安居楽土の国から異風香る昔語り(一)- 長崎県

時折、日本の最北端・・とか、最西端などという言葉を聞き、また、そういった指標をもって観光の一助としている場所があるのは御存知のとおりですね。 ところが、同じ方角の “最◯端” の名を掲げる場所が一箇所でないのもまた事実・・。

これは どういった事なのかというと、その “最◯端” を定める基準が複数 存在しているからなのだそうです。

具体的には

・ 離島を含む日本の東西南北端
最北端:弁天島 北海道稚内市
最南端:沖ノ鳥島・北小島 東京都小笠原村
最東端:南鳥島・坂本崎 東京都小笠原村
最西端:トゥイシ 沖縄県八重山郡与那国町

・ 自由に到達可能な東西南北端
最北端 : 宗谷岬 北海道稚内市
最南端 : 波照間島・高那崎 沖縄県八重山郡竹富町
最東端 : 納沙布岬 北海道根室市
最西端 : 与那国島・西崎 沖縄県八重山郡与那国町

・ 日本の本土の東西南北端(沖縄本島を含める場合)
最北端 : 宗谷岬 北海道稚内市
最南端 : 荒崎 沖縄県糸満市
最東端 : 納沙布岬 北海道根室市
最西端 : 大嶺崎 沖縄県那覇市

・ 日本の本土の東西南北端 (沖縄本島を含めない場合)
最北端 : 宗谷岬 北海道稚内市
最南端 : 佐多岬 鹿児島県肝属郡南大隅町
最東端 : 納沙布岬 北海道根室市
最西端 : 神崎鼻 長崎県佐世保市

* 参考:箱の森プレイパーク様

・ 他に 本土各島(北海道、本州、四国、九州、沖縄本島)の東西南北端などが有り。

与那国島 トゥイシ

上記は2019年6月時点での方角端位置であり、また参考ページでも取り上げられているように “離島を含む日本の最西端” が、それまでより110m移動したなど、必ずしも一定であるとは言い切れません。

また、地点認識は国内の問題だけでなく、時に国際関係や歴史事情により絡み移り変わることも少なくなく、私たちが普段、不動のものと思っている大地や島嶼における地点認識も、時と場合により様々であるようです。

 

超高度の衛星からGPSを用いる精密測距技術は、こういった基準位置の測定から、航空機・船舶・地上車両の運行に寄与し、現代の移動・物流に欠かせないものとなっていますが・・。

こういった便利で正確なシステムが存在していない、また 明確な位置定義も定かでない時代、太陽や月、星の位置、風の向きを頼りに航海していた先人たちの度量には感服の念が絶えません。彼らはまさに命を懸けて大海原に乗り出して行ったのです。

一握の者は “布教” という名の使命と信念をもって、2万kmの距離を隔てた この島国までやってきました。今回は “沖縄県を含めない日本本土の最西端” 長崎県から、異国の風交じる伝承をお届けしたいと思います・・。

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『雪のサンタ・マリア』

昔々のことじゃ ルソンちゅう国に 貧乏な大工の子に “丸屋(マリヤ)” ちう やぁらしか(可愛らしい)娘がおったげな

丸屋は幼いときから ほんに利発な子でな
「どうしたら 皆の魂ば救うこつ できゅうかいの?」
と いつも考えとったちゅう

 

ある時 天の神様の お告げをば 聞いてからちゅうもんは
「私ぁ 嫁に行かず一生 “おぼこ” で通す」ちゅうて願を立てたと

とは言うても 元々綺麗か娘やったけん その姿がルソンの王様の目にとまっての
「我が妃になってもらいたい」
と 王みずから家来衆を引き連れて迎えに来られたっとよ

ばってん
「私ぁ 大願立てた身じゃけん 折角ですが 嫁にゃ行かれません」
ちゅうて きっぱり断った上に その場で奇跡を見せたげな

丸屋が天に向こうて静かに祈れば 何ちゅうこと
若葉も生い茂る六月じゃちゅうのに チラチラと雪が舞い出したかと思うと
見る間に辺り一面 五尺ばかりも降り積もったのだと

これにゃぁ 王様も家来の衆も村の者も 度肝を抜かれてもうて
皆 その場にへたり込んでしまう始末

すっと そこんところに 天から花車がスルスルと降りてきての
丸屋を乗せると また天に帰ってしもうた

やっと雪が降り止んで 王様や皆のものが正気づいた時にゃ
もう丸屋の姿はどこにも見あたらなんだと・・

そんなこつが あってからちゅうもん 王様は丸屋のことばかり想い続けてしもうてのう
挙げ句 とうとう焦がれて亡くなってしまわれたそうな・・

 

天に昇った丸屋は 神様から “雪のサンタ丸屋” ゆう名ばもろうての
もう一度 地に降り立ち この世で暮らすこととなったばってん・・

「お前の 穢れなき 清き身体をば貸してくれろ」と言われての

二月のある日の日暮れどき 大天使さまが 蝶の姿に身をば変えて
丸屋の口の中に飛び込まれたとばい

すると 丸屋はたちまち身重の身体になったんだと

 

それからンこつが 身重の身が自然と親に知れてのう

丸屋は家を追い出されて あちらこちらと歩き回った果てにベツレンの国に行き着いたのだと

そこん 一軒の百姓の牛小屋ン中で 赤子ば生み落としたとばい
牛小屋の牛や馬は そん赤子ば凍えんようにと 両側から息ば吹きかけて温めてやって
百姓の嫁さ 織っとった布まで囲炉裏に焚べて 丸屋をもてなしたと

この赤子がキリスト様たい

 

丸屋は この赤子のキリスト様が大きゅう育つと 再び天に還られた

神様の仲立ちで 丸屋に焦がれて亡くなったルソンの王様と晴れて夫婦になられたそうな

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キリスト教徒でなくとも、この伝承が “聖母マリア” と “キリスト聖誕” をモチーフにした お話であることは、お気づきの方も多いのではないかと思います。

本来、イスラエル・中東地域での出来事を、何故かフィリピンの一地域である “ルソン” の名が出てきたり、マリアが帰天してその王と夫婦になるなど、ある意味 ツッコミどころ満載の、大胆な脚色がなされていますが・・。 (キリスト教の主たる信仰国である)ヨーロッパから遠く離れた日本の地に馴染みやすく、語り継がれていたのかも知れません。

つとに知られる “フランシスコ・ザビエル” をはじめとした宣教師たちによって。伝え広められた当時のキリスト教。

しかし ご存知のように、この時代の日本のキリスト教信仰とその教徒たちの人生は、その教えによる安らかな来世と異なり、極めて過酷なものでありました。

今回のこのお話は、長崎に多くあった “隠れ切支丹” たちが、聖典の代わりとして用いていた「天地始めの事」という書物に出てくるお話だそうです。

世のあらゆる事物が現代のように明るくなく便利でない時代、それでもその中を 時に懸命に、時にのんびりと生きていた過ぎ去りし日々の物語、続編にてもお伝え致します・・。

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