二都に紡がれる采女春姫の供養祭 – 福島・奈良

2017年4月1日土曜日に当イナバナ.コムは始まりました。以来7年余、さしたる進歩もなければ大した成果もなく、それでも閉鎖にも至らずボチボチと息を繋いでいます・・。 これもひとえに訪問していただいている皆様のお陰にほかなりません。今後とも何卒ご贔屓のほどお願い申し上げます。

今見てみると初めてポストした記事など、見返すのも恥ずかしいほど簡素な(というか稚拙な)出来ですね (^_^;)。 文字数も600字余り、画像など何でこんなに小さな画像貼ってんだ?と思うほどお粗末な内容でした。(記念というか半ば戒めのために未だ残していますw)

そういうこともあって、過去の記事をリ・バース(rebirth)させる意味をも含め “リライト記事” を起こすのですが、古くからの読者さんや記憶の良い方wには申し訳なく思っています。 只まぁ・・先日、予定外に早く興すことになってしまった「INABANA.JP」という新サイトがありまして、おまけに立ち上げ設定に戸惑っていることもあり、増してイナバナ.コムへ振り分ける時間が無くなってしまい、ここのところリライト記事続きです。

今暫くの間、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。m(_ _)m

 

ということで本日は、イナバナ.コム開始以降4ヶ月目にポストした記事「福島県 悲恋伝説に想いを馳せて 采女神社」よりのリライト記事となります。

前回の記事名に比して “福島” だけでなく “奈良” も併記しているのは、登場する “采女(うねめ)” とそれにまつわる伝承が、福島県郡山市と奈良県奈良市でリンクするかのように存在しているからです。(内容的には若干の相違がありますが・・) それを象徴するかのように、この伝承をもって昭和46年(1971年)両市では姉妹都市提携をも結んでいます・・。

福島県の中央部、古くは “安積(あさか)の里” とも呼ばれた郡山市、その市街地から猪苗代湖方面へやや外れた田園地帯の一画に “山の井” という場所があります。二つの小高い丘に挟まれるように静かな佇まいの池があり、それを取り囲むように「山の井農村公園」が整備されています。 時に市民の憩いの場ともなる閑静な山間の地ですが・・ここに一つの悲しい物語が残っているのです・・。

 

『 山ノ井 / 采女伝説 』

今から千数百年前、奈良時代

石背国(いわせのくに)が冷害に見舞われ、都への納税が出来なくなった年。
租税の猶予と引き換えに朝廷への出仕を申し付けられたのが、美形で名高かった “春姫” であったそうな。

当時、春姫には既に将来を誓い合った許婚がいたものの、朝廷からの申し付けともなれば拒むことも許されず・・。
里の為 泣く泣く都へと赴き朝廷での生活を始めたそうな・・。

里に残った許婚の次郎は、日々深い悲しみの中で過ごしていたものの耐え切れず、ある日山ノ井の清水に身を投げてしもうたと。

一方、次郎の事が忘れられない都の春姫も、ある日宴の雑踏に紛れ宮中を抜け出し、猿沢の池の畔まで来ると 着ていた衣を木の枝に掛け入水を装い一目散に故郷へと逃げ帰ったのだと。

身を削りながらやっとの思いで辿りついた里であったが・・。

しかし春姫を待っていたのは今は亡き次郎の事実。
悲しみに暮れた春姫は、次郎の後を追うように同じ山ノ井の清水へと身を投げてしもうたのだと・・。

里の者は “春姫” を不憫に思い 小山の上に「采女神社」を建て、春姫と次郎の霊を慰めたという・・。

 

「采女供養祭」はこう言った悲恋の物語を由来に始められたものであり、姉妹都市提携を結ぶ奈良市からも親善使節団が訪れ、社の祭壇に献花を捧げるそうです。

そして、これをもとに市勢発展のため昭和30年(休催をはさみ昭和40年)から「郡山うねめまつり」が始められました。 イベントでは宮廷官女の衣装を身に纏った女性の行列をはじめ賑やかに練り歩き、浴衣コンテストなども行われます。

 

一方、奈良市における「采女伝説」とは・・コチラをご覧いただけると一目でしょう・・。

 

これらの伝承は平安時代に成立した「大和物語」という歌(和歌)物語集を基にしています。 物語にいわれる “朝廷” “帝” というのは、一説に(天皇ではなく)”葛城王(かつらぎおう)/ 橘諸兄(たちばなのもろえ・この人の兄妹)” であったともいわれます。

奈良市の伝承と郡山市の伝承では主人公である “春姫” の立場や心理に些かの相違がありますが、これについては往古の伝承であるということと同時に、どちらもが事実に近い側面を持っている可能性があるでしょう。

地元に愛し合った許嫁を残し これを因とした悲恋というのは、時代や地域を超えて存在する事実であり、郡山・山の井を舞台として これらの事象があったかもしれない・・事実性も当然にうなづけます。

葛城王 / 橘諸兄

同時に “春姫” という名からも分かるように、春姫は当時の山の井における氏族子女でもあったと思われます。 “采女(うねめ)” は高位皇族の身の回りの世話をする役職でしたが、当時の風習からいって出仕する側からすると非常に名誉な職であり、憧れの対象でもありました。 採用条件には身分とともに美貌も重視され、天皇に近いことから懇ろな仲になる者も少なからず・・。

とはいえ、壮烈な政争渦巻く朝廷社会で、一介の采女が永続的な寵愛を保つことは不可能に等しく・・奈良市の物語のような結末を迎えたといっても不思議ではないでしょう・・。

 

どちらにせよ千数百年の時を超えて語り継がれる 一人の女性の悲しき物語です。
現代社会ではそうそう起こり得ない話とは思いますが、だからこそその物語が語るところに思いを馳せ、人の生きる道を糺し探り続けていくための指標であり供養祭でもあるのでしょう。

奈良市 猿沢池

第60回となる福島県郡山市の「うねめまつり」は本年8月1日(木)から3日までの3日間、郡山駅周辺地区にて開催予定。

奈良市 猿沢池の畔で開かれる春日大社「采女祭」は中秋の名月 9月16日(月)宵宮祭、17日(火)例祭として予定されています・・。

 

福島県郡山市「うねめまつり」 公式サイト

奈良市 春日大社「采女祭」 公式サイト(奈良市観光協会)

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