「兼高かおる 世界の旅」昭和ピックアップス

「もはや戦後ではない」と言われたのは1956年(昭和31年)度の経済白書、当時の流行語にもなりました。
昭和20年8月の敗戦以降、永きに渡る苦渋と疲弊、 大きな喪失感と新しい時代への迷いの中で生きてきた日本人にとって この言葉は、重たい足枷(あしかせ)をようやく外せたような開放感と達成感にあふれていたのでしょうか・・

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しかし、その後に続く「回復を通しての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」という序文のとおり、復興を成し遂げたのは基本的な社会基盤と景気回復への道筋だけであって、文化的な近代化はまだまだこれからといった状況でした。
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まだ街のそこここに戦後の爪痕が残る昭和30年代、生活の基盤は回復したものの大多数の国民にとって海外(特に欧米)は文化華やかな先進の地であり夢の舞台でもありました。
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30年代後半、テレビ受像機(テレビ)の低価格化と普及が進んだことにより、茶の間で遠い異国の風景を目にした時も”海外渡航” はまだまだ別次元の話であり”憧れ” の枠を出ないものだったのです。

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そんな 昭和34年、年も押し詰まった12月13日始まった「兼高かおる世界飛び歩き」は 人々の目に脚色されていない”生” の海外の姿と洒脱なナレーションを届け人気を博しました。


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当時若干31歳にしてフリーランスのジャーナリストとして活躍されていた 兼高かおるさんが実際にその地を訪れ取材した映像をもとに、ナレーション、プロデュース、時にカメラマンまでこなし、サブキャスターの芥川隆行氏とともに送る同番組は開始翌年の35年9月には「兼高かおる 世界の旅」として改題しさらに視聴率を上げてゆきます。
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バブル景気の真っ只中、誰もが海外旅行をなし得るようになった1990年(平成2年)9月30日、その役目を全うし得た番組は 最終回を迎えました。 その期間 実に30年10ヶ月、放送回数 1586回を数える長寿番組であり、その間 兼高かおるさんが訪れた国は約160カ国、初めて南極点に到達した一般女性のうちの一人でもあり北極点にも到達されています。番組全行程約720万kmとも伝えられおり、地球外周になおすと何と180周にもなるのだとか・・

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昭和中盤、まだまだ女性の社会進出が不十分であった時代、明晰な知性と感性、あふれる行動力で時代に希望をもたらせ続けた 兼高かおるさん、
80の齢を数えてもなお精力的に世界各地を訪ねておられましたが、本年 平成31年1月5日、90歳で永眠されました。
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今も天国から数多の世の有り様を興味深げに眺めておられるのかもしれませんね。

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今回から新たなカテゴリーとして登場しました「昭和ピックアップス」
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直接的な地域トピックスとは異なりますが「温故知新」の言葉のように古きに訪ねて今の日本のヒントとなるべきベーシックを探してゆきたいと考えております。
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宜しくお願い申し上げます。
 




 

 

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