月の引力が見える町のアイロニー – 佐賀県

九州北西部、長崎、佐賀、福岡、そして熊本各県で囲まれた海域が「有明海」です。 約1,700km²の面積をもつ九州最大の湾ですが、一般的に有明海と聞いてイメージするのは その北部に広がる比較的浅い水域で、ムツゴロウなどで知られる佐賀県沿岸の干潟域・・が多いでしょうか・・。

「有明(ありあけ)」という何の由来について紐解くと “夜明け” という意味に通じるのだそうですが また別説があり、これが意外とロマンチックなことに “空が白み始めて夜が明ける頃、未だ宙に残っている月” ・・な情景を指す言葉なのだとか。一遍の和歌を思い起こさせるような詩的な名前ですね。

旧暦16日以降の明け方、南の空に見える月のことであり和風月齢でいうならば “立待月” や “居待月” のことを言い、実際に “有明の月” として小倉百人一首などにも歌が残されています。(注:有明であって有明海ではありません)

 

国内最大の干潟を擁することから他では見られない生態系をはじめ多くの特徴を持っていますが・・。 その “月” に掛かるところの話として “引力” があります。

有史以前、玄界灘・博多湾にまで開けて広大な浅瀬だったといわれる有明海。 阿蘇山の噴火や縄文時代の土砂堆積などによって筑紫平野側が塞がれ今日の姿に近付いていきましたが、形成された湾の細長い形状と東シナ海の潮流の影響により、有明海の干満差は日本一、最大6〜7mにも達するそうです。

有明海 棚じぶの小屋

ご存知のように潮の満ち引きは月による引力が大きく関わっています※。一定の地域(例えば北九州周辺)に掛かる引力はほぼ均等ですが、南北に100kmという長い湾形に影響されて、一般的な潮目、太平洋側で2m程・日本海側で50cm程を遥かに上回る干満差を見せるのです。 ※ 他の天体の引力や地球自体の遠心力なども影響を与えています。

言い換えるなら有明海沿岸地(特に奥まった場所)は “月の引力が目に見える場所” ということもできるでしょうか・・。

 

この有明海沿岸地、佐賀県藤津郡の多良という町にとても不思議で魅力的な神社・・と、その鳥居が立っています。名は『大魚神社(おおうおじんじゃ)』国道207号線沿いに建つ瀟洒なその社は、小さな港町を見守るに相応しい佇まいを保っています。

しかし、大魚神社の境内ともいうべき神域はその場所だけでなく、そこから100m余り先の海岸方向に向かって伸びている・・といっても良いのではないでしょうか。

国道を挟んで東側、浜辺の方まで移動すると “見れる時と見れない時がある道” の遭遇するでしょう。その名も「海中道路」。満潮時には変哲もない海面ですが、潮が引くと見事にその姿を現す防波堤のような道。 何処かへ至る道ではなく河岸としての機能や海苔養殖作業の足場でもありますが、ひなびた昼間に見れたときの海中道路はまさに一本の道ですね。地元漁業の車なども行き来しています。

そしてその海中道路のすぐ傍らに立つのが三基の『海中鳥居』、大魚神社の海へと向かう “神の道” です・・。

 

近年では その神秘的な風情から訪れる人も増え、観光名所のようになりつつある『大魚神社』と『海中鳥居』ですが、大魚神社の創建は約300年前 江戸時代の初期にまで遡り・・、そしてそこには奇矯な由緒譚が残っているのです。

1693年といいますから “元禄時代” ということになりますでしょうか・・。 徳川将軍家も五代目となり幕藩体制も安定、世は平和と新たな文化の広がりに沸いていた頃の話・・。

多良の里を治めていた代官は嫌われ者であったようです。それが横暴な態度によるものか、厳しい年貢の取り立てによるものか、あるいはそれら様々な要因の積み合わせによるものか・・。

ともかく村人たちはじっと耐えに耐えた挙げ句、ある時ついに堪忍袋の緒が切れてしまったようで・・。 談合の末 ある目論見を企てました。 沖合に浮かぶ “沖ノ島” で酒盛りをするので お代官さまもご一緒に・・と誘い出したそうです。

そして酒盛りの日、まぁご一献・・ご一献とばかり代官を酔い潰すと、そのまま島に代官ひとり置き去りにして引き返してしまったのだとか・・。

画像はイメージ。沖ノ島は現在の “沖ノ神瀬灯標” と思われ。

ありゃ? 何か最近聞いたような話ですねw。先般お伝えした伊豆諸島での話でも似たような展開が・・。 当時の代官と地元民の間には地域違わず拭いきれない確執があったのでしょうかね。

只、ここからの展開が少々異なります・・。

 

置き去りにされた代官、泥酔の果てのことですからやがては目を醒まします。

自分の身に起こったことを理解した代官・・。このまま時が経てば飢えや渇きが忍び寄り、下手をすれば死さえ避けられない状況。

ここで代官、今までの横暴を後悔・・したのかどうか定かではありませんが生きたい一心、神に、島からの生還を必死に祈ったそうです。

すると海中から一匹の大魚が現れ代官の方に向かって背を向けているではありませんか。 これぞ神による恩寵とばかり大魚の背に乗って村の岸まで戻り、何とか事なきを得たのだとか・・。

この天恵に感銘を受けた代官、村人たちを処罰することなく、むしろ神の助けに報い 村の安寧に資するべく、多良の浜近くに社を建立。沖ノ島に続く海の神の道を示すかのように岸辺から二町(約200m)の先にまで鳥居を建てたのだそうです・・。

誰も身を滅ぼすことなく “目出度し” 的な結びで結構なこと。民話・伝承とはいえ人の死に関わるような話は重たいですからね・・。

ともあれ、大魚神社の御祭神はこの由緒をもって “大魚大明神” とされていますが、史実的な側面からみると、諫早領主第6代である諫早茂元が伝承の10年程前の天和2年(1682年)に社殿を再興し、元禄6年(1693年)に鳥居を建立したとされているそうで。

基本的というか本質的というか、いつの世も何かと不満と批判に晒されやすい為政者をもじったアイロニーだったのかもしれませんね・・。

 

多良の里には 大魚大明神 “海の神” の他にも、古より信仰を受けてきた “多良岳” の神 “山の神” も坐し、多良岳=大魚神社=海中鳥居=沖ノ島は一直線上に配置されているそうです。

そこには山海に囲まれながら生きてきた人々の自然に対する崇敬と、時とともに大きく様相を違える潮位への畏怖が 確かに息づいているように思えますね。 伝承はその地域の地勢や天候に深く根付いているものなのでしょう。古の人々は知らず知らずの内に月の引力をその身に感じていたのかもしれません。

海中鳥居というと “厳島神社(広島県)” や “白髭神社(滋賀県)” が著名ですが、この大魚神社の鳥居は三基もの鳥居が並ぶ珍しい姿なのだとか・・。運良く干潮時に行き合わせれば、海中道路と同じく鳥居の下も歩いて行けるのだそうです。 お代官さまではありませんが、行楽の運試しのひとつとして・・如何でしょうか?

『大魚神社の海中鳥居』
佐賀県藤津郡太良町多良1897
TEL.0954-67-0065(太良町観光協会)
注:通年開放ですが天候や漁業などの関係で入場が制限されている場合もあります。

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