不毛の土は肥沃の未来へと変わる – 北海道

連日の猛暑、本当にまいってしまいますね。 夏だから当たり前といえば当たり前なのですが、酷過ぎる暑さは年を追うごとに危険性をも増しています。

多大な被災となった先般の熊本地震でも、震災直接の被害は言うに及びませんが、その後の復旧作業における熱中症の危険が大きくクローズアップされました。

どうか皆様には屋外での活動、室内での過ごし方ともども体温管理や水分補給に充分お気を付けください・・。

気分だけでも涼やかに・・と思い、本日は北海道からお届けします。(近年では北海道でも割と30℃超えたりするそうですが (^_^;)

 

北海道西部、札幌市の右にあって境を接する “江別(えべつ)市”。 人口11万人余の静かなこの町は、内陸部の町にありながら日本三大河川の一流でもある “石狩川” の流れによって潤される肥沃の大地でもあります。

“肥沃の大地” ・・、しかしそれは現在の視点で結果的にそう言えるということであって、元々この地の土壌は肥沃とは真逆とさえ思えるような地質であり、かつてこの地に入った人々を大いに悩ませました。

北海道の多くの地名がアイヌ語由来であることは近年よく知られた話ですが、ここ江別の地名由来の一つに “土色に濁った川”※ という説があったのも、それを象徴しているようにも思えます。 ※ 他に “チョウザメが上る川” “重要な場所への河口” などの説あり。

その土壌とは、水分を含むとドロドロになり滑りやすく、乾くとカチカチに固まってしまう粘土・・。 ”土とともに生きた時代” の人々にとって、極めて与し難い場所でありました。

しかしその不毛の大地が、後に “明治の近代化を支えた赤煉瓦(レンガ)” と “戦後の食卓を彩った奇跡の小麦” で知られるまでに発展する、江別の2つのストーリーを辿ってみたいと思います・・。

 

明治11(1878)年頃、文明開化に沸く日本。 新時代を夢見て北海道・江別にも屯田兵や開拓民が次々と入植し始めました。しかし彼らを待ち受けていたのは、古く大曲と呼ばれた石狩川の屈曲に伴う度々の氾濫。そして取り組みようのないほど扱いづらく水はけも悪い重粘土層の土壌でした。

​鍬(くわ)を打ち込んでも重くへばりつき、雨が降れば泥沼と化す地質。作物を育てるにはあまりにも厳しい土地であり、当時の開拓民にとって粘土層はまさに “厄介者” 以外の何者でもなかったのです。

しかし、”生きることにも貪欲であった時代” の人々は、これらの試練を逆手に利用し、また懸命に開拓し、不毛とさえ思えた場所を肥沃の大地へと変えていったのでした。

明治20年代、日本の急速な近代化がこの土の価値を大きく変えることになります。 それまで木造建築が主だった都市の火災対策や、鉄道の橋脚、倉庫、官公庁の建築のために煉瓦(レンガ)の需要が急増したのです。

煉瓦作りは既に本州内でも本格化していましたが、海峡を渡っての輸送の手間やリスク、コストを考えると道内で生産した方がはるかに効率的。

​調査の結果、江別・野幌(のっぽろ)周辺に広がる粘土層は可塑性(かそせい:形を保つ力)が高く、焼き締めると極めて頑丈になる「最高の煉瓦原料」であることが判明します。

1891(明治24)年に江別太で工場が立ち上がると、1898(明治31)年には北海道炭礦鉄道が野幌にも大規模工場が竣工。江別は一気に道内最大の煉瓦生産拠点へと変貌を遂げたのです。

膨大な量の煉瓦が生産・供給され、札幌の「北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)」など、北海道の近代化を支えた多くの歴史的建築物が建てられました。

通年の気温、春先に吹く乾燥した強風など北国独特の気象や地勢のため、さながら昭和初期の頃まで北海道は火事災害の多い場所でしたが、江別の煉瓦は それでもなお多くの命を護り続けたのです。

それが、かつて開拓民を苦しめた江別の粘土から作られたものだったというのも歴史の妙たる所以でしょうか・・。

当時の面影を現在に伝える煉瓦(レンガ) のスポットや特産品を一筆・・。
(以下、名称をクリックで公式サイトへ)

​EBRI(エブリ)
旧野幌木材市売市場の赤レンガ倉庫をリノベーションした複合商業施設。アンテナショップやカフェが入り、ノスタルジックな赤レンガの佇まいの中で、地元の食やクラフトを楽しめます。

江別市セラミックアートセンター
赤レンガ技術の数々。当時の職人技と、粘土から生まれた産業遺産の息吹を現代に伝えています。

​銘菓「煉化餅(れんかもち)」
明治34(1901)年、野幌駅前で誕生した江別名物。煉瓦の形を模した素朴で優しい味わいのお餅で、煉瓦産業とともに歩んだ街の歴史を今に伝える逸品です。

 

さて、煉瓦生産という粘土層の有効利用により江別の町は賑わい近代化を果たしたものの、土地そのものが農事に適するようになったわけではありません。

数十年の後、新たな試みは、その近代化により導かれた技術の進歩によって始められました。

戦後復興から高度経済成長期へ向かう昭和の最中。 地中にパイプを埋めて強制的に水を抜く “暗渠(あんきょ)排水” 工法の導入により、粘土質の最大の課題であった湿害を克服したのです。

暗渠排水のためのパイプ 画像:北海道開発局

するとどうでしょう。土地の湿害が低下するにとどまらず、粘土層が持っていた隠れた力が発揮されはじめました。

本来、粘土粒子はミネラルや肥料分を強力に保持する性質(保肥力)があります。水さえ抜ければ、作物に豊かで濃厚な養分を供給し続ける「極上の肥沃土」へと化けたのです。

 

耕し難くまとわり付きやすい粘土質の土は、依然 耕作に苦労を要する場所でしたが、土としての資質と新たな農法を組み合わせ開いたのが麦の栽培生産。

中でも1980年代に開発された “ハルユタカ” と呼ばれる新種の小麦、そしてそれから作られる小麦粉は、グルテンを豊富に含んだ(国産としては珍しい) “強力粉” として話題となりました。

モチモチとした食感と豊かな風味が特徴ですが、雨に弱く病気にかかりやすいため一度は生産量が激減していました。

一時は「幻の小麦」とまで呼ばれたものの、江別の農家たちが編み出した “初冬播き” という画期的な手法で安定的な出荷の道筋がつき、江別の特産品として名を馳せるまでになりました。

根雪が積もる直前の11月下旬、冷え込んだ畑に種を播いて雪の下で眠らせる。 春の雪解けと同時に発芽させることで、ぬかるんだ春の粘土畑にトラクターを入れられないタイムロスをクリアするという・・。

一世紀にわたり北国の気候と大地に取り組み格闘し、身につけてきた農家ならではの知恵の結晶といえましょうか・・。

 

ハルユタカや、それを生み出した江別の歴史を感じられるトピックを最後に2〜3 残しておきましょう。

江別の「ハルユタカ」パン&ラーメン
市内の多くのベーカリーや麺処では地元産ハルユタカを100%使用した商品が並びます。 粘土の地力が育んだ小麦本来の甘みと極上のモチモチ感は絶品です。

​町村農場・直売店
大正時代から続く歴史ある農場。粘土質の豊かな草地で育った牛たちから採れる新鮮な牛乳、ソフトクリーム、チーズやパフェは、江別を代表する絶品スイーツです。

​道立自然公園 野幌森林公園
粘土層の上に広がる広大な原始林。かつて開拓民が切り開いた原野の姿と そこに挑んだ人々の暮らしの歴史を、博物館や復元施設でリアルに体験できます。

厄介者扱いされた “粘土” を都市の骨組となる “赤レンガ” へと変えた明治のパイオニアたち。

そして、粘土の排水を克服し、その地力を極限まで引き出して “奇跡の小麦” を実らせた戦後の農家たち。

江別という街の歴史は、決して恵まれた条件から始まったわけではありません。むしろ “条件の悪さ” を創意工夫と熱意で跳ね返し、唯一無二の魅力(チャームポイント)へと変えてきたストーリーそのものです。

​赤レンガの街並みを歩き、焼きたてのハルユタカパンを頬張るとき、・・その足下に広がる深い粘土層のドラマに、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

Amazon:『江別の絵はがきものがたり~図柄が語る江別のあゆみ』

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