異色の救出伝承 福津西郷のナマズ神社 – 福岡県

「鯰」ナマズ、子供の頃、近所の川が干上がりかけたときに見かけましたが、それ以来 目にしたことがありません。 今も全国での生息は確認されていますが、河川の護岸化が進み繁殖水域が減ったため全体的に減少傾向なのだそうです。

普段の遊泳はスローペース、というか日中はほとんど活動せず岩陰や水底の泥に紛れてじっとしています。 まったりとした顔つきで 呑気なヒゲおやじのごとく漫画のキャラクターなどにも用いられますが、その見た目に似合わず繊細な性格で気の荒いところも持ち合わせているのだとか。

ナマズというと必ずといっていいほど出てくるキーワードが “地震” 。 しかし、基本的にナマズと地震に直接関係があるわけもなく、過去の地震発生時にナマズが暴れていたというのも、感覚器が発達しているが故に反応していたのであって、地中や水底に近い生物にはよく見られる行動なのだとか。

“小孔器” とも呼ばれる感覚器は体表全体に存在し、その数は20万個ともいわれています。他の小魚などから放出される超微弱な電位差を感知し、一説には味覚も感じているらしく、位置情報や触覚を司る4本の口ヒゲと相まって、捕食のための重要な役割を担っているそうです。

 

古くは河川のいたる所で見かけられ、食用としても獲られたナマズ、それだけに地震発生のタイミングで暴れる姿を見られる機会も多かったのでしょうか。 「ナマズ=地震」の図式が一般化したのは江戸時代のは中頃ともいわれています。

大規模な都市の形成とともに、地震による被害の増大とそれに伴う人心の揺らぎが、原因が解明されていない時代の地震と、地底深く棲むお化けナマズを結びつけたわけですが・・。

この話のオリジナルはもっと古く、茨城県 鹿島神宮に伝わる神話に “建御雷神(タケミカヅチ)” と “経津主神(フツヌシ)” による “大ナマズの封印譚(要石)” があります。 全国に流布された鹿島信仰とともに、この伝承が後の俗信に影響を与えたことは想像に難くありませんね・・。

茨城県 鹿島神宮 要石

鹿島神宮では “地震を起こす大ナマズ” を封印しているわけですが・・。
一方、ナマズを有り難い存在、どころか、神の遣いとして崇敬する神社が 福岡県福津市にあります。

社名は『大森神社』、ナマズという一風変わった神使を持つにしては至極普通の名前ですが、このお社には、一風変わった伝承が残っていたのです。

その伝承の背景は室町時代、応仁・文明の頃。元号からもお気付きのように “応仁の乱(おうにんのらん)” の影響で全国が揺れていた時のお話です。

応仁の乱は 室町幕府 八代将軍、足利義政(あしかがよしまさ)下の守護大名、畠山氏と斯波氏それぞれの家督争いに端を発し、将軍義政の後継者問題にまで絡んで、管領 細川勝元(ほそかわかつもと)と山名宗全(やまなそうぜん)、そしてそれぞれの派閥が全国規模で争った戦。

京の都が主戦場とされて大きく荒廃、足利将軍家の力が弱まり国内統制が不安定となって、後の戦国時代につながる端緒ともなりました。

ーーーーー
そんな時勢の中、筑前国 西郷を領地とした武将が “河津興光” です。

天下騒乱の火の手が上がる中、興光は主家・大内家に順じ、山城国(京都)舟岡山の合戦に参戦しました。 しかし、戦いの最中 不運にも深手を負い撤退を余儀なくされます。

意識も朦朧とする中 退却するものの、目の前には大きな河。 重傷の身で渡るに渡れず そこに迫る敵の軍勢・・。

最早これまでかと思ったその時、川面に一匹の大ナマズが姿を現し、我に乗れと促すように興光に向かって その背を向けているではありませんか。

これぞ 神仏の御加護・助けの舟とばかり興光は速やかに大ナマズの背に乗り、対岸の本陣まで戻ることが出来たのだとか・・。帰参を果たした興光は家臣の懸命な看護により一命を取り留めました。

領地 西郷、大森宮の神の加護、大ナマズはその神使と知った興光は故郷に戻った後、大森宮を深く奉り、この逸話を知らしめて、今後 西郷二百町においてナマズを食することを禁じる触れを出したそうで、それは今でも風習としてこの地に残っているそうです。
ーーーーーー

中々 ユニークな展開の伝承ですが、ひとつだけ注意点があります。
神社に関わる由緒絵の記述をもとに今回のお話をご案内していますが、”舟岡山合戦” は “応仁の乱” 終結後 30年以上後に起こった戦闘であり、この話に応仁の乱は直接の関係はありません。 ・・が、史実関係はともかく・・。

河津民部少輔 藤原ノ興光(かわづみんぶのしょうふ ふじわらのおきみつ)
生年・没年とも不明ですが、実在の、地方一武将であったようです。

領地を統治する武人であるとともに、大森宮に処する神官の立場も併せ持っていたようで、この伝承も舟岡山合戦から帰参した経緯を神話に託して残したのでしょうか。(舟岡山合戦は大内方・西軍の勝利) 中央(京の都)での相剋を元に全国に広がりつつあった世情不安の中で、領内の精神的結束を図ろうとしたのかもしれませんね。

大森宮はこの戦乱以前、古くからあったようですが一時衰退していたものを、河津興光が大内氏の後援を得て再興したものとも伝わります。河津氏と西郷にとって大森宮は地域の精神的支柱であったのでしょうか・・。

後代に、大内氏が内紛を起こし衰退したことに伴い、河津の家系も大きな凋落を蒙りましたが 命脈は保ったようです。

大森神社

大森神社のご祭神は “伊邪那岐命” “伊邪那美命” “事代主命” “水象女命” “大山祇命” “石長姫命” の八柱。 肝心のナマズに関する柱名がありませんが、これとは別に “鯰魚使神” が祀られているとのことです。

境内では堂々としたナマズの彫像が参拝者を迎えています。
また、狛犬ならぬ “狛ナマズ” も “阿吽” の体で神域を加護しているらしく、参拝の機を得られた方には必見のポイントでもありましょう。(通常の狛犬もあり)

地方の小規模な神社といっても参道・渡り橋を備えた中々に壮麗立派なお社です。
また社域の一角に「谷底神社」という、これまたユニークな摂社(稲荷社)も控えています。 神社マニアなら抑えておきたい福岡県の一社かもしれませんね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください