千年を生きて伝える北総の小江戸 – 千葉県

1月3日追記:1日に発生しました石川県能登半島を中心とした北陸地域大型地震により、被害を被られた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。そして痛ましくも亡くなられた方、そのご家族御一統様に対し心よりお悔やみ申し上げます。 被災地域のひと時も早い安定と復興をお祈り申し上げます。 イナバナ.コム
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改めまして、新年おめでとうございます。今年も全国各地より多種多様なお話をお届けしてまいりますので、イナバナ.コムをよろしくお願い申しあげます m(__)m。

さて、本日先ずは千葉県の北部、佐原(さわら)の町をご案内したいと思います。 “佐原の町” という曖昧な言い方は現在 “佐原町” という名の自治体は存在しておらず、佐原という地名のみ残っているからです。(明治21年〜昭和26年まで佐原町、昭和26年〜平成18年まで佐原市、以降 香取市に合併編入)

今はなき・・といっても佐原の町は独自の歴史と景観を有し、それを現在も住民ぐるみで大切にしている風土で知られた場所なのです。

 

佐原の歴史を紐解いてみるならば、その嚆矢は古墳時代にまで遡ることができるでしょうか。 ヤマト王権がその勢力を拡大しつつある中、東北地域の勢力圏に対して牽制を行ってゆく上で、水運に恵まれた当地は極めて重要な拠点として捉えられていました。

この地域に武神である “経津主神(フツヌシ)/ 香取神宮”、近郷に “武甕槌神(タケミカヅチ)/ 鹿島神宮” の二大柱石を興し、それぞれに “神宮” の社名を冠したほど重要視されていました。ヤマト王権にとっては絶対領域の北端、最前線の基盤であり、それを運用するに足る好適地であったのです。

一説に佐原の語源が神宮祭祀の折、用いられる儀礼用土器 “浅原(さわら)” から付いたものといわれることからも由緒深き地名であったことが伺われますね。

香取神宮 拝殿

南北朝時代には桓武天皇を祖先とし、彼の平将門にも連なる坂東平氏 “千葉氏” が一円を治めるところとなりました。(現在の “千葉” の由来) 千葉氏の注力により、当時 農村主体であった利根川流域は、やがて香取神宮を中心として賑わう商工業都市への歩を進めることとなっていきます。

水運と交通の要衝となったことから室町時代には人口・流通ともに増大、”新宿”※ と呼ばれる地域が興り定期的な “市” も開催されるようになります。※ 新宿という地名は人の往来が増え宿場の規模が増大した町に付けられる。

時代が安定した江戸時代には経済的にも大きく発展したことで酒造家・商家が建ち並び一大商業圏を形成したことで、当時から “北総の小江戸” “江戸優り” などの異名で呼ばれるほどになったそうです。

 

物流の基本が水運から鉄道 そして車へと移り変わった明治時代以降、その商業圏的地位は薄れましたが、佐原が紡いできた伝統とかつての面影は今も色濃くこの地に残っています。 常ならば時代に合わせて町の姿も変わり、近代的な風景へと塗り替えられるものですが、当地の風情と人情はそれに流されない強さを持っているのでしょうか・・。

利根川の支流 “小野川” そして “香取街道” 沿いの道には現在も数十軒の歴史的建造物が建ち並び、中には宝暦や天保年間といった江戸時代から残る旧家も、当時の佇まいを今に伝えています。 日本初の国土地図 “大日本沿海輿地全図” を完成に導いた、伊能忠敬の旧宅も軒を連ねます。

伊能忠敬 旧宅

他にも、天保時代の醤油問屋、寛政時代の土蔵を抱える酒・漬物商、安政年間の雑貨商、明治3年の面影そのままの書店など重要史跡が数多く見られ、また 現在美しく改装されていますが、本橋元町にある公衆手洗い所は、忠敬存命中、家督を継いだ息子景敬が町人の要請に従い設置したものがはじめとされています。

およそ200年にわたり連綿と綴られてきた佐原の歩みが、時を止めたように、そして回り灯籠のようにその姿を留めている・・。それは単に旧家街というだけでなく、歴史の写し鏡・タイムキーパーとしての役割を果たしているのかもしれませんね・・。

 

その証左として佐原の町並みは現在 観光名所としても賑わっていますが、単に旧家を残しているというだけでなく、現在も古くからの家業をそのまま営んでいる家も多く、いうなれば “生きた歴史遺産” ともいえるところでしょうか。

クリックで 佐原マップページへ PDFファイル

高度成長期以降、時代の先鋭化に反して受け継いだ文化を保存・継承してゆく意識の芽生えとともに保存運動が持ち上がりました。20年近くに及んだ官民一体の活動が実を結び、平成8年には関東地方初の “重要伝統的建造物群保存地区” に選定されました。

さらにそれは平成16年「佐原まちぐるみ博物館」の創設に結びつきます。 博物館というと一個の施設のように聞こえますが、佐原の博物館は町並みを構成する商家各々が、イベントに合わせて それぞれ家蔵の小道具や所蔵品を公開するというもの。現在40軒が参画中。

つまり、佐原の町がそのまま丸ごと博物館になっているのです。

そしてその活動を支えているのが “佐原おかみさん会”。各商家のおかみさん達によって佐原の町は その伝統を受け継ぎ、訪れる人々に感銘とくつろぎをもたらすのです。 その地勢ゆえに往古から繁栄を紡いできた町の輝きは、まさに町民一体で護られてきたといって過言ではないでしょう・・。

 

イベントは季節に合わせて “正月「佐原・町並み・お正月」(1月8日まで)”、”早春「さわら雛めぐり」”、”5月「佐原五月人形めぐり」”、”盆明け「さわら・町並み・夕涼み」” などが催されます。

下総の北端にあって200年、否、1000年の栄華の歴史を伝える佐原の街並み。ここに息づいているのは目に映る景観や資料だけではありません。その地に確かに根付いた発展と栄華の時、そして静穏の日々に至るまでの生きた証があるのです。 そうした息吹を感じながらの旅もまた格別なのではないでしょうか・・。

「佐原おかみさん会」 公式サイト

「佐原まちぐるみ博物館」 参考サイト

「水郷 佐原あやめパーク」 公式サイト

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