢(たくはつ)にも応じておった。
ところがそんなある年、村には何日も雨が降らず稲も育たぬ事があり村人は中々食うにも困る事があった。しかし、そのような中でも村人たちはあのお坊様の為ならと僅かばかりの米や味噌を出し合いお坊様の元へと持って行ったのじゃ。
庵の前、使いの村人にお坊様は深々とお礼を言われながらも「今、村は干ばつで皆食うにも困っておられるはず、修行の我が身がそのような人々の糧を頂く訳にはまいりません。どうか持って帰り皆で分けて下され」と辞退なされた。
使いの村人は困ったがその時、もう一つの言づての用を思い出した。「実は村はずれの丘に住まれている長者さんがお坊様に来て頂き、有り難いお話を聞かせて頂きたいと。来て頂ければ米1俵を差し上げるとも」
その言づてを聞かれたお坊様、黙ったまま暫らく考えておられたがやがて「そうですか・・ ではそう致しましょう・・」とだけ呟かれ庵の方へと戻られたそうな・・・
一方の長者、お坊様の来るのを今か今かと待ちわびておった。しかし、この長者、どうも人柄宜しくなく村人が困っておる時にでも何の心使いも表さず、貸した米の取り立ても平気で暴利で取り立てるといった有様、お坊様を呼んだのも有り難いお話しなど聞く気など毛頭なく、要するに村人から篤い信頼を寄せられるこのお坊様を己に頭を下げさせる事で我が身の偉さを誇示したいという、どうにも難儀な性格の男じゃったそうな・・
そんな長者の屋敷の上空にある日の事、どうした事か一杯のお椀(おわん)がふわふわと飛んで来なすった。何事かと皆が騒ぐ中、そのお椀は長者の前へストンと着地、中には有り難いお経が書かれた一枚のお札が入っておったそうな。
「何と言う事じゃ!こんな経など要るものか!妙な術で人を馬鹿にしおって!」あてが外れた長者、米を一握りだけ掴むとお椀の中に放り込み「お前なぞこれで充分じゃ、二度と来るな!」空高くお椀を投げ返したと・・ お椀は又ふわふわと山の方へ飛んで帰っていったそうな・・
あれあれ、はてさて、この後どうなる事やら・・・
* 今回少し長めなので前後編に分けさせて頂きます。ご了承下さい。